未来につながる暮らし方を追求したい。
新しい挑戦で気づいた、私の原点。
大手メーカーの人事業務を行う傍ら、農業体験のきっかけを提供するコミュニティの運営委員や、茨城県で人が支えあい自立的に暮らしていく為の考え方を提案するお祭りの実行委員に所属している塚田さん。特に新しいことに挑戦しようとしなかった過去から現在に至るまでには、「心の安らぐ暮らし」というテーマがありました。
塚田 悦子
つかだ えつこ|大手メーカーの人事担当、農業コミュニティ・地域祭の運営委員
大手メーカーの人事運営業務を行う傍ら、都市で暮らす人に農的な暮らしのきっかけを提供する、
「オーガニックファーム 暮らしの実験室やさと農場」の運営委員や、
茨城県石岡市の「八郷」という地域でおこなわれるローカルフェス『八豊祭』の実行委員を務める。
オーガニックファーム 暮らしの実験室やさと農場
八豊祭
Photo by Sayaka Mochizuki
何かを作ることに対する関心
幼い頃から、絵を描くことが好きでした。
埼玉県の小川町というところで育ったのですが、 家の近所にあまり同年代の子がおらず、
家で1人で遊ぶことが多かったです。
あまり既成品のおもちゃとかを与えてくれる家庭ではなく、
おもちゃは自分で工作する環境で育ちました。
また、時々遊んでもらっていた年上の女の子がお絵描きが好きだったので、
一緒になって描いているうちに、気付いたら私も好きになっていましたね。
そんな背景から、小学生になると、よく自分で漫画を描くようになり、 将来は漠然と、漫画家になりたいと考えてみたりもしました。
ところが中学校に入学し、いわゆるオタクと呼ばれる人たちと漫画の話をしてみた時に、
「この人たちのようにはのめり込めない」と感じ、
次第に漫画家への熱意は薄れていきました。
しかし、変わらず絵を描くことは好きで、部活は美術部に入部し、
学校で絵を描いたり 県などが開催するコンクールに作品を出品したりもしていましたね。
その後はやりたいことが見つけられないまま、地元の公立高校に入学したのですが、
特に興味を持てる科目がなかったため、大学に進学し勉強をするイメージが持てなかったんです。
次第に、「早く働きたい」という気持ちが強くなり、
絵を描くことへの興味から、何かを作るような仕事がしたいと思うようになっていき、
ちょうど学校の先生に紹介されたこともあり、渋谷にあるジュエリーデザインの専門学校に進学することにしました。
その学校は就職率も高く、早く働きたい私にとっては非常によい条件でしたし、
ジュエリーのように人に大切にされるものを作る仕事がとても魅力的だったんですよね。
可能性を広げるための転職
専門学校に入学した後は、1年目に金属加工のやり方などの基礎的なことを学び、
2年目は企業とコラボレーションをして商品開発を行うなど、
実践的なカリキュラムが中心でした。
当然、周りは皆ジュエリーに興味がある人でしたが、
その中でも、途中で学校を辞めてデザイナーとして独立する人や、
自分のお店を出す人など、それぞれ違った進路に進んでいきました。
ただ、私はそもそも保守的な性格で、そもそも独立には興味がありませんでしたし、
自分にお店の経営などできないと思っていたので、普通に就職活動をして、
とあるジュエリーの小売りをメインに行う企業に就職をしました。
その会社には一応デザイン室もあって、 面接の際にも「将来はデザインの仕事がしたい」と伝えたうえで内定を頂いたので、
いずれジュエリーデザイナーとして働くチャンスがあると思い込んでいました。
また何より、ちょうど就職難の時期だったので、就職先が見つかったことで安心していたんですよね。
そんな理由から、専門学校卒業後はジュエリーの販売員の仕事をすることになったのですが、
働き始めてすぐに、会社の体制的に私がデザインの仕事に関われる機会はやってこない、
ということを先輩から教えて頂きました。
販売の仕事は、お客さんと接する中でコミュニケーションの重要性を学ぶことができ、
やっていて楽しかったのですが、やっぱりどうしてもデザインの仕事がやってみたいと思いが強く、
結局1年ほどで転職をすることにしました。
その後、いくつかの企業で実際にジュエリーデザインの仕事をすることができたのですが、
複数の会社を渡り歩く中で、不安定なスケジュールでハードワークをしなければならなかったり、
ある時は上司にセクハラまがいのことをされたり、色々と嫌な面を知ってしまったことで 、
段々とジュエリー業界自体に疑問を抱くようになってしまったんです。
そんな風に思い悩んでいるうちに、気づくと25歳という年齢になっていて、
今後のことを考える中で、まだ新しい挑戦ができるうちに自分の可能性を広げようと思い、
ジュエリーデザイナーではなく、他の仕事へ転職をすることにしました。
専門を卒業して最初に働いていた会社にいるときに先輩から聞いた、
「25歳を過ぎると少しずつ転職などが難しくなっていく」というお話が凄く印象的で、
チャレンジをするなら今しかないと思ったんです。
働くために生きるのか、生きるために働くのか
その後、とある半導体メーカーの東京支店に派遣社員という形で入社し、営業事務として働き始めました。
ジュエリーデザインの仕事をしている頃は休みが不規則で、ハードな働き方をすることが多く、
以前から毎週土日がしっかりと休める仕事に憧れを抱いていました。
「働くこと」と「生きる・暮らすこと」を比べたときに、
私にとっては「生きる・暮らすこと」の方が大切で、
生活や体をボロボロにしてまで働くことの意味を見出せなかったんです。
私にとって、心と身体の平穏が脅かされることのない「心の安らぐ暮らし」が一番重要だったんですよね。
転職後は、初めての事務の仕事ということもあり、慣れないパソコンの作業に苦戦しましたが、
以前、販売員等サービス業の経験があったので、働く上で大切な人とのコミュニケーションはうまく取れたため、
大きな戸惑いはありませんでした。
また、和気あいあいとした職場で、以前の様な無理な働き方をすることもなかったので、
とても楽しみながら働いていましたね。
ただ、会社の将来の方針についてすこし気がかりなことがあったため、 とある人材派遣会社の事務職に転職したのですが、
その中で知り合った知人に、大手メーカーの人事運営担当のお仕事を紹介して頂き、
そこで腰を据えて仕事に取り組めるようになりました。
改めて気づいた、私の原点
それまでは、仕事の状況がずっとバタバタしていたため、あまり自由な時間がなく、
遊びや趣味など、何か新しいことに挑戦することもありませんでした。
でも、ようやく仕事が落ち着いたことで、自分の心と時間に余裕が生まれ、
「自分のやりたいことって何だろう」と考えるようになりました。
次第に、何か新しいことに挑戦してみたいという気持ちが強くなっていき、
たまたまSNSを眺めている際に、とある農業コミュニティが公募している、
ツリーハウスを作るイベントを見つけ、興味を持って参加してみることにしたんです。
子供の頃にツリーハウスに憧れていたことがありましたし、
やっぱり「何かを作る」というところに魅力を感じたんですよね。
それまでは、仕事以外の場面のいわゆる「個人」という場面で、つながりのない人と交流をすることはなく、
最初はそれが不安でした。
でも、このイベントで全くつながりがなかった人と色々と交流をしていく中で、
どんどんコミュニティの人たちに惹かれていったんです。
私の様に初対面の人にも気兼ねなく接してくたり、
お互いがお互いを尊重し、協力し支え合いながら活動をしていたり。
そんな「人の温かさ」に魅了されながら、気づいたときには自分から巻き込まれる形で、
積極的にコミュニティの活動に参加するようになっていました。
また、ジュエリーの仕事を辞めて以来、しばらく「何かを作る」ということから離れていましたが、
ツリーハウスを作ったことで、改めて 「やっぱり私はつくることが好きなんだ」 ということを実感し、
以来、仕事以外の場所でも積極的に自分のやりたいと感じたことや、 新しいことに挑戦をしていくようになりました。
自分が納得できる暮らしを追及していきたい
現在は、引き続きメーカーの人事運営担当としての仕事を続けながら、 ツリーハウスのイベント以来お世話になり、
都市で暮らす人たちに農的な暮らしを提案し、小規模有畜複合農業を実践する
「オーガニックファーム 暮らしの実験室やさと農場」の運営委員を務めています。
またそれだけでなく、そこの人たちに誘われる形で、
「八豊祭」という、 茨城県石岡市の八郷と呼ばれる地域で開催されているお祭りの実行委員など、
様々な活動に関わらせていただいています。
今はまだこれから先、具体的に何をやりたいかは決まっていませんが、 やはり「暮らし」というものを、
もっともっと追及していきたいと思っています。
この2つのコミュニティ、特に「未来につなぐ生き方を感じるローカルフェス」というコンセプトの「八豊祭」に関わって感じたのですが、
ここの関係性は、それぞれが得意なことや、自分にできることを人に提供し、
お互いを尊重し支え合って暮らしていることが実感しやすいんです。
そして、丁寧な暮らしは日常に感謝があふれています。
今までは、大量消費大量生産の生活の中、効率化・分業化され、見えないものが多くなっていて、
お金での価値観が強くなり過ぎていたことにきづかされました。
お金ばかりを追い求めると、自分の目に見えないところで誰かの幸せを奪っている可能性がある、
でもそれも実感しないから気づかないうちに加害者になっている。
以前から「心の安らぐ暮らし」を重要視してきた私にとっては、
やっぱり前者の方が魅力的に感じるんですよね。
なので、これから先は例えば「何かを作ること」の様な自分の得意なことをもっと伸ばして、
誰かに頼られるような人を目指していきたいと思います。
また、 同じ悦びを感じる人が増えたら嬉しいので、
みんながやってみたくなるような、丁寧な暮らしを楽しむ方法を私自身が実践して、
それを広めていけるような人になりたいですね。
2015.01.02
塚田 悦子
つかだ えつこ|大手メーカーの人事担当、農業コミュニティ・地域祭の運営委員
大手メーカーの人事運営業務を行う傍ら、都市で暮らす人に農的な暮らしのきっかけを提供する、
「オーガニックファーム 暮らしの実験室やさと農場」の運営委員や、
茨城県石岡市の「八郷」という地域でおこなわれるローカルフェス『八豊祭』の実行委員を務める。
オーガニックファーム 暮らしの実験室やさと農場
八豊祭
Photo by Sayaka Mochizuki
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