病児保育問題を解決するために。
人の思いを集める、ファンドレイザーとして。

現在、大阪で病児保育事業を展開するNPO法人「ノーベル」で、ファンドレイザーとして働く北村さん。目の前にある現実に満足をして会社働きをしていた北村さんを変えた出来事とは?幼いころから抱いてた思い、そして現在の活動に至るまでの経緯について、お話をお伺いしました。

北村 政記

きむら まさき|病児保育事業を展開するNPOのファンドレイザー
特定非営利活動法人ノーベルのファンドレイザーとして、病児保育支援事業に携わる。

特定非営利活動法人ノーベル

人のためになりたい、力が足りない


私は関西(京都)で長男として生まれ育ち、親から愛情を受けつつも、割と厳しく育てられました。

小さい頃は身体が弱く、熱性けいれんを8回も起こし、その度に救急車で運ばれた事があります。
その反動なのか、自分を強く鍛えたいという気持ちが強くあって、 高校ではラグビー部に所属しました。
また、部活以外のことで言ったら本を読むことが好きで、
特に、三浦綾子さんが書く、利他精神の尊さを感じる小説が好きでした。

その本のように、将来何か人のためになりたいなぁとぼんやりと考えつつも、
特にやりたいことはないまま、 通っていた同志社高校をそのまま内部進学し、
同志社大学に進んだんです。

大学では、スキューバーダイビングサークルに所属しました。
実は私、水恐怖症だったんです。
ただ、釣り好きで、水の中で泳ぐ魚がみたいなぁと思ってそのサークルに入ることにしたんですよね。
それからは、その面白さに魅入って、学生生活で130本くらいは潜りました。(笑)

3年生になると、休学をしてカナダ留学に行きました。
親の紹介で競馬場のアルバイトをしていて、上下がしっかりしている人間関係などを見て、
なんとなく、自分は日本人より外国人の方が合うのではないかと考えたんですよね。

カナダでは、ラテン系の人や、メキシコ人、ブラジル人など、気持ちが開放的な人がいて刺激的でした。
その後、興味があったインドへ行って、2週間ボランティアとしてNGOの活動に参画しました。 インドでは自分の無力さを感じましたね。

ここで働きたい、ニュースから抱いた課題意識


3年生の秋学期に就職活動が始まり、将来特にやりたいことはなかったのですが、 インドで感じた、「力をつけたい、成長したい」という気持ちだけはありました。

そうして、説明会でお会いした勢いがある社長に惹かれて、
社員数が300人程度の 東京に本社を置く、福利厚生のアウトソーシングを行う会社に入社しました。

私は法人営業に配属され、中小企業から大企業、そして学校や病院など、様々な業界を対象に営業を行いました。
色んな人の力があって、世の中は成り立っているんだなぁと、毎日が新発見で面白かったですね。

社会人になってからも、時間がある時には本を読んでいました。
特に好きだった『お家さん』という本には、鈴木商店という商社で働く人たちの生きざまが描かれて、現代人と同じく家族を思い、
「国の為に」という理想を掲げて発展していく人々の姿に共感していたんですよね。

そんな社会人生活を送り、東京1年、福岡4年、大阪1年と
各地で転勤して再び東京に戻った時、 「大阪の西区で、母親に放置された幼い兄弟が、餓死した」というニュースが流れてきました。

私がすごく可愛がっていた3歳と1才の甥っ子と姪っ子と同じ年齢、 そして地元である関西(大阪)での出来事だったのでものすごくショックを受けました。

また、幼い頃母親に厳しくしつけられていた自分を思い出し、このニュースは他人事じゃないと感じたんです。
同じことが起きないためにも、自分ができることはないかと考えるようになりました。

そしてある時、ノーべルという、
大阪にある病児保育事業に取り組むNPO法人を見つけたんです。
そこで、ひとり親を支援する事業を始める事ができれば、母の負担が減って子どもにもよい影響があると考え、
働かせてほしい!と事務所に電話をかけました。

しかし、当時設立して間もない団体であったこともあって保育をできる人しか雇えないけど、
フルタイムのボランティアとして半年間働いて成果が出たら正社員として雇う、と言われたんです。

それまで、昔から社会貢献に関心を持っていたものの、
一歩踏み入れるものが見つけられず、目の前にある現状に満足していました。
そんな沸々とした中、ノーベルの病児保育事業は、「これだ」と思える活動だったんですよね。

それから29歳で会社を辞めて、半年間、ボランティアという形でノーベルで働きました。

8ヶ月のチャリティーラン


しかし、半年間働いた後の面談で、「思いは感じるけど、行動に出ていない」と言われ、雇ってはもらえませんでした。
意を決して会社を辞めてNPOにボランティアとして参画したものの、
得た結果がこのようなもので、 社会に拒絶され、取り残されたような感覚を味わいましたね。

それからは、婚約者に支えられつつ、就職活動を始め、妊娠出産、子育てのポータルサイトを運営する会社で働きました。

そこで働いて3、4ヵ月経った頃、ノーベルの代表から「北村君がやりたかった、一人親支援をやることになったよ。」と連絡があったんです。

ノーベルで働く事は叶わなかったけれど、自分にできるお手伝いはしたいと考え
「事業立上げ資金として、目標100万円集めます。」と宣言しました。
その時に思い浮かんだのはチャリティランで、 100万円集まるまで、
平日平均5キロ走り続けるチャレンジを掲げ、ネット上で寄付を募れる「ジャストギビング」を活用しました。

最初はなかなか集まらなかったのですが、8か月間、845キロ走り続けた結果、
130人の人が寄付してくれて100万円を達成したんです。
もちろん、会社での仕事もあったので、早朝、深夜に合間を縫って走り続けました。

すると、ついにノーベルの代表から、うちで正社員として働かないかという話をもらったんです。

待ち望んでいた言葉に、嬉しい感情が込み上げてきましたね。
婚約者がいたので、その婚約者のご両親にも、NPOで働きたいという話をして納得をしてもらい、
ファンドレイザーとしてジョインすることになりました。

ファンドレイザーとしてのスタート


ノーベルは、大阪で病児保育サービスを展開しており、
子どもの発熱時、働く親御さんの代わりに自宅でお預かりする保育を行っています。
私は、ファンドレイザーとして、ひとり親世帯に低価格で病児保育を提供するために寄付を集める仕事をしています。

実際に働いてみて、これまでの仕事とはやりがいの次元が違うなぁと感じています。

サポートさせていただいてる方からお便りをもらい、
経済的にも精神的にも支えられて、 自分も将来寄付する側になりたいと言われる事があったり、
お金だけでなく思いを託して下さる寄付者に支えられ、
思いを通じて子どもの未来を確実に変える事ができる事に醍醐味を感じています。

一方で、日本の子育ての現状、課題も感じることが多くなりました。

日本の社会は、あまりにも子育て世帯に寛容でない現実があります。
子どもが熱を出した時くらい自分で看たいと思いつつ、生きるためには働かないといけないと葛藤を感じて
仕事に行かざるを得ない親御さん達はたくさんいらっしゃいます。

「子どもは親が育てるべき」ではなく、「社会全体で子育てを支え合う」価値観を浸透させて
子どもの未来を変えていきたいですね。

2014.12.27

北村 政記

きむら まさき|病児保育事業を展開するNPOのファンドレイザー
特定非営利活動法人ノーベルのファンドレイザーとして、病児保育支援事業に携わる。

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