1番でない、天職も辞めた、でも毎日が文化祭。
時代の空気を作る、企画という僕の仕事。
お台場にあるイベントハウス「東京カルチャーカルチャー」や、東急ハンズ、八重洲ブックセンター本店等のプロデュースを行うテリーさん。天職だと感じたCM制作の仕事を辞め、0から東京でスタートをした25歳から現在に至るまでにはどのような背景があったのでしょうか?お話を伺いました。
テリー植田
てりー うえだ|フリーランスのイベントプロデューサー
「ネットとリアルをつなぐ場所」というコンセプトのもと、ニフティ株式会社が運営するイベントハウス「東京カルチャーカルチャー」のイベントプロデュースや、
東急ハンズ、書店イベントのプロデュースを手がける。
東京カルチャーカルチャー
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高校時代に訪れた2つの挫折
奈良県に生まれ育ち、小さいころから何か考えたことを表現することが好きでした。元々、岡本太郎さんや、松本零士さんに憧れを抱いており、岡本太郎さんがデザインした近鉄のロゴの野球帽をかぶるために野球を始めると行った調子でした。
また、小学校1年生の遠足の絵が世界児童画展で1位になり、アメリカ大統領に表彰されたり、小中と地元の市の賞は総なめにしていました。他にも新聞部に入り読み物を作ったり、文化祭で劇の企画をしたり、今までに無かったことを0から生み出すことに、強いやりがいを感じていましたね。
しかし、文武両道な地元の高校に進学すると、そこで出会ったある生徒の絵を見て、私は絵を描くのを辞めてしまったんです。彼の絵を見て、100対0で負けたような感覚がありましたし、自分には才能が無く、「真っ向から勝負しても、こいつには勝てない」と感じてしまったんです。
その後、元々関心があった新聞記者になろうと同志社の新聞学科を目指したのですが、その受験も失敗してしまいました。結局、他の大学にも全部落ちてしまい、何をやって良いか分からなくなってしまったんです。
しかし、このまま2浪しても彼らには勝てないし、自分は受験勉強の才能が無いことも感じたので、エンタメの方面に切り替え、大阪のコマーシャル制作を学べる専門学校に進学しました。
自分の表現をストレートに伝えたい
専門学校ではコマーシャルの制作を学びながら、広告関係の年上の方々に可愛がってもらい、勉強させてもらう日々をすごしました。最初は映画の撮影所でバイトをしており、映画監督になりたいという気持ちもあったのですが、狭き門ということもあり、他はないだろうかと考えて関心を持ったのがCM制作でした。専門学校では良い評価もいただくことができ、卒業後は関西の制作会社で、実際にCM制作に携わる日々が始まりました。
働き始めてからは、この仕事が天職なんじゃないかと思いましたね。クライアントの要望等を生かしながらCMという企画に落とし込むことが本当に楽しく、成果も認めてもらうことができ、充実した日々を過ごしました。
しかし、3年ほど働くと、仕事に飽きてしまったんです。同時に、もっと自分の作ったものをストレートに伝えたいという思いを抱くようになったんですよね。どうしてもCMという性質上、「企業の作品」になってしまうため、自分の作りたいものを直接伝えられないストレスがありました。
そこで、思い切って3年で退職し、環境を変えるために上京することに決めたんです。年齢的にラストチャンスだという感覚がありましたね。22歳で結婚した奥さんと2人、無職で東京に上京しました。
最初こそワクワクを抱えて上京したものの、それからは治験のバイトをしたり、高円寺で働いたレコード会社が解散になってしまったりと、中々落ち着かない日々を過ごしました。それからは、株式会社NTTソルコのコールセンターマネージメントセクションで働きながら、前職時代に始めた音楽系のライターや、関西時代からやっていたDJの活動をしていました。
すると、音楽系の活動の縁で知り合ったトークライブハウスのロフトプラスワンの店長だったシンスケ横山さんが、ネットとリアルをつなぐ事業モデルのイベントハウスをニフティ株式会社と共に立ち上げるという話を聞き、そこにプロデューサーとして携わることになったんです。
それからは、「東京カルチャーカルチャー」という名前のお台場のお店のプロデュースを行うことになりました。
「これが企画だ!」
ところが、実際にお店を開店してからは、集客に苦しむ日々でした。イベントを企画してみるも、せいぜい月に1本程度で、結果も上手く行かなかったんです。最初はお台場という特殊な立地に慣れずに苦しんだこともありました。
そこで、特殊な立地を逆手に取った珍しいイベントを行おうと、たまたまブログで見つけた缶詰博士の黒川勇人さんに登壇を依頼し、様々な缶詰を紹介するイベントを企画したんです。
ところが、結局来てくれたお客さんは10人程度でした。ただ缶詰の話をするだけでは、その方のブログ記事と変わらなかったんですよね。そこで、反省を生かし、缶詰のメーカーとお酒のメーカーに協賛してもらい、「缶詰バイキング」というイベントを実施してみると、100人もお客さんが来てくれたんです。
「こういうことか!」という感じでしたね。
缶詰というニッチなテーマでありながら、眠っていたものを普段と違う切り口で表に出すことで、お客さんも協賛企業も登壇者も全て喜ぶ状況を作ることができたんです。やっと自分のイメージに近いことができ、「これが企画だ」と感じましたね。
そこで火がついてからは他の企画もうまくヒットしていき、段々とお客さんも増えていきました。
毎日が文化祭
すると、東京カルチャーカルチャーだけでなく、東急ハンズからもプロデュースの機会をいただいたんです。先の経験からも、前例の無いことをするというコンセプトがあり、東急ハンズでは前例のなかった食品領域の売場企画や、ハンズカフェでのワークショップ、イベントのプロデュースも行いました。
そしてそれらの実績から、他のオファーもいただけるようになり、 現在は東京駅のKITTEにあるマルノウチリーディングスタイルや八重洲ブックセンター本店のイベントプロデュース等、書店のイベントプロデュースも行っています。
その他にもライフワークであるイベントを行ったり、産学連携でこれからの若者と社会をつなぐような接点を設けたり、活動の幅はどんどん広がっています。前例の無いことをひたすらやり続けるという意味では、これからも変わらず、今までに無い企画で、利益も出して盛り上がりを作っていきたいですね。そういったことを時代の空気感に合わせて、色々な場所で同時多発的にやっていくことで、文化を作っていくことが出きるんじゃないかと思っているんです。
この歳になっても、仕事をしている時は毎日文化祭をしているような気分で、その気持ちは小学生から変わっていません。企画から接客まで全部自分でやりたいし、いつもワクワクしていますね。
また、自分は1番でないというコンプレックスで歩んだ道だからこそ、 今は量で勝負して、3割打てるようにすることを目標にしています。これからも、沢山の人と時代や文化を作るような企画に取り組んでいきたいですね。
2014.12.26
テリー植田
てりー うえだ|フリーランスのイベントプロデューサー
「ネットとリアルをつなぐ場所」というコンセプトのもと、ニフティ株式会社が運営するイベントハウス「東京カルチャーカルチャー」のイベントプロデュースや、
東急ハンズ、書店イベントのプロデュースを手がける。
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