税理士法人がシェアオフィスも運営?
未来永劫、幸せを生み出し続ける組織とは。
税理士法人を経営し、最近では人形町でシェアオフィスの展開も始めた二瓶さん。社員、クライアント、社会の幸せを追求し、後世にまで続く組織をつくりたいと考える背景にあるストーリーを伺いました。
二瓶 正之
にへい まさゆき|税理士法人、シェオフィスの経営
税理士法人ASSETSの代表税理士を務める。
税理士法人ASSETS
シェアオフィスassets
サラリーマンは無理そうだ
私は新潟県で、旧家であるに二瓶家12代目の当主である父の、次男として生まれました。
旧家と言っても農家で裕福ではないものの、家は厳格で、毎朝起きたら雑巾がけをするような生活でしたね。
ただ、父が織物工場を経営して始めてからはそれなりの生活を送れるようになりました。
また、私は運動が好きで水泳大会などに出る一方で、勉強は全くできず、
小学校2年生の時に担任の先生から「1年進級を遅らせようか?」という話が出たほどでした。
しかし、その後は徐々に周りに追いつき学級委員なども務めるようになり、高校も進学校に進むことができたんです。
ただ、高校ではバスケットボールに熱中していき、勉強なんて全くしないようになっていきました。
そんな生活を送っていた時、父の会社の税理士のゴルフにキャディとして付き添ったことがありました。
すると、1万円もお小遣いをくれて、父にも「税理士は儲かるぞ」なんて言われたんです。
それまで父の姿を見て、自分もサラリーマンとして使われる側にはなりたくない、お金お稼げる人間になりたい、という気持ちもあったので、
将来は税理士になるのもありかな、なんて思い始めました。
その後、大学受験は勉強をしていなかったので、どこにも受かることができませんでした。
父からは浪人はさせないと言われていたので、それなら会計の専門学校に行こうと資料を取りよせて見ていました。
すると、そんな姿を見た父から「お前は3月生まれだから1年くらいなら浪人してもいいぞ」と言ってもらったんです。
そして高校卒業後は東京で3帖一間の部屋に下宿しながら、受験勉強に励みました。
さすがにこの時は勉強しないと不味いと思って必死にやり、明治大学の商学部に進学することが決まりました。
モラトリアムな大学生活
大学では一応税理士になることを考えて、簿記クラブを覗いてみました。
しかし、その暗い雰囲気に耐えられず、すぐに辞めてしまいました。
それからは、お酒を飲んだり麻雀したり、無気力な生活を続けていました。
同世代にはどこか同じような空気があり、みんなまさに社会に出る前のモラトリアムとして、大学生活を過ごしていたんです。
しかし、3年生になるとリクルートから『就職情報』という雑誌が送られてきて、みんな就職活動を始めるのが一般的でした。
ところが、私のもとには『就職情報』は届かなかったので、特に何もしていませんでした。
卒業間近になったら考えようかな、位にしか思っていなかったんです。
そんな時、新聞広告でリクルートがアルバイトの求人広告を出していたので、働いてみることにしました。
元々「働かざる者は食うべからず」と思っていたので、働くこと自体は好きだったんです。
リクルートも面白い環境だったので、とにかく朝から晩まで働いていましたね。
アルバイトでも正社員と同じように働きそれなりに成果を出せていて、
気づけば大学も卒業して、正社員にならないかとオファーをもらうこともありました。
ただ、やっぱりサラリーマンになることには違和感があったので、税理士を目指すことに決めました。
そして、卒業した年の10月にはアルバイトを辞めて勉強に集中し始め、翌年の7月までは必死に勉強しましたね。
税理士試験は5つの試験をパスしなければいけないので、この時に1つでも受からないのであれば、諦めてサラリーマンになろうと思っていたんです。
結果は、なんと2つの試験に合格することができ、それからは会計事務所で働きながら他の試験の勉強をすることにしました。
ただ、早く試験に合格して3年以内には会計事務所は辞めたいと思っていました。
会計事務所なんてつまらないと思っていたんです。
税理士として仕事に没頭
その後、年に一度の税理士試験は毎年受け、4つ目までは合格することができました。
そして辞めようと思っていた3年目になると、気づけば仕事が面白くなっていたんです。
ある程度仕事をコントロールできるようになっていたし、
大手芸能プロダクションや色々な社長さんと直接話ができ、可愛がってもらえるのが楽しかったんです。
すると逆に仕事が忙しく試験勉強にあまり手がつかなくなってしまい、なかなか資格をとることができませんでした。
結局、結婚した年に頑張って最後の1つの資格を取ることができるまで、実に8年間かかったんです。
資格をとってからはできる業務範囲は増え、それまでも担当クライアントはついていたので、さらに忙しく働いていました。
上場したお客様もいて、決算期は家にほとんど帰れず、家庭を顧みない仕事人間でしたね。
私は税理士は「先生」という立場ではなく、サービス業だと考えていたので、
お客様のためになることをあれこれ考えて提案するのが好きでした。
その分、「もっとこうした方が良いのに」と思うことは多く、それはトップでないと改善できないことにもどかしさを感じていました。
そんなこともあり、40歳を迎えてそろそろ独立しようと考えるよになっていきました。
永遠に続く組織を
独立を考えていることを働いていた事務所で話すと、それなら共同経営をしようと提案をされ、
2年後には自分がトップになることを決め、共同経営を始めました。
そして、約束通り2年経ち私が経営のトップになり、数年間税理士事務所を経営していた時、
突然共同経営者が、何割かのお客様を引き連れて辞めてしまったんです。
寝耳に水で、本当に衝撃的でした。
ありがたいことに働いていた社員は残ってくれたので良かったものの、本当にショックでしたね。
そんなことも経験しながら、税理事務所を法人化することに決めました。
個人事務所のままだと、お客様は担当の税理士や社員についている状態になってしまい、
例えば私がこの世を去ったり、メンバーがいなくなったりしたら、組織としては消滅してしまいます。
そうではなく、税理士法人にお客様がついている状態にすることで、未来永劫お客様との関係が続く組織にしたかったんです。
そして、税理士法人ASSETSを立ち上げたのです。
幸せになること
私たちはお客様、社員、そして社会が「幸せになること」を目指しています。
特に社員の幸せを追求していて、ここ数年はその幸せを最大化するために、事業を拡大しています。
インターネットでの集客や、異業種交流会に行ったりしてアプローチ先を拡大したり、
担当が全ての仕事をするだけではなく、業務プロセスを可視化してより機能に特化した組織を整備したりしています。
また、クレドをつくり社員の方向性を合わせることも始めました。
社員が幸せに働けるからこそ、それぞれのお客様に最適な「最高のサービス」として税務や会計周りのご支援をできるし、していけたらと思います。
そうやって拡大していく中で、シェアオフィスの運営も始めました。
元々は事務所の入っているビルの1つ下の階が空き、会議室だけを借りようと思っていたところ、シェアオフィスの存在を知り、これは面白いと思ったんです。
シェアオフィスには立ち上げたばかりの会社が入っていて、そういう起業家を支援する役目が私たちにはあるんじゃないかと思ったんです。
そこで、入居している人から税務の相談や、必要な人には事業計画などの相談を受けることで、
様々な事業を見ている税理士としての支援をしています。
正直、コストはかかることではあります。
しかし、企業が大きく成長してから顧問契約などを結んでもらえればいいし、
何よりも、この取組を通じて今まで取り組めていなかった「社会への幸せ」に取り組むことができると考えているんです。
そうやって、これからも幸せをつくり出し、未来永劫続く組織を目指していきます。
2014.12.13
二瓶 正之
にへい まさゆき|税理士法人、シェオフィスの経営
税理士法人ASSETSの代表税理士を務める。
税理士法人ASSETS
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