世界中に新しい形のスポーツコミュニティを!
今は、自分のことを胸を張って周りに話せます。

「スポーツ=オリンピック」というイメージを払拭し、地域活性や障害者スポーツ等、新しい形のスポーツコミュニティを世界中に立ち上げたいと語る加藤さん。「自分の取り組んでいることに自信が持てず、周りに話をできなかった」という社会人生活からどのように変化していったのか、お話を伺いました。

加藤 慶一

かとう けいいち|トライアスロンクラブ運営
港区トライアスロン連合理事であり、日本トライアスロン連合公認初級指導者を持ち、一般社団法人EARTHで活動中。
持続可能な新しいスポーツコミュニティを創造し、多くの方々にスポーツをすることの楽しさを伝えていくことを目標としている。
今後はこれまで培ってきた経験を活かし、独自の水泳指導を展開予定。

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水泳という居場所


鹿児島県に生まれ、5歳から水泳を始めました。
最初は親に無理矢理入れられたような格好で、嫌々やっていたのですが、
小学5年生頃からタイムが伸び始め、選手コースに移ることになり、
自分自身だんだんとモチベーションが変わっていきました。

また、皆、単純に早くなりたいからそのクラブに通っていたこともあり、
学校とは違うコミュニティ感があり、自分の居場所のように心地良く感じたんです。
もともと、3歳の時から右耳が聞こえず、軽いいじめをうけたこともあったのですが、
水泳はそれが関係ないこともあり、気づけば、親に言われてではなく、楽しいから水泳をするようになりました。

その後、中高も水泳を続け、高校では国体やインターハイにも出場することができました。
不思議なことに、水泳と勉強の出来は比例していて、
高校1年からは両方伸びていくような感覚がありましたね。

高校卒業後は先輩からの勧めで慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスに進学し、
体育会の水泳部として、寮に住んで部活の運営に携わりました。
もともと、コーチも寮の管理者もいない組織だったので、全て自治的に活動を進めており、
色々と勉強するところが多かったですね。

また、選手活動も本気で行っていたのですが、18歳でヘルニアを患ってしまい、
途中1年半は競技から離れることになりました。
それでも、一度も部活を辞めようと思わないくらい、チームへの思い入れが強かったです。

その後、就職活動の時期を迎えると、周りでは銀行や大手企業に進む友人がほとんどの中、

「自分もそうでなきゃいけないのかな?」

という葛藤がありました。
自分のレベルではオリンピックを目指せないことは分かっていましたし、
腰の怪我はだましだまし付き合っているような状況だったのですが、
それでも水泳がしたかったんですよね。

結局、ある実業団に所属し、卒業後も競技を続けていくことに決めました。

これ、楽しいのかな?


ところが、実際に実業団で水泳を続けていくと、
腰の怪我の容態が思わしくなく、結局1年くらいで辞めることになってしまったんです。

それからは、都内の大手スポーツクラブでインストラクターの仕事を始めました。
もともと、漠然と、将来はスポーツクラブに携わりたいという思いがあったので、
自分のやりたいことが出来る満足感がありましたが、
大学の友人には自分の仕事のことを言えませんでした。

自分に対して、自分の取り組んでいることに対して、自信を持って話すことが出来なかったんですよね。

また、実際にスポーツクラブで働いてみると、
自分が思っていたクラブとは違うことに驚きました。
もっと皆目的を持ってくるのかと思ったのですが、
やる気が続かず辞めてしまう方も多く、通っている方同士も個別に運動をするだけで、
仲間感が無かったんですよね。

「これ、楽しいのかな?」

と感じました。

そんなことを考えながら働いていた折、
だましながら付き合っていた腰の怪我がついに爆発してしまい、
手術をすることになってしまったんです。
そこで、3年働いたスポーツクラブを退職し、
同時に行っていた母校の非常勤講師も辞任し、
不動産業界に転職をすることに決めました。

手術の影響で運動ができないということもありましたし、
将来、スポーツ業界に携わりたいという気持ちが変わらずあったので、
資産管理の方法やマーケティングを学べるんじゃないかと考えたんですよね。

同じ目的のために集うコミュニティ


ただ、初めての「陸の仕事」あまり僕に合っていませんでしたね。(笑)
元々色々な人に会ってコミュニケーションを取るのが好きだったこともあり、
内勤が続くのは辛く感じました。
仕事から勉強できる点はたくさんありましたが、最終的には、
自分がやりたいのはこれではないと考え、スポーツ系のメディア企業への転職を決めました。

その会社はフィットネスの業界誌を作る会社だったのですが、
メディアとして、色々なスポーツクラブの取材に携わることが出来る点に魅力を感じたんですよね。
仕事をする中で、自分が関心を持つ分野についての情報にたくさん触れることができました。

そして、スポーツクラブの実情に触れる中で、
いわゆる「箱もの」と言われるスポーツクラブの存在への違和感は溜まっていきました。

マシン・プール・フィットネスと多様性があり、色々な目的をもってお客さんが来るにもかかわらず、
運動は1人ではなかなか長続きしないため、最初の目的を諦めて辞めてしまう人が多いんですよね。
その結果、「会員をとにかく増やして・・・」というモデルになってしまっている。

だからこそ、自分がやりたいことは、スポーツの「コミュニティ」を作ることが近いんじゃないかと考えるようになっていきました。

そんな折、「青山トライアスロン倶楽部」というトライアスロンのクラブのお手伝いをさせていただく機会に恵まれたんです。
もともと、前職のスポーツクラブの時から知っていて、
一緒にイベントを実施しようという話をしていたのが、震災との兼ね合いで流れてしまっていたのですが、
ここは面白いと感じ、手伝わせていただくことになったんです。

そのクラブはトライアスロンをしたい人が同じ目的で集まるコミュニティで、
参加する方のモチベーションも、参加者間の関係性も他とは異なっていました。

自分自身、いつかは目的で集まるコミュニティを作りたいという気持ちがあったこともあり、
コーチとしてクラブに関わったり、ジュニアチームの立ち上げを中心として取り組ませてもらったり、
活動に力を入れていくようになりました。

また、大学を卒業し年月も経ち、気づけば29歳になっていましたが、
やっと周りにも自分の取り組んでいることを話せるようになったんですよね。

そして、そうやって周囲に発信をし始めると、他にも自分の話を聞きたがっている人がいることを感じるようになり、
自然と人が集まっていくような感覚を感じました。

新しい形のスポーツコミュニティを世界中に


現在は「青山トライアスロン倶楽部」の運営や指導を中心に、
ジュニアやキッズチームの指導に注力しています。

東京23区内でキッズのトライアスロンがあるのはここだけなのですが、
子ども達の潜在能力を引き出したり、危機管理能力を養うことが出来、
非常に有益だと思うんです。

また、その他にも一般社団法人にて、トライアスロンや水泳、マラソン等、
東京から世界へ、というコンセプトでスポーツ大会の開催を行ったり、
地域の競技団体である港区トライアスロン連合にも所属しています。

今の日本では、「スポーツ=オリンピック」という風潮があると思うのですが、
もっと幅広いスポーツの形があると思うんです。
例えばスポーツによる地域活性や、自分自身が対象でもある障害者スポーツ等、
将来は、新しい形のスポーツコミュニティを世界中に立ち上げたいなという思いがあります。

そのために今はとにかく色々な勉強ができればと思いますし、
今後の自分自身の活動に幅をもちつつ、チャレンジしていきたいと思います。

2014.11.07

加藤 慶一

かとう けいいち|トライアスロンクラブ運営
港区トライアスロン連合理事であり、日本トライアスロン連合公認初級指導者を持ち、一般社団法人EARTHで活動中。
持続可能な新しいスポーツコミュニティを創造し、多くの方々にスポーツをすることの楽しさを伝えていくことを目標としている。
今後はこれまで培ってきた経験を活かし、独自の水泳指導を展開予定。

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