何のために生きているのか?
ものづくりを通じて僕が次世代に伝えたいこと。
幼い頃から父親と一緒に色々なものをつくっていた高橋さん。現在は京都の南丹市で工芸品の制作だけでなく、若手職人の支援や町の子どもたちにものづくりを体験してもらう教育事業も行っています。日本の伝統工芸を通じて次世代の子どもたちに日本のものづくりのよさを伝えたいと思うようになったきっかけとは?お話をお伺いしました。
高橋 博樹
たかはし ひろき|工芸家のプロデュース
NPO法人京都匠塾、株式会社ぼくらがつくるとこうなりますにて、職人の育成から子どもへの教育まで、
ものづくりを軸とした多角的な事業に取り組んでいる。
NPO法人京都匠塾
株式会社ぼくらがつくるとこうなりますFacebookページ
何のために生きているか?
小学校の頃、よく週末に親父とホームセンターに行って資材を買い、
日曜大工のようなことをして木の玩具や本棚などをつくったりしていました。
そうやってものを一から自分の手でつくることが凄く楽しかったですね。
ただ親父は教育熱心で厳しい一面もあり、反抗期がひどかった中学生のある時にものすごく叱られ、
「お前は何のために生きているか真剣に考えたことがあるんか?」と言われました。
というのも、親父は同じく反抗期の頃に「自分は何のために生きているか?」について真剣に考え、
見つけた答えは「より良い子孫を残すため」だったから、僕にも同じ問いをしたんです。
ただ、僕は親父のその答えに全然ピンとこなくて、
「じゃあ残されたその子孫は、何のために生きるのか?」という疑問の繰り返しになると思ったんです。
だから親父のその答えは違うだろうと思い、僕はとにかく好きなことを突き詰め、人生を全力で楽しもうと考えたんです。
そのため、将来はものを右から左に流すような仕事ではなく、
小学生の頃から好きだったものづくりの世界で何かを生み出す仕事をしようと思っていました。
そして高校2年の時に、ものづくりの中でも、建築の道に進もうと決めたんです。
建築なら得意だった美術と物理が活かせるし、スケールの大きいものをつくれると思ったんです。
そこで大学は神戸にある大学の建築学科に進学し、大学院まで行き6年間建築を学びました。
自分の手でものをつくりたい
大学院を卒業してからは、神戸にある都市計画事務所に就職しました。
そこでは阪神大震災の復興のための再開発事業やビルの設計などのハード面から、
まちづくりの一環として地域の課題を解決するための提案といったソフト面まで、
都市計画に関わる幅広い分野でのコンサルティングをしていました。
そんな仕事を5年ほど続けていたのですが、ある時から設計や提案だけではなく、
やっぱり自分の手で何かをつくりたいと思い始めたんですよね。
小学校の頃に楽しんでいたものづくりは、図面を書いて終わりではなかったと思い出したんです。
また、事務所での仕事自体に不満は全くなかったのですが、その仕事って結局は会社が依頼された仕事で、
自分は会社の仕事を回してもらっている一個人でしかないと感じてしまったんです。
そう思った時に、会社を介してではなく自分と社会が直接対峙して、
「高橋」という自分自身に仕事を頼みたいと思ってもらえる生き方にチャレンジしたいと思ったんです。
ただ、家具や木の小物などを、自分できちんとものをつくるような技術を身につけていなかったので、
ものづくりを一から学ぶため、会社を辞めて京都にある伝統工芸が学べる専門学校に入学することに決めました。
平日は家がある神戸から電車で2時間ほど離れた京都の学校まで毎日通いながら、
週末は三宮にあるダイビングショップでアルバイトをして学費などを稼ぐという生活を送っていました。
親父のあの言葉
ダイビングショップでの仕事はお客さんのダイビング付き添うこともあるのですが、
僕もスタッフとして何度かダイビングに同行させてもらっていました。
ダイビングで海に潜ると、様々な種類の海の生物を見ることができるのですが、
次第に、なぜ彼らはこんなに特殊な形や色をしているのだろうと疑問に思うようになっていきました。
気になって考えていくと、その理由は「敵から身を守るため」「餌を取りやすくするため」「異性の気を引くため」と、
極めて本能的な3つ目的のどれかだという結論に行き着いたんです。
そして、身を守り、食を確保して、異性を魅了するのも、結局繁殖して子孫を残すためで、
これはどんな生物でも同じことだと思ったんですよね。
この考えに行き着いた時、生物が本能に従って生きるということは、子孫を残すために生きることだと分かり、
「自分は何のために生きているのか?」という問いに対する「より良い子孫を残すため」という親父の考えが思い出されました。
そして、親父の答えは間違っていなかったことに気付き、
自分自身も生物として、より良い子孫を残すために生きているんだと実感できたんです。
相手の想いを考えてつくる
そして僕は自分が好きなものづくりを通じて、より良い子孫を残すために生きようと思い、
工芸学校を卒業してからすぐに、若い人にものづくりを伝えていくために京都匠塾というNPO法人を立ち上げました。
このNPOでは主に町の子ども向けにものづくり体験教室を開催し、一緒に木工でお箸や本棚をつくるような活動を始め、
また依頼を受けた地域の小学校へ出張し、子供たちにものづくりを体験してもらうワークショップなども行っています。
このものづくり体験を通じて、子ども達に「人の想いを考えてつくる」ことがものづくりの本質だということを伝え、
ものを見る目を養いたいと考えています。
例えば、誰かへの贈り物をつくるときは、
つくり手は、ものを贈る人から贈られる人への想いを託されていることを理解しなければならないし、
使う人の用途に応じてニーズは変わるので、同じものをつくるにしても、それぞれつくり方を微妙に変えないといけないんです。
それは、機械で大量一括生産をしていたら到底できないことですが、
工芸品などの手づくりのものには、そういった精神が宿っているんです。
そういった、相手の想いを考えそれぞれオリジナルにつくることがものづくりの価値の源泉であること、
また、手づくりでなければその本質を表現できないことを、この京都匠塾を通じて伝えていきたいと思っています。
ものづくりをきっかっけに
さらに2014年の7月に「株式会社ぼくらがつくるとこうなります」という会社を立ち上げました。
ここでは「工芸界の吉本興業になること」を目標に掲げ、
主に若手職人のプロデュース事業に取り組み、工芸家のスターを育てたいと思っています。
工芸家をプロデュースすることで、お笑い芸人のように少しずつ成長を遂げてもらい、
一人前となって工芸界のスターとして、南丹市から世界に巣立ってもらう仕組みをつくりたいんです。
現在の若手の職人たちは、それこそお笑い芸人と同じように、ものづくりだけでは生活できず、
週に5日アルバイトをして週末の空いた時間にものづくりをするような状態です。
しかも、つくるだけではお金にならないので、僅かな時間を使ってネット上で作品を紹介したり、
商品を置いてもらえるよう小売店に営業活動もしていますが
ネットでも簡単には売れないし、見知らぬ職人が持ってきた工芸品をお店に置いてもらうのは正直難しい話なんです。
そのため、僕たちがそんな若き職人たちをネットワーク化してマネジメントを行い、販路開拓や、展示会の機会を提供したりすることで、
彼らがものづくりに集中でき、かつ作品が多くの人に届けられるように環境を整えています。
こうした活動を続けていき、いつか南丹市から工芸家のスターが育ち、
「工芸家の町といえば南丹市!」と認知されるようになれば嬉しいですね。
そして南丹市出身のスター工芸家をきっかけに、工芸自体を子どもに憧れられる産業にしたいです。
さらに将来は、世界に日本の伝統工芸を発信していき、パリに日本の工芸家がつくった作品を販売するお店を出したいと考えていて、
そこで京都匠塾のものづくり体験ワークショップもやってみたいですね。
まだまだ具体的な計画はできていませんが、
海外で日本の伝統工芸が認められることができれば、また日本でものづくりが注目されることになると考えています。
そうなることで日本の子供たちに、やっぱり日本のものづくりは良いと感じてもらい、
それをきっかけに日本に生まれたことを誇りに思って欲しいですね。
そしてものづくりを通じて、自分の生きる意味を見つけ、誇ることができるような次世代が育ってくれたら良いなと思います。
2014.10.22
高橋 博樹
たかはし ひろき|工芸家のプロデュース
NPO法人京都匠塾、株式会社ぼくらがつくるとこうなりますにて、職人の育成から子どもへの教育まで、
ものづくりを軸とした多角的な事業に取り組んでいる。
NPO法人京都匠塾
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