大切な思い出を守り続ける。
データ復旧という僕の使命。
大学在学中にパソコンのサービス・サポート会社を立ち上げたものの、ひょんなことからデータ復旧の仕事をすることとなり、現在も技能者としても活躍されている阿部さん。 高卒で就職した会社を辞めて大学に入り直したり、在学中に起業したりするなど、様々に模索しながら現在に至るまでにはどのようなストーリーがあったのでしょうか。お話を伺いました。
阿部 半兵衛 勇人
あべ はやと|データ復旧会社経営兼技能者
誤って削除してしまったデータや、障害が発生した記憶媒体からデータを取り出す、
データ復旧サービスを行う、株式会社データサルベージの代表を務める。
株式会社データサルベージ
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漫画に影響され、工業高校に進学
僕は宮城県仙台市で生まれ育ちました。
小学生の時から父親の時計やアンプを勝手に分解していじるのが好きで、学校では理科が得意な子供でした。
そして、中学2年生の時にたまたま、工業高校を卒業し、家具制作会社に入社する主人公が出てくる漫画を読んだんです。
話がとても面白く、主人公が最終的にインテリアデザイナーとして成功するのがかっこよくて、すぐにはまってしまいました。
この漫画の影響で、もともと理科が得意だったこともあり、工業高校に興味が沸き、
好きな化学の道に進めるかもしれないということで、地元の工業高校への進学を決めたんです。
実際に入学してからは、学校の勉強の他に、
「レポートを作成するため」という名目で父親にパソコンを買ってもらって、自分でいじってみたり、
ブラスバンドでサックスをやったり、様々な活動をしていました。
そして高校3年生の後半になり、卒業したらほぼ皆が就職するので、
周りの友人たちと同じように化学系の会社に就職しようと考えました。
工業高校は就職活動をしなくても就職できるため、正直将来のことはあまり深く考えてはいませんでしたが、
親元を離れてみたいという気持ちがあったので、千葉にある大手の石油系の会社を選んで入社することにしたんです。
就職するも、自分の未熟さに気づく
実際に入社して研修をしてみると、
高卒の自分は石油化学コンビナートの工場員として働くことがほぼ決定的だということを初めて知りました。
しかし、どうしても工場で働くイメージがわかず、配属前に「研究開発の部署でなければ辞めます!」と言ってみたところ、
なんとかその部署に配属してもらえることになったんです。
ところが実際に働いてみると、その現場は有名大学を卒業し、マスターを取っているような本当に優秀な人たちばかりで、
圧倒されてしまいました。
研究開発がしたいと言ってしまったものの、技能はもちろんのこと、
とにかく様々な面でまだ勉強不足だと感じることばかりだったんですよね。
さらに、高卒で入社した人は課長クラスまでしか昇進できないという現実に絶望を感じていたこともあり、
このまま働き続けていいのかと悩むようになりました。
そこで、とてもお世話になっていたチームリーダーに相談すると、
「今ならまだやり直しがきく」という言葉をかけてもらい、
それに後押しされて1年程経った頃、退職することを決めたんです。
その後は、とりあえずもう一度勉強し直そうということで、地元に戻り、
大学入学を目指して予備校に通い始めました。
そしてそれと同時に、地元の友人たちとまたバンドをやるようになりました。
ライブもたまにやっていたのですが、売上を考えながらチケットを売っていくのがとても楽しくて、
経営の分野にも興味を持つようになり、自分で本を読んで勉強するようにもなりましたね。
また、電気屋でプリンターの販促のアルバイトもしていたのですが、
以前の職場は内勤だったので、お客さんの声を直接聞くことはなかったんです。
でも、このアルバイトではお客さんから直接感謝されることもあり、
そんな反応が見えるのが何よりも嬉しかったですね。
そんな風にどんどんアルバイトにのめり込んでいったので、
大学入学後もやっぱり働きたいという気持ちが強くなり、
昼間は働けるようにと、大学の夜間の経済学部に入ることに決めました。
ひょんなことから、データ復旧専門に
ところが、無事入学できたものの、その時にはそれまでのアルバイトなどの経験から、
働きたいという気持ちが更に強くなってしまい、大学からどんどん足が遠ざかってしまいました。
一方、変わらず経営に興味があったので、何かの分野で会社をやってみたいと考えるようになり、
技能や知識だけで元値もほとんどかからず、高校生の時に買ってもらってから、
ずっと得意だったパソコンを使った仕事をしてみようと思い、
パソコンのセットアップなどを行う、パソコンのサービス・サポート会社を始めることにしたんです。
そして、そのままどんどん仕事にのめり込んでいき、1年程経った頃、本格的に働こうと休学、
22歳の時にはついに中退することに決めました。
その後は、高額の投資をしてもらえることが決まったり、逆に経営に失敗して借金を抱えそうになったりと、
苦労はたくさんしながらも、会社の経営を続けていました。
そんなある日、あるお客さんのハードディスクドライブをいじっていたところ、突然煙が出て動かなくなってしまったんです。
これは大変なことをしてしまったと、大手のデータ復旧会社にすぐに持ち込んだのですが、
直すには200~300万はかかると言われてしまいました。
その時会社にはそんな財力はなく、これは自分でやるしか道はないと思い、
海外の人がやっているホームページなどの情報を参照しながらやってみると、
なんとか自分で復旧することができたんです。
これがきっかけとなり、データ復旧の分野も会社で事業化してやっていくことになりました。
自分も会社も変化させた「震災」
この頃、日本のデータ復旧の大手会社は2社しかなかったので、とても高く値をつけていたのですが、
自分たちの会社はもっと価格を下げてサービスを行っていたんです。
そのためデータ復旧の事業はどんどん軌道に乗り、ついにデータ復旧専門会社としてやっていくようになりました。
その後、サービスの全国展開を始めたり、東京や大阪に営業所を増やしたり、仕事が順調に進み、
利益も以前よりかなり上げられるようになりました。
ところが、ある時から徐々に、会社は順調だったものの目標を見失ってしまって、
自分は何のためにこの仕事をしているのだろうと悩むようになってしまったんです。
そして会社を辞めてしまおうとまで考え、それに伴って業績も落ち込んでいきました。
そんな最中、2011年3月11日の東日本大震災が起きました。
自分が生まれ育った宮城県が津波による大きな被害を受け、自分のデータ復旧の仕事が絶対に必要になると確信し、
すぐに仙台に乗り込みました。
残念ながら震災のような非常時には、不当な値段をつける悪徳データ復旧業者が現れるもので、
どうしてもそのような会社から自分の育った宮城の人々を守りたいと思ったんです。
そして、悪徳業者と戦うためには、もっと表立って自分の意見を言っていかなければと、
仕事への思いや考え方などをSNSなどで発信していくようにもなりました。
それまでは、大手の下のベンチャー企業でしかなく、このまま有名になれなかったら馬鹿にされるのではないかと、
知らないうちにリスクヘッジして、なかなか自分の考えを発信できないでいたんです。
また会社としても、これまでは法人からの依頼がほとんどだったのですが、
個人の依頼がかなり増え、自分たちの仕事によって、涙を流して感謝してくれる人まで現れたんです。
わからなくなっていた仕事をする意味を、感じることができましたね。
個人の大切な思い出を守り続ける
ところが震災から3ヶ月ほど経ち、データ復旧の仕事に追われている最中、
最愛の父親が震災の心労で亡くなってしまったんです。
震災が起きて、人のことを助けたいと言いつつも、自分の一番身近な大切にすべき人をないがしろにしてしまったことに、
後悔してもしきれず、仕事を投げ出してしまいたいくらいとても辛くなりました。
しかし、待っている被災地の方々がいること、
そして何より自分の仕事を応援してくれていた父親のことを考えると、それはできませんでした。
辛い時期はしばらく続きましたが、自分がするべきことは、
一技能者として復旧技能をどんどん進化させていくことだと思い、震災による依頼が少し落ち着いてからは、
一番情報や技能などすべてが集まる東京に戻り、仕事を続けることにしました。
それまでは、自分の技能などの足りなさを露呈してしまうのが嫌で、
あまり同業者とのネットワークを持っていなかったのですが、
ビジネスの垣根なく様々な情報を共有していくことで、
復旧技術の進化に繋げていけるのではないかと積極的に関係性を築くようにもなりましたね。
今後は壊れてから助けてあげるという形ではなく、
壊れる前の「検知システム」を作って、データを守りたいと考えています。
そして、どうせやるなら世界の人々を助けられるようになりたいと思っているんです。
もちろん会社などの法人のデータ復旧もしますが、
それよりもう二度と作り直すことのできない、個人の大切な思い出が詰まったデータを、
一技能者として、今後も守り続けていきたいですね。
2014.09.25
阿部 半兵衛 勇人
あべ はやと|データ復旧会社経営兼技能者
誤って削除してしまったデータや、障害が発生した記憶媒体からデータを取り出す、
データ復旧サービスを行う、株式会社データサルベージの代表を務める。
株式会社データサルベージ
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