木のオーダーメイド家具で日本人にワクワクを!
普通だった僕の、人生のゴールを目指す生き方。
木のオーダーメイド家具ブランドを運営されている石川さん。「お世話になった人に囲まれて、世界一わくわくした状態で死ぬことがゴール」とお話する現在とは対照的に、学生時代は「オール4の目立つ点がないタイプ」だったと話します。そんな石川さんに訪れた転機についてお話を伺いました。
石川 玄哉
いしかわ げんや|木のオーダーメイド家具ブランド運営
木のオーダーメイド家具ブランド『Kijin』を運営している。
Kijin HP
オール4の学生時代
神奈川県横浜市に生まれ育ち、小中高と地元の学校に通ったんのですが、
何か突出しているものもなく、特別だめなものもなく、
「オール4」の学生生活でした。
高校では水泳部に所属していましたが、
特別打ち込んだという訳ではなく、成績は悪くないもののすごく良い訳でもないという状況で、
将来は、それなりに、普通に生きていこうと考えていました。
特別やりたいことはないものの、周りが大学に進学することもあり、
東京の私大の商学部に進学しました。
大学時代はバイトに打ち込む日々でしたね。
塾講師をしていたのですが、その仕事はもちろん、一緒に働いていた仲間といる時間が楽しかったんです。
バイトの後にみんなでご飯を食べにいくことはもちろん、
休みには一緒に旅行にも行くようになりました。
無駄に旅に出て、無駄に面白いことをして、なんだか感性が磨かれていくような感覚がして楽しかったですね。
そんな生活をしながら大学3年生を迎えると、例のごとく通り一遍等な就職活動をしていました。
商社やメーカー、銀行と大学生が憧れやすいところを万遍なく受けるという感じだったのですが、
そんな中、家から大学に通う間の電車からオフィスビルが見える会社があり、
その雰囲気がいいなと思い、後で調べてみると上場している専門商社だったため、
その会社を受けてみることにしたんです。
すると、無事内定をいただくことができ、
他の会社よりも早く決まったこともあり、その会社に入社することに決めました。
石垣の旅人に触れて感じた疑問
そんな経緯で入社したものの、結局配属は大阪の本社となったため、
僕が良いなと思った東京の支社に通勤することはなくなってしまいました。(笑)
配属されたのはインテリアを扱う部門だったのですが、
人事の方からは、「会社で一番忙しい部門に入れてやった」といわれましたね。
実際に仕事を始めてからは評判通りの忙しさで、
最初のうちは仕事ができなかったこともあり、毎日怒鳴られていました。
とにかく忙しく大変な日々でしたが、慣れ始めてからは、少しずつ仕事が回るようになっていきました。
そして、そんな中でも学生時代と同じように、旅に出るようになりました。
特に、卒業旅行で行って以来ハマってしまった石垣島に通うようになり、
1泊2日でも足を運んでいました。
石垣では、いつも同じ民宿で、夜は同じような旅人達と飲んで話をしていたのですが、
オフシーズンの石垣に行くような人ということもあり、
自分の常識の枠から外れた人ばかりでしたね。
年齢も職業も住んでいる場所もバラバラながら、
皆、普通の人がやらないことを平気でやるような「変人」である点と、
人生を最大限に楽しんでいるという点については共通だったんです。
そんな人々と触れ合う中で、自分はこのままでベストなのだろうか?と感じるようになりました。
会社が嫌いな訳ではなかったのですが、
ベストではないんじゃないか、というモヤモヤがあったんですよね。
人生のゴール
そんな風に働いていた折、父親が癌かもしれないという話になり、
大阪から実家の神奈川に帰ることになりました。
その時、勤務先が大阪だったこともあり、親の死に目に会えないような生き方はしたくないな、
とさらに自らの生き方を考えるようになりました。
そこで、どう生きるか決めるために、人生のゴールを決めることにしたんです。
どんな風に死にたいかが決まれば、そのためにどう生きるかが決まると思ったんですよね。
そこで、仮に80歳で死ぬとして、約50年後をイメージしてみたのですが、
もうおそらく医療の技術で死ぬ日が分かるんじゃないかと思い、
死ぬ日が分かったら、知人にDMを送り、日本武道館で「死にます」というライブを1万人の前でやりたいなと考えたんです。
お世話になった人に囲まれて、世界一わくわくな場所にして死んでいきたいと感じたんですよね。
そこで、そんな最期を迎えられるためにはどうしたらいいだろうか考えた結果、
色々な人と関わり、一緒にワクワクできる人にならなくてはいけないなと。
更に、それを仕事まで落とすと、やりたいことをやりたい仲間とできていることが必要だという結論に至ったんです。
じゃあ自分にとってのやりたいこととは何だろうとかんがえたときに、
たどり着いたのは家具でした。
よく考えてみると、仕事自体は決して楽な環境でないにも関わらず、
一度も会社に行くことが嫌にならなかったことを思い出し、
それはなぜか考えてみると、家具が好きなんだと気づいたんです。
加えて、家具を扱っていて、5年10年で買い替えるような風潮への違和感もありました。
本来、家具はその人のストーリーと生きていくものだと言う考えがあったからこそ、
一生使ってもらえるような家具を作りたいという思いがあったんです。
そう考えてからは、とりあえずやってみようという思いから、
27歳にして会社を退職し、家具屋として独立することに決めました。
木のオーダーメイド家具でワクワクを
退職したのは良いものの、知識も経験も人脈も無い中、
「家具屋になりたい」という話をとにかく周りに伝え続けました。
退職後は地元に戻ってきていたのですが、
これまでの自分の枠を外したいと思い、あえて地元のつては使わず、
新しく人に会ってということを繰り返していきました。
そうやって最初は「家具屋になりたい!」という程度で始めたのが、
色々な人に会う中で考えが具体化していき、
最終的には木のオーダーメイド家具・雑貨のブランドを立ち上げることに決めました。
一生使ってもらうためには、リラックスした素材で、オーダーメイドのものがいいんじゃないかと思ったんですよね。
お店の名前は、自分が人に会う時、眼鏡やネクタイ、名刺を木の素材のものを使っていたこともあり、
「木人」にしようと思ったのですが、
オーダーメイドのものづくりはお客さんのイメージ次第で出来上がりが変わるように、
“Kijin”にも色々な書き方があることに気づき、アルファベットの“Kijin”をブランド名にしました。
現在は人の紹介の縁で出会った職人さん2人と連携し、
私がお客さんと一緒に作るものを考え、
職人さんにものづくりをお願いするという流れをとっています。
私自身はデザインもできないですし、家具を作ることも、営業の経験もありません。
それでも、木の良さを伝え、関わる方全員にワクワクしてもらえるような最高のものづくりのため、
自ら仕掛けていく家具屋さんであろうと思っています。
そんな風に、死ぬまでワクワクすることをしていたいですね。
2014.09.04
石川 玄哉
いしかわ げんや|木のオーダーメイド家具ブランド運営
木のオーダーメイド家具ブランド『Kijin』を運営している。
Kijin HP
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