落ち込んでいる時こそ、飛躍のチャンス!
英語も役者も教育も、やりたいことは全部やる。
「やりたいことができると、すぐに次のことを始めちゃうんです」と、とても明るくお話される戸塚さん。今まで様々なことに挑戦し、落ち込んでいる時でも「ポジティブ」だと話す背景にはどんなことがあったのか、お話を伺いました。
戸塚 弘太
とつか こうた|英会話カフェ&スクールオーナー
英会話カフェ&スクールを運営する。
英会話カフェ&スクールALPHA
泣くも笑うも自分次第
私は逗子で生まれ、海のある町で育ちました。
小さい頃から、考えるよりも先に行動しちゃうタイプでしたね。
合唱団に入っていたのですが、親にアメリカの合唱団で団員を募集している話を聞き、
「週末に帰ってくればいいか」と思って、小学6年の時にアメリカに留学に行きました。
アメリカが、遠い国って知らなかったんですよね(笑)
実際に現地に行ってから日本から10時間以上もかかると気付いたもんだから、
最初の3ヶ月は「帰りたい」と泣きながら親に電話をしていました。
しかし、親も不安だったと思うのですが、引き戻そうとせず、いつも僕を励ましてくれたんです。
「泣いて過ごすのも、笑って過ごすのも自分次第だぞ」と父に言われてから、
考え方も変わったし、頑張ろうと思えましたね。
そして3ヶ月位経った頃からは、生活にも慣れて逆に日本に戻れなくなってしまいました。
その後、合唱留学自体は1年で終え日本に帰国したのですが、環境に適用できなくなくなってしまい、
またすぐにアメリカに戻り、合唱団の友達の家にホームステイして過ごしました。
ペンシルバニア州の田舎でのびのびと暮らし、
中学、高校、大学と行ったもの、完全に遊び呆けていましたね。
そして遊びすぎて、大学は1年で除籍になってしまったんです。
初めての勉強
大学を除籍になってからは、日本に戻ってきてアルバイトなどをしていました。
この時期、20歳にして初めての彼女ができたんです。
そして見栄っ張りでカッコつけたいという気持ちと、フラレたくない気持ちが出てきて、
「ちゃんとしなきゃ」と思い、大学に復学することにしました。
除籍だったのですが、反省文を送り、知り合いの助けもあり、
なんとか大学に戻ることができました。
そして、ハワイ大学を目指し勉強するようになったんです。
ハワイの海に行きたかったのと、大学に入り直してイルカの研究をしたかったんですよね。
イルカって、現代の科学でも生態の30%くらいしか解明されていなくて、
高校生の頃から興味があったんです。
ただ、ハワイ大学には無事合格することができたのですが、経済学部だったことに加え、
勉強せずにサーフィンに専念してしまったこともあり、
イルカの研究をすることはありませんでしたね。
そして、ハワイ大学を卒業して、26歳で日本に戻ってきました。
子どもの成長
しかし、卒業できたと思っていたら、
1つ単位が取れていなく、卒業できていないことが発覚しました。
自分でも衝撃的でしたね。
1つの授業のためだけにハワイで暮らすには、さすがにお金がかかるから困ってしまいました。
そんな時、ペンシルバニアにあるテンプル大学で働かないかと誘ってもらったんです。
しかも、事情を話すと、
ハワイ大学で落とした単位の授業をテンプル大学で受けながら仕事をすれば良いと言ってもらえ、
その授業の単位をハワイ大学に送り、卒業できることになったんです。
ありがたかったですね。
テンプル大学のお陰で無事ハワイ大学を卒業という形になり、そのまましばらく働きました。
この時期に役者としての活動も始めるようになりました。
昔からヒーローとか警察とか消防士とかなりたいものがたくさんあって、
役者になれば全部になれると思ったのがキッカケでした。
また、演劇だと舞台セットなどからどうしても創作観が出てしまうので、
映像作品の中で役になりきりたいと思い、個人映画などに俳優として出演するようになりました。
そんな風に何年か過ごしていた時に、
たまたま、日本の子どもをアメリカのサマーキャンプに誘致する仕事を紹介してもらい、
フリーで働き始めることになりました。
元々子どもが好きだったんですが、子どもの成長が感動的だったんです。
寂しい気持ちを乗り越えて成長していく子どもの姿を見て、
過去の自分を見ているような気持もあったんですね。
また、サマーキャンプに参加していた12歳の男の子が、最終日に、
「このキャンプで1つ大切なモノを学んだよ」と言って声をかけてきてくれてくれたんです。
なんだろうと思っていたら、その子が「僕は人をハグする大切さを知った」と言うんです。
この時、なんて素晴らしい仕事なんだと思いましたね。
ただ、仕事自体は素晴らしかったんですが、
キャンプに行くのに80万ほどのお金がかかっていることを知って、辞めることにしました。
一部の裕福な子どもにしかチャンスを与えられないのが嫌だったんですよね。
そして日本に帰国することにしました。
上がるために落ちる
日本に帰ってきてからは、少し内に閉じこもっている時期がありました。
昔は夢を語っていた友達が、全然関係ない会社に入っていて夢を失っていて、
自分だけピーターパンみたいにいつまでも夢を語っていたので話が合わなくなってしまったんです。
働けとか現実を見ろとか、色々なことを言われ、
もう何も聞きたくないと思って、パチンコに明け暮れる生活でした。
ただ、落ち込んでいるものの、
人生は波があって、深く落ちればそれだけ次に高く上がれると考えていたので、
その状況が結構楽しかったりもしたんです。
その後は、借金もあり働く必要に迫られ、引っ越しの会社で働くことにしました。
今まで、規律のあるいわゆる「男社会」で働いたことがなかったので、面白そうだと思ったんです。
実際に始めてみると、仕事も環境も面白かったんですが、
一度怪我をした時に、長く続けられない仕事だと悟り、辞めることにしました。
その後も、興味が湧いたことを思い立ったらやる生活を続け、
ハリウッドに行って役者をやってみたり、
ホストの体験入店やコールセンターのアルバイトをしたりして生活をしていました。
そして、英会話カフェに興味を持ち、社員として2年ほど働き色々と勉強をさせてもらった後、
独立して自分で英会話カフェを開くことにしました。
企業内英会話
今は、前働いていた英会話カフェと同じコンセプトで、
カフェとスクールを併設する店舗を渋谷に構えています。
スクールは英語のレッスンを提供し、
カフェでは全てのテーブルに外国人スタッフを配置し、
コーヒーを飲みながら気軽に話してもらいます。
あくまで先生ではなく、話し相手になるんです。
堅苦しい雰囲気ではなく、カジュアルに英語を話せる環境づくりを徹底しているんです。
今は店舗がメインですが、今後は企業向けに力を入れていきたいですね。
会社で英会話の先生を呼んで授業をしても、教科書通りに進めていくのでおもしろくないし、
1回休むと内容がわからなくなり、それ以降生徒である社員も来づらくなってしまうんですよね。
だから、あくまで話し相手としての外国人スタッフに、
カフェテリアや会議室に朝や昼の時間にいてもらって、そこで会話楽しんでもらう風にしたいんです。
英語はコミュニケーションなので、カジュアルに話せた方が良いですからね。
また、英語は使い道がないと学習を継続できないので、
英会話スクールで学んだ後に、留学や旅行への斡旋も行っていきたいです。
将来的には、参加費無料で子どものサマーキャンプを企画したいと思っています。
スポンサーを付けて、海外の大学などとも提携して、なんとか形にしていきたいですね。
私たちのような大人は、子どもの環境を作るために力を注いでいくべきだと思ってますからね。
私は本当に考えることが苦手で、できないことが多かったんですが、
だからこそ「できること」は何か必死に考えて、軸を作ってきました。
その軸さえあれば、やりたいことに何回でも挑戦できると思うんです。
今までやりたいと思ったことは何でも飛び込んできましたが、自分で決めたことだったから後悔はしていません。
今もやりたいことがたくさんあるし、これからも増えていくと思いますが、
全部にチャレンジしていきたいですね。
2014.08.22
戸塚 弘太
とつか こうた|英会話カフェ&スクールオーナー
英会話カフェ&スクールを運営する。
英会話カフェ&スクールALPHA
編集部おすすめ記事2019.10.11
編集部の伊藤です。秋は悩みの多い季節と言われます。例えば、ファッション。先週真夏日があったと思ったら、今週は台風到来と秋は天気が激しく変わるので、何を着るか悩みますよね。でも、そこで無難なファッションを選ぶと気分が上がらない。ファッションが心理状態に与える影響の大きさは様々な研究が示していますが、実はanother life.にもその実例があるんです。今回は、ファッションをきっかけに自分に自信がついた3名のストーリーをご紹介します。ぜひご覧ください。
寝たきりの17歳と社会を繋いだファッション。恩返しのためにパイオニアとして切り拓く道。
ファッションを通じて自信を取り戻してほしい!コンプレックスをチャームポイントに。
人生にBefore/Afterを!「短髪・体育会・ジャージが私服」だった私だからできること。