圧倒的大繁盛・裏切り・渋谷での完全復活。
馬肉屋として目指す大人が楽しめる飲食体験。
都内に新しく馬肉を扱う飲食店を開く平山さん。爆発的な繁盛、仲間の裏切りと、23歳で飲食業界に飛び込んでからの壮絶な経験の先に何を思うのか、新しい挑戦の日にお話を伺いました。
店長をやらせてもらえませんか?
大阪に生まれ、地元の高校・大学に通いました。
高校時代は特にやりたいこともなく、楽しいことだけをやっているようなタイプで、
特に大学に行きたいという気持ちもありませんでしたが、
世の中的な目を考え、一応進学することにしたんです。
そんな調子で進学したものだから、大学はめちゃくちゃ面白くなかったですね。
そもそも駅から遠かったこともあり、「やってられへん」と思い、心が離れていきました。
サークルを見てもピンと来ず、学校に行かないから友達もできず、
完全に大学とは疎遠になってしまい、バックパッカーとして旅行をしていました。
とはいえ旅行にもお金がかかるので、焼き鳥屋でバイトをし始めました。
働いていたのは石焼の焼き鳥屋で、従業員が焼く形態だったのですが、
仕事をするうちに、お客さんと話をしながら調理する楽しさに目覚めていきました。
いわば、プチ・プレゼンテーションで、石で焼く理由を話すか否かでお客さんの反応が全然違い、
まるで味が違うようなんです。
そのうち、もっとこうしたら反応が変わるんじゃないかと工夫をするようになり、
バイトに没頭していきました。
その後大学は休学し、バイト中心の生活をする中で、
ある時店長が辞めてしまうことになりました。
そこで、
「それだったら、俺に店長をやらせてもらえませんかね?」
と掛け合ってみたんです。
お客さんとのやり取りの中で手応えもあり、
「もしかしたら、俺がやったら売り上げが上がるんじゃないか」と思ったんですよね。
幸い、社長も30代で理解があったため、23歳ながら店を任せてもらうことになりました。
それからは、せっかく店長になるということもあり、そのグループの伝説となっていた、
オープン時の売上を超えようという目標を掲げ、店を切り盛りし始めました。
店を引き継いだ初めは、1日1組来るかどうかという状況だったこともあり、
看板を変えたり、名刺を貰ってメールをしたり、とにかくできることはなんでもしましたね。
自分たちで食べてもうまいのだから、ちゃんとやったら流行るという思いがあったんです。
今まで溜めていた行き場の無いエネルギーを、ここぞとばかりに費やしました。(笑)
その結果、1年で目標としていた伝説的な売上記録を超えることができたんです。
馬肉との出会い
そして、ちょうど1年経った頃、外食専門のヘッドハンターから連絡をもらい、
京都の染物屋が経営する京料理屋の店長として、引き抜かれることになったんです。
話が面白そうだったこともあり、「おっけ、やりましょう!」と即答しましたが、
実際に働き始めてからは、18席の店から80席の店に移ったこともあり、
これまでと勝手が違い大変でしたね。
その店は紙のクーポン冊子での集客に頼っていたのですが、
京料理が割引となるとブランドが無いと思い、
その代わりに、徐々に普及し始めていた飲食店の検索・予約サイトの説明文の枠に目をつけ、
そこでのプレゼンテーションに力を入れてみたんです。
まずは店のおすすめを考え、それを中心に文章や写真を色々と変えてみて、
というのを繰り返しました。
電源の切り方すら分からないほどのパソコン音痴でしたが、
買ったばかりのパソコンを使い倒していじってみると、驚くほど人が集まってきたんです。
売り上げ不振を脱したいという時期に店長になり、昨年対比で4年以上プラスを出し続けました。
ところが、京料理の職人とずっと仕事をしていたこともあり、
周りにものすごく気を使いながら働いており、若干つかれてしまったんですよね。
そして、自分が精神的にしんどいと思いながら頑張る必要はないなと思ったんです。
そう考えてからは、店を辞めることに決めました。
その後、無職の状態で結婚し、飲食を転々としていました。
これまでの経験から、自分の方針で経営するには、自分で店を持たないと意味が無いなという思いがあり、
何で独立しようか考えていたんですよね。
そんな折、知り合いから、「めちゃくちゃうまい馬肉屋がある」という話を聞き、
行ってみることにしました。
すると、そこでたべた馬肉がものすごくうまかったんですよね。
馬の焼き肉だったのですが、どう考えても牛よりもうまかったんです。
「よし、これしかない」
と思いましたね。
それまでも焼き肉や寿司等で価格破壊の波は起こっており、
同じことが馬肉でも起こるんじゃないかと思ったのに加え、
プレゼンの余地がある料理だったのも決め手でした。
自分で店を持つにあたって、大人が楽しい場所じゃなきゃダメだという考えがありました。
自分自身好きで外食をすることが多かったのですが、
どこもありきたりで飽きてしまっていたんですよね。
だからこそ、「飯を食いにいくことが面白い」ことを大事にしたいという気持ちがあり、
そういった点でも、馬肉はぴったりだったんです。
あいつはもう終わった
とはいえ、資金に関しては集めるのに苦労しました。
こんな店をやるから、と親戚を頼んで回ったのですが、
そんなの流行らないと言われてしまい、なかなか見つからなかったんです。
ところが、それを見ていた親からなんとか300万円を借りることができ、
大阪の福島に小さな店を構えることができました。
お金が無かったこともあり、駅からは遠い裏通りのオフィスビルでしたし、
テーブルはIKEAのものを使っていました。
それでも、情報がありすぎて面白くない社会になってしまっていたからこそ、
今度は全く情報を開示せず、口コミだけに任せてみたんです。
そして、開店から3ヶ月たった頃から、店がめちゃくちゃ流行り始めました。
圧倒的に流行ったんですよ。
ものすごくうまく、物珍しいので、グルメな人たちがとにかく集まってきたんです。
その後、資金提供をしてくれる社長も現れ、
株を半分ずつ持つ約束で、一緒に会社を作り、
大阪の天満に2つ目の店を開きました。
ここでもまた資本参加してくれる人が現れ、株式を3分割するという話を交わし、
店はどんどん成長を続けていきました。
ところが、そんなある時、会社自体の管理を任せていた社長に呼び出され、
役員を辞めてくれ、と告げられたんです。
いつかちゃんと分配しましょうという前提で、信用して一旦株式は全てその社長が保有していたのですが、
お店が軌道にのったタイミングで、人が変わったような物言いになったんです。
裏切られたんですよ。
「話が違う!」と腸が煮えくり返りそうになりました。
自分には子どもが2人いたし、なにより、親が出してくれたなけなしのお金で開いた店でした。
なんとかできないか、と弁護士さんを回ってみたものの、法律的にできることはなく、
元々持ち出した300万円を返してもらうのが関の山でした。
怒りはもちろん、大きな悔しさがありました。
業界の仲間内では、「あいつはもう終わった」と囁かれ、
人も離れていきました。
失ったものはあまりに大きく、気持ちを切り替えるのにはかなり時間がかかりました。
でも、このままで負けられないと感じたんです。
「絶対復活してやるからな。」
と強く胸に誓ったんですよ。
なんやねん俺の人生
「よっしゃ、東京で勝負したろう」
それが、自分が出した答えでした。
23歳で店長になってから、何でやるかは決まっていないものの、
いつかは東京で店を持とうという目標がありました。
そして、大阪を超える復活をするためには、東京で勝負するしかないと感じたんです。
2店舗目で資本参加をしてもらいながら同じように辞めることになった方を誘い、
絶対流行らせるという覚悟のもと、東京の渋谷に「ロッキー馬力屋」という店を開きました。
ところが、最初はなかなか軌道に乗らず、お客さんが誰も来ない日すらありました。
予想はしていたものの、さすがに厳しいなと思うようになり、
ついには、家にある現金が1万円を切り、このままだと潰れるという状況に陥ったんです。
それでも、美味しさへの確信は変わらず、変な自信はありました。
そんな折、お店の近くのオフィスで働く常連さんが、
「美味しいのにお客さんが来ないのがもったいないね」
と、ブログやTwitterでお客さん集めを手伝ってくれたんです。
そして、今度は初めて見る方とお店に来てくれたな、と思っていたら、
翌日から急にお店が満席になり、予約の電話が止まらなくなったんです。
何が起こっているのか全く分かりませんでした。
つい先日まで閑古鳥が鳴いていたのが、電話が鳴り止まなくなり、
子機の充電ができず、ついには電話がつながらなくなり、
お客さんがお店に入れなくなるほどに押し寄せてきたんです。
後で聞いてみると、有名なブロガーの方が店を紹介していただいていたとのことで、
それを発端にIT系の人を中心に、どんどん人が集まってきたとのことでした。
九死に一生を得たような感覚でした。
東京の渋谷意外では絶対に起こらないようなことでした。
「なんやねん俺の人生」
と、生まれて初めての感情を抱きました。
大阪で裏切られてから、東京での独立を決意し、店を開き、
誰も来ないような相当しんどい時期を経て、
店が満席になるのを見て、感動が止まらなかったです。
完全復活でした。
夜、店を閉めて家まで自転車で帰る途中、
目がうるうるしてきたんですよね。
それでも、勝負はこれからだ、と再び気を引き締めたんです。
飲食が好きなんですよね
それ以来、店はものすごい勢いで流行っていき、
ありがたいことに予約が取れなくなることも増えていきました。
ただ、やはり人と一緒に店をやっていてもスピード感が出ず、
パワーバランスの難しさもあったため、
もう一度、自分1人で独立することに決めたんです。
現在は、都内で新しい馬肉屋を開店するための準備を進めています。
これまで、馬肉を広げることをやってきて、ロッキーがすごく流行って、
自ら馬肉の店を立ち上げるのは、これが最後にしようと思っています。
馬肉の店もある程度増えてきて、放っておいても大丈夫かな、と思えたんですよね。
その最終形態として、今度は大人が楽しめるお店を作りたいんですよね。
新しいお店では、馬肉を焼くためにオーダーメイドで釜を作ってもらい、
クラウドファンディングなども絡めて、今までに無いようなお店にしようと思っています。
今後は馬だけでなく、他の業態でも店を持ちたいと考えていますし、
いつか必ず海外で店を開くことを決めています。
23歳からの飲食人生で、広告は一度も使わず、売上も昨年対比で落としたことも無く、
自信があるんですよね。
あとは、結局、飲食が好きなんでしょうね。
うまいもんを出して、「うまいね」と言ってもらうまでのレスポンスの早さが好きなんです。
「いつなら予約取れるの?」と怒られるのも最高です。(笑)
成功体験が気持ちよすぎて、その中毒になっているんですよね。
2014.08.20
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