「大人」になっていた自分に気づいた大学4年。
感情を表現するサプライズで、心温まる感動を!

プロポーズ時のサプライズやフラッシュモブの仕掛けを仕事とする田中さん。大学は経営学部で、新卒で入社した会社はロジカル重視のIT企業という、サプライズとは一見かけ離れた道を歩んだ田中さんですが、大学4年生の時に出会ったとあるきっかけで現在の活動に。いったいどのような背景があったのか、お話を伺いました。

田中 良洋

たなか よしひろ|プロポーズプランナー
プロポーズプランナーとして、サプライズやフラッシュモブの仕掛け行う。

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自然の中で得た経験


私は神戸で育ったのですが、
小さい頃から毎年夏休みになると母親の実家の鹿児島に行き、
8人いる従兄弟たちと遊んでいました。

ゲームなどない自然だけの環境の中で、
山や神社の裏で遊んだり、自分たちでオリジナルの遊びを考えたりしていましたね。
毎年夏休みがすごく楽しみでした。

そんな自然の感覚を求めてか、
中学では「スキーができる」ということに惹かれてワンダーフォーゲル部に所属しました。

ワンダーフォーゲル部は、春は山登り、冬はスキーに取り組みましたが、とにかく過酷でした。
中高一貫校で、高校生と中学生では体力が違うし、
生半可な気持ちで望むと命の危険にも関わるので、上下関係も厳しかったんです。

辞めようと思ったことが何度もありましたが
「最後まで続けたら何か残るから」という先輩の言葉を信じ、続けていました。

その後、高校2年の春、現役引退の合宿では部長として妙高山に登りました。
この時は、部員同士をまとめて引っ張っていくリーダーというものが何なのか、悩みましたね。
チームの状況が悪く、途中で登山の断念を迫られたりもしましたが、
メンバー1人ひとりと対話し、進むべき道を指し示すことで何とか乗り越え、
頂上で観ることができた景色は、忘れられない光景になりました。

その後、部活を引退して受験期の時に、親が買ったビジネス雑誌が家に置いてあり、
そこにあった「就職に強い、ゼミ特集」という記事が目に留まりました。
そこで紹介されていた、神戸大学のゼミに惹かれ、また経営学部でリーダーシップの授業があることを知り、
神戸大に入学することにしたんです。

「大人」になっていく自分


大学に入学してからは、アルバイトくらいしかせず、
授業もあまりまじめに受けていませんでした。

ゼミは3年からだったし、自分はゼミにて学ぶ目的を明確にして入学していたので、
他の学生とは違うと、天狗になっていたんです。

しかし、ゼミ選考の時、2年間何もしていなかった自分に気づき、非常に焦りました。
志望したゼミは倍率が学内で1番高いゼミで、
エントリーシートを書くときに大学時代の経験の欄がほとんど書けなかったので、
受からないかも知れないと思ったんです。

それでも何とか合格することができ、無事にゼミに入ることができたのですが、
メンバーの優秀さに驚き、天狗の鼻が折れ、
自分も何かしなければ、と学生団体などに入るようになりました。

学生団体で関わる仲間もやはり意識が高く、刺激を受けた自分は、
父が経営者だった影響もあり、
「将来は起業をする。でも、起業は問題を解決するための手段でしかない」
と言うようになっていきました。

そうやって将来を分かったような気になって真面目に語る、大人になっていったんです。

起業のための第一ステップとして、成長環境と言われていたITベンチャーの会社に入ろうと思い、
サマーインターンを通じて、内定をもらうことができました。

サプライズプロポーズとの出会い


そんな大学生活も最後の4年生になった2008年5月14日、
友人に誘われて京都の鴨川で行われるという、
サプライズの公開プロポーズを見に行きました。

実は僕も昔、サプライズをしたことがありました。

毎年、母親の実家がある鹿児島に親戚一同が集まり、一緒に年を越すのが習慣でしたが、
大学2年生の時は他の予定があって、僕の家族は行けなかったんです。

しかし、12月29日くらいに親戚と電話で年末の挨拶を済ませた直後に、
「もしかして、今から突然行ったら驚かれるんじゃないか?」と考え、
家族みんなでその日の夜から突撃訪問したんです。

すると、来る予定のなかった田中家の登場に親戚一同驚いて、
そしてまた喜んでくれました。
滞在時間は半日くらいだったんですけどね。

この時のことがなんとなく印象に残っていたので、
その友人に誘われたプロポーズも見に行こうと思ったんですよね。

そうやって見に行くことになった公開サプライズは、
鴨川の川岸に座っている、名古屋から旅行に来た女性に対して、
突然彼氏が対岸に現れて、愛の告白をするというものでした。
最初は彼氏が名前を呼んでも気づかなかった彼女が、
何度か名前を呼ばれる内に気づき、プロポーズされたんです。

最初は興味本位で見に来ていただけでしたが、
本人たちもその場にいた周りの人もみんな喜んでいるし、とても感動的だったんです。
人生で初めて、自然と涙が出てきた瞬間でした。

そして、そのサプライズに含まれる「子どものような遊び心」を、
大人になっても自由に表現して良いんだと、許されたような気持ちがしたんです。

もっと自由に表現を


また、そのサプライズを見ながら、アルバイトしていた塾で担当していた、
小学3年生のある生徒のことを思い出しました。
勉強ができる子ではあったのですが、
いきなり天井をぼーっと見つめたりと、勉強に対して興味がない様子を見せるとがある子で、
何を考えているのかを聞くと、
オリジナルで考えたウルトラマンを載せるサイトが好きで、そのことを考えていると言ったんです。

そこで、後日サイトを見てその子に感想を伝えたのですが、
勉強を教えている時には見たことのない嬉しそうな顔をして、
あれこれとウルトラマンについて話をしてくれたんです。

その時、こんなに興味があるなら、勉強ではなく、
もっと自由に、興味のあることを伸ばしたほうが良いんじゃないかと思っていたんです。

そして、同じことを、サプライズプロポーズを見て、自分自身にも感じたんです。
気づけば「大人」になり、子どものように自由に考えることに蓋を閉じていたんですよね。

サプライズは、子どもみたいに自由に感情を表せるものだと感じ、
将来は自分もサプライズを仕掛ける仕事をしようと決めました。

心温まる感動を


将来の目標はできたものの、
まずは修業が必要と考え、内定先のIT会社にコンサルタントとして入社しました。

社会人になってからは、働きながらSNS上でサプライズコンサルタントの人を見つけ師事したり、
社会人2年目あたりから起業塾にも通い始めました。

そして、4年目になり、会社以外の仕事で少しお金も稼げるようになり、
そろそろ力がついてきたと思った段階で、会社を辞め、
「サプライズプロデューサー」として独立することにしました。

初めは、フラッシュモブのイベントを企画したり、
誕生日や結婚式のサプライズ、会社の記念パーティーなど、
頼まれたイベントのサプライズを幅広く企画を行いました。

ただ、そんな活動を通して、
人によってサプライズの定義が異なるということを感じたんです。
自分がやっていることが広すぎて、結局何をやる人か分からないということもあり、
お客さんからすると、どんな仕事を頼めば良いのか分からなかったので、
どこかに特化しなくては、と模索しながら活動をしていました。

そんな中、ある関西で手伝いを頼まれたプロポーズが、ものすごい反響が良かったんです。
参加者の「引き出したかった顔」を見ることができたし、
使ったお店のオーナーからお店の宣伝に使いたいと、写真を求められました。
ダンスのエキストラに出た人たちも、自分たちのダンスに新たな喜びを感じたと言ってくれ、
そこにいた人たち全員が喜んでくれたんです。

これが自分がやりたかったとこだと思える、ひとつの集大成の形になりました。

それからは、プロポーズに特化してフラッシュモブやサプライズを行う、
プロポーズプランナーとして活動することに決めました。

僕にとってサプライズは、気持ちを伝えるひとつの手段でしかないと考えています。
「ありがとう」という気持ちに、少しだけ遊び心を加えただけで、
子どもの頃に持っていた、
「親を喜ばせてあげたい」みたいな純粋な気持ちを引き出すきっかけだと思うんです。

だから、相手が喜ぶかどうかが大事なので、
何でもかんでもサプライズを提案するということはしていません。
プロポーズ相手がサプライズを喜ばないタイプの人だと感じたら、
別の形をご提案することもあります。

今はプロポーズに特化していますが、
心温まる感動をつくるということを自分の理念として大事にし、
人生の様々なシーンにおいて、サプライズのカタチを創りあげていきたいと考えています。

2014.08.14

田中 良洋

たなか よしひろ|プロポーズプランナー
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