やりたいことで生活をする!
保育と沖縄の海、どちらにも関われる仕事。
「子どもの笑顔に、たくさん元気がもらえる」と、とても楽しそうに保育の話をされる木内さん。しかし、小さい頃から保育士をめざしながらも、保育園を経営するようになるまでには、様々な紆余曲折がありました。そんな木内さんのお話を伺いました。
木内 清佳
きうち さやか|保育園園長
沖縄にて体験型あおぞら保育『わんぱくしーさー保育園』を経営する。
子どもと関わる仕事
私は東京で生まれ、小さい頃から保育士になりたいと思っていました。
5歳年下の妹がいて、妹の友だちの面倒をみる機会が多く、漠然と将来子どもに関わる仕事がしたいと思い、保育士を目指すようになったんです。中学や高校の時、夏休みにボランティアで保育園に行ったりしてその気持はいっそう強まり、大学は保育士になるための学校に行きました。
しかし、大学卒業後の進路を決める時に、このまま保育士になって良いのか悩むようになったんです。
それまでは子どもと関わる仕事は保育士しか知らなかったのですが、TVや本などで、発展途上国でのチャイルドケアについて知り、保育士以外にも色々な形で子どもに関わる仕事があると知ったんですよね。
そこで、まずは様々な世界を知る必要があると考え、ほとんどの同級生が保育園や幼稚園に就職が決まっていく中、就職をしないことに決めました。
途上国でのチャイルドケアの活動にも強く興味を持ち始めていたのですが、その時点では語学力が不足していたことと、単身で海外生活を始めることに不安もあり、まずは国内で一人暮らしをしながら、留学資金を貯めようと考えるようになりました。
また、元々沖縄の文化や雰囲気が大好きで、よく旅行に行っていたのですが、たまたま旅行パンフレットでリゾートホテルに託児サービスがあることを知り、沖縄に行くことに決めました。
託児と海と海外
実際に沖縄ではホテルで働くことになりましたが、そのホテルでは託児サービスを始めたばかりで、最初は和食レストランで働くことになったり、託児用の部屋がないので客室で子どもを見て、部屋が空いてない時は子どもたちとホテル内を転々としたりと、大変でしたね。
夏は沖縄のホテル内のキッズクラブで、冬は地元東京の保育園で保育の仕事に携わっていました。そんな生活を通じてどんどん沖縄が好きになり、将来は定住しようと考えが固まっていきましたね。
そして資金が貯まった段階で、オーストラリアに留学に行ったんです。英語は殆どできませんでしたが、ホームステイしながら幼稚園で働くプログラムに参加し、新しい発見がたくさんありました。
特に、私の働いていた幼稚園の「曜日制登園」は驚きました。家庭の都合に合わせて登園曜日を選択することができる、といったことが可能で、週5日預からなくて良いので、より多くの子どもを預かることができたんです。今までそんな制度を知らなかったので、驚きましたし、家庭にとっても非常にメリットのある仕組みだと感心しましたね。
その後4ヵ月ほどで日本に帰国してからは、地元東京の保育園で働き始めました。留学でお金を使い果たしてしまったので(笑)。それから1年ほどその保育園で働いた後、改めて沖縄に住むことにしました。
保育から離れる
3度目の沖縄生活として戻ってきた時には海の仕事に憧れを持ち始めていたので、保育ではなく、ホテルのマリンカウンターのスタッフの道を選びました。夏の間だけの短期リゾートバイトなので通常は寮暮らしですが、移住の覚悟を決めていたので家を借り、住民票も移しましたね。そして秋になりリゾートバイトの契約が満了する頃、沖縄の保育園に就職しました。
この時、初めて沖縄の保育園で勤務をしてみて、保育士の所得の低さを実感しましたね。立場上、副業が認められないため、保育だけでは1人暮らしの生活が成り立たないことを痛感し、「好き」だけでは続けていけない現実を突きつけられたんです。
3月で任期を満了する頃には契約更新の話もいただきましたが、生活を考えると継続することを選べず。次の進路に悩んでいた時に、新設予定の夜間保育園の園長にならないかとの誘いと、ダイビングショップの手伝いの誘いを、同時に受けました。
23歳の私にとって、ただでさえキャリアが浅い中、園長職は未知の世界で、責任の大きさに不安と怖さを感じました。散々悩んだ挙句辞退し、ダイビングショップの手伝いを選択したんです。
そしてダイビングの補助やジェットスキーの操船などの業務などに携わるうちに、もっとしっかり海のことを学び、自信を持ってお客さんの前に出たいと感じ、ダイビングのプロを目指そうと決意しました。
当時持っていた一番初級のオープンウォーターのランクからインストラクターのランクまでを、わずか2ヶ月程で上り詰めました。
その頃、一緒にダイビングショップを手伝っていた仲間と独立して、新しいお店を立ち上げました。
託児×海遊び
ダイビングショップを立ち上げてからは、とにかく忙しかったですね。インストラクター業、経理事務、ダイビングタンクの充填業務、運搬等、様々な仕事をしました。また、ツアーに来た親御さんがマリンスポーツで楽しんでいる間に、子どもを預かるサービスも始めたので、少しずつ子どもと関われるようになりました。
しかし4年ほど働いた頃に身体を壊してしまい、入院することになったんです。
休養期間中は、この後どうするのか考える時間に充てることにしました。27歳になり、インストラクターとしての仕事はもう長くできないし、そろそろ保育の道に戻ろうと思うものの、生活するほどは稼げないことに悩みを抱えていたんですよね。
そんなある日、子どもたちに海遊びを教えている夢を見ました。目覚めた時、「ああ、これだ」と思いましたね。それまでは、預かると言っても、一時保育園的な機能だったのですが、預かった子どもと一緒に、海で遊べば良いと気づいたんです。ちょうど友達から、園舎を持たずに、バスで公園などを移動しながら子どもを預かる保育園の話を聞いていたのも影響したんだと思います。
そして、預かってる子どもと海で遊ぶというコンセプトの託児サービスを、個人で始めました。もちろん1歳の子どもなど、海で遊ばせられない子もいるので、そういう子は自宅で預かりました。同時に夜中のコールセンターで仕事をすることになったので、託児の仕事でお金を稼がなければならないというプレッシャーはなく、自分のペースで子どもと関わることができました。
やるしかない
4年位そんな生活をしていたある時、沖縄で福祉事業の投資を考えている人を紹介してもらいました。
正直それまでは、生活に満足もしていたし、自分で何かを立ち上げるにはパワーがいるので、保育園を立ち上げようとは考えていなかったのですが、その人と話していくうちに、これはチャンスだと思い、正式に保育園を立ち上げようと思うようになったんです。
そして事業計画も作り、コールセンターの仕事も辞めて、いよいよ立ち上げという時に、出資予定だった人が資金力不足で融資を受けられず、出資できない状況だと判明したんです。
私は仕事も退職してしまい、稼ぎがなく後には引けない状態だったので、「やるしかない」と腹をくくって、1人で立ち上げることに決めました。実績もなく、規模も小さい園認可外保育園にどれだけの園児が集まってくれるのか、本当に不安でしたね。
そして、開園日の園児数はたったの3名でしたが、順調に園児は増えていきました。
ただ、園生活も、それに伴う行事も全てゼロから創り上げなければならない大変さと共に、経営を守るだけではなく、子どもの命、保護者の思い、保育者達の生活を預かる立場としての大きな重圧を感じ、押し潰されそうになる毎日でした。保育者も含め、ここに関わる全ての人にとってより良い環境を整えることがなかなかできず、自分の力不足で眠れない日々や、涙を流す日々もたくさんありましたね。
しかし、挫折しそうになる日々の中で、そんな私の背中を押し手助けしてくれる職員達や、温かい言葉を掛けて応援してくれる保護者達が現れ、そのお陰で3年経った今では園児数も定員に達し、入園をお待ち頂く程にまでなることができました。今現場で働いてくれている職員達には本当に感謝しています。
3つの柱
私たちの保育園では「あおぞら保育」「体験型保育」「裸足保育」の3つを保育の柱に掲げ、子どもたちに海での遊びを通じて、自然の大切さを感じ取ってもらえるようにしています。毎日午前中は海に出て遊んだり、こんにゃくや醤油や味噌をつくるといった、家ではできないような体験をしたりするようにしています。
この活動を通じて、子どもたちだけでなく、保護者や保育士にも自然の大切さを感じてもらいたいと考えています。
今は規模の小さな保育園なのでこれからもっと大きくし、たくさんの子どもを受けられるようにしていきながら、設備や保育内容を含めた園を取り巻く環境をより充実させていきたいですね。
そしていつか卒園した子どもが保育者として戻ってきて、一緒に働ける日が来るといいなと思っています。
2014.08.08
木内 清佳
きうち さやか|保育園園長
沖縄にて体験型あおぞら保育『わんぱくしーさー保育園』を経営する。
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