子どもに夢を見せられる大人でありたい!
私がモデルとスポーツを通じて伝えたい思い。
フリーランスとしてモデルをやりながら、スポーツの魅力を伝える活動をされている本山さん。ご自身が長年関わってきたスポーツを通じて伝えたい思いや情熱、そその背景についてお話を伺いました。
本山 友理
もとやま ゆり|フリーで活動するモデル
フリーランスとして、モデル活動をする傍ら、スポーツ経験を活かし、ラジオや雑誌で選手への取材やインタビューを行う。
カッコいい大人との出会い
私は、幼少期を九州の長崎で過ごし、小学校では6年間ソフトボールをやっていました。体を動かすことが好きだったため、中学校でも運動部に入ろうと思っていたのですが、私の入学した学校には卓球部とソフトテニス部しか運動部が無かったんですよ。
どちらにしようか凄く迷ったのですが、なんとなく小学校でやっていたソフトボールに似ている気がしたので、とりあえずソフトテニス部に入部することに決めました。(笑)
そんな風に軽い気持ちで始めた部活でしたが、やっていくうちにどんどん好きになり、「もっと、上手くなりたい!」という思いが強くなっていったので、高校はソフトテニスの強い福岡の学校へ進学しました。
地元の長崎から離れている高校だったため、寮生活を送っていたのですが、山のようなルール、厳しい上下関係など、たくさんの制約の中で毎日生活をしなければならなかったので、一日一日がとにかく修行でしたね。
そんな寮生活に加えて、強豪校ということもあり、練習も当然厳しかったので、体力の限界に挑戦する日々でした。あまりに疲れてしまったときには、空を見上げて、「あぁ、あの飛行機に乗ってどこか遠くへ行きたい」なんて現実逃避をすることもありました。(笑)
そんな辛い中でも諦めなかったのは、高校の部活の顧問の先生があるときに下さった「人生思い通りになるんだぞ!」という言葉があったからでした。
それまで私が出会ってきた大人の方は「夢なんて叶わない、自分のやりたいことなんてできないよ」と言う方が多かったので、先生にその言葉を聞いた時はとても衝撃的で、「私もこんなカッコいい大人になりたい」と強い憧れを抱きましたね。
本当に辛い部活でしたが、その言葉でいつも自分を奮い立たせて努力を続け、最後は全国大会で団体ベスト8という結果を残すことができました。
頂いた機会を大切にしたい
高校を卒業する頃になると、将来はマスコミ関係の仕事をしたいと思っていました。
高校の部活で韓国に遠征に行ったとき、日本での報道から事前にイメージしていたものと、実際に自分の肌で感じた現地の人の空気感や雰囲気の間に、いい意味でギャップを感じたんです。その体験から、自分で事実を伝えられるような仕事がしたいと思ったんですよね。
そのために、テニスの実績と小論文で受験ができるAO入試を利用して、東京都内の私立大学のキャリアデザイン学部に入学しました。
入学後は体育会のソフトテニス部に所属しながら、将来の夢を叶えるために、マスコミ業界の勉強ができるような課外授業にも出ていました。
その授業は、実際に出版業界で活躍されている方から、直接お話を聞くものだったのですが、ある日登壇している方の助手で、学生の進路支援をしている方に「良かったらプロダクションに入って、モデルとして活動してみたらどう?」と声をかけられたんです。
最初は正直、モデルというものにあまり興味はなかったのですが、少しずつ色々な方とお会いしていくうちに、せっかく頂いた機会を大切にしたい、と思うようになっていきました。沢山不安なことや迷いもあったのですが、最終的には、「とにかく、やってから考えよう」という結論に至り、プロダクションに所属し、モデルとして活動してみることに決めました。
ソフトテニスかモデルか
実際にモデルとして活動を始めてみると、何もかもが難しくてとても大変でした。例えば、私の立ち位置が1cm変わるだけで、写真の印象も大きく変わってしまうんです。
最初の頃は、「カメラの前で止まる」ということが中々できなくて、カメラマンの方に怒られてしまうこともありました。それでも、少しずつ色々な仕事を経験していくうちに、モデルという仕事の奥深さや繊細さに惹かれていくようになりましたね。
一方で、モデルの仕事柄、部活で日焼けをすると怒られてしまうこともあり、徐々に練習に行きづらくなっていき、あまり部活に参加できなくなってしまったんです。
また、段々と「テニスで食べていくことは、実力的に難しそうだな」と感じるようになり、現実的に卒業後のことを考える上で「テニス」と「モデル」を天秤にかけたときに、モデルを選ぶことにしました。
その後は、ほとんど部活に顔を出せなくなってしまい、自分を追いかけて部活に入ってくれた後輩や、友人など、部員のみんなにはすごく迷惑をかける結果になってしまいました。
でも、だからこそ中途半端にモデル活動をやめられないと思いましたね。
私の個性と本当にやりたいこと
そんな背景から、結局就職活動はせず、大学卒業後もモデルとして活動を続けていました。ただ、どうしてもプロダクションに所属しているとクライアントさんなどから「与えられた仕事をただ受ける」ということが多くなってしまうんです。
「ただ受ける」場合、必ずしも仕事で自分らしさを出すことができず、それが私にとっては嫌でした。自分の良さは自分が一番知っているし、そこを生かしたいと思っていたので、「自分の好きなことを仕事にしたい」という気持ちが次第に強くなっていったんです。
そんなある時、ロンドンに一人旅に行ったとき、平日の昼休みの時間帯に、スーツからウェアに着替えて、オフィスビルから外に、ランニングをしに行く人たちの姿を見たんです。日本では、どこかスポーツは日常生活とは少し離れたものとして捉えられがちですが、その光景を見たときに、「スポーツは本来、健康のため・元気になるためにするもので、ずっと身近なものなんだ!」という新しい価値観に気付くことができたんですよね。
その後、諸々の理由でプロダクションを辞めることになり、これから先は、自分の個性を出して個人で仕事をしていくべきだと考えていた中で、「ソフトテニスを長年続けてきた自分なら、スポーツの魅力を伝えられるのではないか?」と思い、フリーランスとしてモデル活動をしながら、スポーツ促進にも関わる活動をしていくことに決めました。
子どもに夢を見せられるような大人でありたい
現在はフリーランスとして、様々な場所に自分から働きかけて、ラジオのパーソナリティやスポーツメーカーのカタログのモデルなど、様々なメディアで、あまりメディアに出ていないスポーツの促進活動をしています。
特に、長年自分が取り組んできたソフトテニスには恩返しをしたいという思いが強いので、メーカーさんや連盟と一緒に競技を盛り上げることに注力しています。一度離れてしまったからこそ、より魅力がわかりましたし、大事にしていきたいと思っていますね。
会社や事務所に所属していないため、大変なことや、不安な部分は沢山あるものの、日々、自分の好きなことを仕事にすることができているので、毎日非常に充実した日々を過ごせています。
ただ、そうやってスポーツに関わっていると、今の日本では、ワールドカップやオリンピックなどの大きな舞台であるほど、選手の頑張りや努力を称えることよりも、結果や数字を重視するような空気感が強い、ということを感じます。
一方で、スポーツ選手というのは、プロやアマチュアを問わず、常に凄まじいプレッシャーと戦っていて、押し潰されそうになりながら努力を続けています。
もしこのまま、今のような結果重視の空気感が続いてしまったら、2020年の東京オリンピックやその先に向けて、才能を有望視されている子どもたちの、夢を潰してしまうような危機感を持っています。子どもは宝ですから、大人が守っていかなければならないし、そのことを忘れたくないな、と思います。
私自身まだまだ夢の途中で、周りの人たちにお返しできていないことばかりです。でも、子供たちに「夢は叶うよ」と言える大人になるために、これからも人生をかけて、私自身も夢を追いかけていきたいと思っています。それが「モデルだけど、スポーツの魅力を伝えられる人」という、自分らしい道を拓いて語ることができたなら、最高ですね。
2014.07.28
本山 友理
もとやま ゆり|フリーで活動するモデル
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