何度も諦めかけた夢にチャンスが訪れました。
僕が町のパン屋になるまでの道のり。
東京都の府中市で『ベーカリーえのぱん』という、町のパン屋さんを営んでいる榎本さん。高校卒業後は調理師専門学校に進んだものの、元々は一切パン屋には興味がなかったと話します。そんな過去から現在に至るまでには、一体どのようなストーリーがあったのでしょうか
榎本 有洋
えのもと ありひろ|町のパン屋さん
東京都府中市にある『べーカリーえのぱん』を運営する株式会社ア・ゼータの代表取締役を務める。
ベーカリーえのぱんFacebookページ
お菓子屋になりたい
僕は、中学・高校とバスケに熱中していました。
とにかく好きでたまらなかったので、中学校では週7で練習に明け暮れ、
高校ではバスケ部の部長を務めました。
実力的にバスケで食べていくことは難しそうだったものの、
ずっと趣味で続けていきたいという思いがありましたね。
しかし、バスケに没頭していてほとんど勉強しておらず、
勉強自体も好きではなかったので、高校卒業後に大学へ行くつもりはありませんでした。
ところが、親は僕を浪人させてでも大学に行かせたがっていたため、
逃げるように専門学校への進学を目指すことにしたんです。
そして、なんとなく楽しそうだ、という理由から、お菓子屋になりたいと思い、
調理師の専門学校に入学することにしました。
専門学校に入学してからは、お菓子に限らず、オムレツの作り方や大根の桂剥きのやり方など、
料理全般の技術や知識について学ぶのですが、難しいことも沢山あり、結構苦労しましたね。
また、卒業後はお菓子作りができる職場を探す中で、
ちょうど卒業の年に、新たにお台場にホテルを建て、大量採用をしていた、
とあるホテルグループの製菓部門の調理担当として就職することにしました。
お菓子を作ることなくパンの世界へ
入社したホテルの調理の仕事には、製菓部門のほかにもう一つ、
パン部門がありました。
製菓部門に配属された同期は、僕を含め3人いて、他の2人は女性だったのですが、
ホテルは男性が多い職場だったので、女性はすごく大切にされ、
入社初日から色々な仕事をやらせてもらっていました。
一方で僕はなかなか仕事を振ってもらえず、余った洗い物をひたすらやり続けていました。
ところが、そんなことを続けていた入社3日目に、突然偉い方に呼び出され、
「パン部門へ異動してくれないか?」
という、耳を疑う言葉を告げられたんです。
希望通りのお菓子作りの仕事ができる、という話で就職をしたのに、
自分だけそれが叶わない、ということに納得がいかなかったので、当然断りました。
しかし、偉い方々も一歩も引かず、それから毎日、説得される日々が続きました。
そんな状況を見るに見かねて、ある日パン部門の2番目に偉い方が、
僕を連れて
「こいつはお菓子を作りたがっているから、製菓部門で働かせてやってくれ」
と事務所に怒鳴り込んでくれたんです。
ところが、その時既に僕の名前はパン部門の名簿へと移されてしまっていることに、気づいてしまったんですよね。
そこで全てを悟った僕は、諦めてパン部門へ移ることにしました。
今までの9年間は何だったんだろう・・・。
いざパン部門に移ってみると、作業が製菓部門と同じ部屋の中で行われていたので、
最初は余計に嫌な気持ちで働いていました。
しかし、先輩たちはいい人ばかりで、早い段階からどんどん生地を触らせてくれて、
色々なことにチャレンジさせてくれたんです。
それまで、洗い物しかやらせてもらえていなかった僕にとっては、
実際に調理の仕事をできることが、とても楽しく感じられました。
次第に、どんどんパン作りにのめり込んでいき、
「将来はパン屋として自分の店を持ちたい」と思うようになっていきましたね。
しかし、ホテルのパン作りの仕事は、食パンやクロワッサンなど、
生地を成形するだけのパンしかなく、独立するには経験不足だとも感じていました。
そこで、一度2・3年ほど町のパン屋で働いて、菓子パンや調理パンなど、
より様々な種類のパンの作り方を学んでから、独立しようと思い、
9年間ホテルで働いた後に、ホテルのOBが営む府中市のパン屋で修業することにしました。
実際に、町のパン屋として働く以前は、自分がホテルで学んできたことに関してある程度自信を持っていましたし、
それが当たり前だと思っていました。
でも、いざ働いてみると、それまでの知識や技術が全く通用しなかったんです。
お店の親方には、何から何まで否定されていしまい
「今までの9年間は何だったんだろう・・・」
と思いましたね。
でも、ただ否定をするだけではなく、何がだめなのか、という理由も併せて教えてくれたので、
もの凄く勉強になり、とても濃い時間を過ごすことができました。
ただ、店として新たな店舗を同時に出店するタイミングだったこともあり、
業務量が尋常ではなく、非常に過酷な労働環境の中で毎日を過ごしていたんです。
もの凄くきつかったこともあり、気づけば短期間でものすごく痩せてしまっていました。
そんな風に、肉体的にも精神的にもかなりしんどかったため、
次第に、一度「パン」から離れて、全てをリセットしようと考えるようになっていったんです。
「やってみないかい?」
その後、高校の友人結婚式に行く機会があったのですが、
そこで友人の一人が宅配業者で働いている、ということを知りました。
ちょうど、将来の独立のために、お金をしっかりと貯めたいと思っていたこともあり、
1年ほどでパン屋を辞めて、給料のいい宅配業者で働くことにしました。
宅配業の仕事は、それまでは全く経験をしたことが無いものだったので、
初めはとても不安でしたね。
しかし、実際に取り組んでみると、その前の町のパン屋の仕事があまりにきつかったこともあり、
思っていたほど仕事は辛く感じず、職場にはいい人しかいなかったこともあり、
楽しく働くことができました。
また、今までのパン屋の仕事と違い、宅配業者の仕事は、
荷物を積んで配送を行うときは自分一人で、全ての責任が自分に降りかかるので、
そういった、「一人」で働くことの責任の重さを沢山学びましたね。
今までとは違い、パンから離れた仕事ではあったものの、非常に居心地のいい環境で働けていたため、
「このままずっと宅配業者で働くのかな?」
と考え始めていた頃、ホテル時代に親しくしていた後輩から
「もう一度、一緒にホテルでパンを作りませんか?」
というように誘ってもらったんです。
少しずつ「自分のパン屋を開く」という夢から離れてしまっていたものの、
やりたいという気持ちは変わっていませんでした。
そして、何よりも誘ってもらえたことが嬉しかったので、給料は減ってしまうものの、
もう一度ホテルに戻り、パン作りをすることにしました。
ところが、ホテルに戻って1か月も経たないうちに、
2か所にあったホテルのうち1つが無くなってしまうことになり、
仕事が大幅に減ることになってしまったんです。
その影響を受けて、自分を再びホテルに誘ってくれた後輩を含め、
志の高い後輩が全員辞めることになってしまったんですよね。
大幅に人が減り、仕事に対する意識の高い仲間を失ってしまったこともあり、
職場には以前あった活気が無くなってしまい、
次第に僕の仕事に対するモチベーションも下がっていってしまいました。
そんな状況の中、1年半ほどホテルでパン作りの仕事を続けた頃に、
保育士の妻が働いている保育園に、パンを卸していた地元のパン屋さんが、
店を閉じることになったんです。
そしてなんと、そのお店の方に
「自分たちの使っていた物件を譲ってあげるから、そこでパン屋をやってみないかい?」
と言っていただけたんです。
あまりに突然のことだったので、かなり戸惑ったのですが、
やはり「やってみたい」という気持ちが強かったので、お誘いを受けることにしました。
一人でも多くの方の笑顔のために
その後は、話がとんとん拍子に進んで、あっという間に地元の府中市に
『ベーカリーえのぱん』というお店を開くことになりました。
一時は、妻と一緒にお店を切り盛りしていたのですが、
現在はパン作りから接客まで、ほどんど全てを一人でやりくりしています。
ここまで何とかやって来ることができましたが、
やっぱり今でも、消費税の増税や、自然災害による材料費の高騰など、何かある度に、
「続けていけるんだろうか?」という不安と闘いながら、毎日お店を営んでいます。
それでも「この前来た時に、買ったパンがおいしかった!」と言って、リピートしてくださるお客様や、
何度も来てくれて少しずつ成長していく子どもの姿を見ることができるのは、
とても嬉しいですね。
最近では様々な影響から、食の安全を意識しているお客様が多いので、
全てとはいかないものの、なるべく国産の食材を使って、安心して食べて頂けるような、
パン作りに力を入れています。
そうっやって、これからも「パンと笑顔を食卓へ」というスローガンのもと、
一人でも多くの方に喜んでもらえるような、素敵な町のパン屋でありたいと思っています。
また、将来的には、保育士の妻と一緒に働けるような、託児ルームとカフェスペースを併設したような、
新スタイルのパン屋にも挑戦していきたいですね。
2014.07.28
榎本 有洋
えのもと ありひろ|町のパン屋さん
東京都府中市にある『べーカリーえのぱん』を運営する株式会社ア・ゼータの代表取締役を務める。
ベーカリーえのぱんFacebookページ
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