「人の想像を超えること」が選択基準です。
僕が「下宿」で起業するまで。

「親元を離れる学生」と「空き部屋を持った高齢者」をクラウドマッチングさせるサービス『下宿らうど』を立ち上げた井上さん。新しい挑戦の背景には、「周囲の人が想像すらしないことを成し遂げたい」という思いを表した選択の積み重ねがありました。

井上 諒

いのうえ りょう|高齢者と若者の空き部屋共有サービス運営
「親元を離れる学生」と「空き部屋を持った高齢者」をクラウドマッチングさせるサービス『下宿らうど』を運営する
ソーシャルクラウド株式会社の代表取締役を務める。

ソーシャルクラウド株式会社
下宿らうど

「想像を超える」


小さい頃から、得意不得意がはっきりしたタイプでした。

小学校低学年から理科が大好きで、モーターの研究をして『ミニ四駆』の大会で優勝するほどにのめりこんでいた反面、
その他の勉強には全く関心がなく、結果もあまり良くありませんでした。

短所を補う時間があるなら、長所を伸ばすことに時間を使いたかったんですよね。
全て80点よりも、1つが200点であとは5点という方が目立つし、
自分のバリューがあると思ったんです。

もともと、「自分って何だろう?」と悩んだ時期があったからこそ、

「みんなの想像を超えること」

というのを自分のアイデンティティに感じていたんです。

それが決定的になったのが、高校受験でした。

模擬試験の際に、冗談半分で関西でも有名な進学校を書いたら、想像以上の結果が出て、
本番の入試でも合格することができたんです。

自分自身予想できなかった、振り切れた成果が出たことが、ある種の快感でした。
その成功体験をもとに、自分の得意なことにさらに尖っていくようになりましたね。

その後、高校生になると、将来はパイロットを目指すようになりました。
祖父がパイロットで、昔から憧れを抱いていたんですよね。

そのためにもしっかり勉強しなければと思い、大好きな物理にとにかく力を入れるようになったんです。

そんな背景もあり、大学受験を迎えると、自分が好きなことを、今しか勉強できないことを一番いい環境で学びたいと思い、
ノーベル賞受賞者を多数輩出する学部という理由もあり京都大学の宇宙物理学科への進学を決めました。

ビジネスとの出会い


大学に入学してからは、とにかく楽しい日々が始まりました。
目指していた宇宙物理学科は、理学部300人中10人しか行けないような狭き門だったため、入学後も苦労したのですが、
面白い仲間や教授に出会うことができ、改めて大学に入ることの価値を感じました。

また、入学当初から「大学の隠れた価値はそこにいる人にある」と考えていたので、
京大生400人が住む寮にはいったのですが、そこがとにかく刺激的な環境でした。
寮生活を通じて、物理だけでなくビジネスに政治、経済にと、自分自身の視野もどんどん広がっていき、
いつしか、パイロットへの情熱は薄れ、他のたくさんの選択肢にも関心をもつようになっていったんです。

そんな折、学内でビジネスコンテストを運営するゼミの募集がありました。
自分自身、将来の選択肢を考え始め、先輩の就職活動の話なども聞いていた中で、
「この環境で周囲の人の想像を超えたバリューを発揮するためにはどうしたらいいだろう?」
と悩んでいたんですよね。

そんな中、ビジネスの立ち上げは、自分の強みを活かし、
他人の価値基準という物差しから外れて圧倒的な成果を出すための、最高の手段に思えたんです。
見つけた瞬間、「ああこれだ!」と思いました。

それからは、とにかくビジネスの分野にのめり込んでいきました。
経済・経営系の授業に潜り込んだこともありましたし、
同じ志を持つ人と一緒にプロジェクトを進めていくことの楽しさを強く感じましたね。

大学4年時には卒論を提出しながら、もっとこの活動を続けたいと思い、結局大学にはその後3年間もお世話になりました。

卒業したらこの貴重な学習機会を逃してしまう、と思ったんですよ。

ネットゲームで見つけた方向性


そんな風に情熱を注いだビジネスコンテストの運営が一区切りつくと、
周りの友達も就職活動を終える人が増えていきました。
ビジネスの立ち上げのゼミを運営しながら、皆なんだかんだ大手や有名企業に行っていたんですよね。

なんだか取り残された感覚がありました。
自分自身、就職活動をして、幸い大手企業からも内定をいただくことができたのですが、
どの企業に入っても、40歳になったらどうなるかが見えている気がしました。

自分の20年後、30年後が想像できてしまうことほどつまらないことはないと感じてしまいましたね。
なぜなら高校生の時に、その直後の7年間の大学生活で起こったことなんてほとんど想像できていませんでしたし、
これからも自分ですら想像できないような成長を遂げたいと思っていたからです。

性格的にも楽しめないだろうなという思いがあり、結局内定を全て断ることに決めました。
かといってどんな方向に進めば良いか分からず、気づけば精神的にも追いつめられていましたね。

結局、内定辞退後は、寮でネットゲームにハマっていきました。
とにかくゲームに明け暮れる生活で、ご飯を食べる間も惜しんで取り組むような生活になっていったんです。
ネトゲ廃人を絵に描いたような生活をしていましたね。

ハマったことにのめり込む性格も合わさり、ゲーム内ではアジア最強だったチームの副隊長として、
短期間で200人を統率するにまで至りました。
目標を掲げ戦略を練り、そのために200人のマネジメントを行い、多くの成果や仲間の信頼を得ることができました。
気づけばゲーム以外のスキルを養う機会になっていたんですよね。

そんな風にネットゲーム漬けの生活を送る中で、ある時、

「ああ、やっぱり自分はこういうことをやる人なんだ」

と気づいたんです。
面白いし成果が出ていたこともあり、人を引っ張っていく側として、
ベンチャーや起業という、組織を設計し、動かす分野で力を試したいという気持ちに気づいたんですよね。

それが、自分の長所の活かして、周りの想像を超える手段として合っているんじゃないかと思えたんです。

その後両親・彼女に相談したところ、暖かく応援してもらうことができ、
大学7年目の1月に就職活動を始め、無事あるベンチャー企業に内定をもらうことができました。

いきなり起業という選択肢もあったのですが、経験から学ぶよりも歴史から学ぶ方が効率的という信条があったので、
業界のコモンセンスに触れてからの独立が最短のルートに思えたんですよね。
僕は、長らくお世話になった京都と別れを告げ、東京のベンチャー企業で働き始めました。

日本で一番大きな社会問題を解決するチャンス


入社してからは、事前の期待通り、潤沢な資産を活かして、早い段階で挑戦の機会をもらいました。
1ヶ月目からある事業の事業部長を務めることになり、
その後も営業に人事にと、幅広い範囲で経験を積ませてもらいました。

そうやって働く中、ある事業アイデアに至りました。
『下宿らうど』と名付けたその事業は、空き部屋を持った高齢者と、
学生や若者をマッチングして、
一緒に暮らすことで双方の課題を解決するというものでした。

もともと、大学の寮の近くにご老人の家があったのですが、
ご主人が亡くなってから、遠方からお孫さんを呼び戻していて、すごく大変そうだったんですよね。
それに、これからの日本社会では、そういった方が増えるんだろうなという思いもありました。

一方で、自分自身、大学時代に寮生活をしたことで、共同生活の魅力を強く感じていたんです。
共同生活が広がることで、助け合いが広がっていくんじゃないかと感じたんですよ。

そう思い立ってからは、他の業務と並行しながら少しずつサービスを形にしていき、
入社2年目の5月にリリースまでこぎ着けました。

そして、いざ公開してみると、予想以上に反響が大きかったんです。

「必要とされているサービスなんだ」

ということに、改めて気づくことができたんですよ。
それからは、『下宿らうど』に全力を注ぎたいという気持ちが募り、
会社からの支援も得られることになったので、独立を決めました。

大学のときからやりたいと思っていたことが、数々のチャンスが重なり、
ついに挑戦のタイミングをつかむことができたんです。
本当に幸運を感じましたね。

正直、プレッシャーや重圧を感じることもありますが、
このチャンスにはすごく可能性を感じています。

『下宿らうど』は、世界一高齢化の進む日本で、一番大きな社会問題を解決し、
世界のロールモデルとなってリーダーシップを発揮することができるチャンスを持っているんですよね。

ただ、実は自分には決定的な短所があると思っています。

それは尖っているが故に、一人では何もできないこと、
バリューを出すには自分とは別の分野で尖っている仲間が必ず必要なことなんです。

これは尖っていることを選択した自分の宿命でもあり、
世界に衝撃を与えるようなチームを創り、イノベーションを起こし続けることが、
これからの人生の目標ですね。

そうすることで、宇宙物理に興味を持った理由と同じように、
次は事業やサービスを通じて人類の文明がどこまで発展し、豊かになれるかを追求したいんですよね。

2014.07.27

井上 諒

いのうえ りょう|高齢者と若者の空き部屋共有サービス運営
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