地域の未来を「公務員」として描く!
放り込まれて見つけた、「人生の扉」。

宮崎県庁に務め、地元宮崎の未来ために働く甲斐さん。「消極的に就職した、ダメ公務員だった」という甲斐さんに訪れた転機とはどのようなものだったのでしょうか?

甲斐 慎一郎

かい しんいちろう|宮崎県庁職員
宮崎県庁 労働政策課 地域雇用対策室に勤務している。

文化的な欠乏感


宮崎県に生まれ育ち、中学・高校の頃から映画や本が好きな学生でした。

地元はレンタルビデオ屋がようやく始まったばかりというような環境で、文化的なものへの欠乏感を強く感じていましたね。だからこそ、深夜ラジオや漫画・小説など、触れることのできたサブカルチャーに傾倒していきました。

そんな背景もあり、大学へ進学しようと考える頃には、とにかく、東京に行くことができれば、どこでもいいと考えてたんです。将来のことや働くイメージなどは、あまり持てなかったですね。

その後、東京の大学に進学することが決まり、上京してまず最初に映画の回数券を買い、映画を見まくりました。また、演劇やコンサートにも目覚め、必要なお金はレンタルビデオ屋さんで働きながら、…という感じで一気に欠乏感を埋めるような日々で、カルチャーという意味では、すごく幸せな環境でした。

バブル真っ盛りということもあり、同じく田舎から上京した学生は、カードでスーツを買ってディスコに行く、というような生活だったのですが、なんだか、いまいちついていけなかったですね。

一人でいることが苦でなかったこともあり、サークル等も入らず、家でバイト先から借りてきたビデオを見たり村上春樹を読んでいるような日々でした。

ダメ公務員


そんな生活を経て大学3年になり、就職活動の時期を迎えたのですが、
将来のことが、何も見えなかったんですよね。

カルチャーへの期待は十分満たされたものの、特に東京に居続けようという気持ちもありませんでした。
なんだか、もうおなかいっぱいになっていたんです。

どうしようか迷っていたところに、先に就職をした先輩から、

「県庁がいいよ、人の役に立っているという実感がある」

という話を聞き、なんとなく自分も県庁を目指すことにしました。
企業研究等、ろくにしていないのにも関わらず、学生の思い込みで、
民間企業は、本当に好きでない物でも売らなければいけない、というようなイメージがあったんですよね。

そんな風に、半ば消極的な理由で、地元の宮崎県庁に入りました。

最初の頃はアルバイトと大きな違いが無かった気がします。
やれと言われたことをやるだけ。そんな、ダメ公務員でした。

使命感ややりがいなど、自ら湧き出るものがなく、給料のため、というイメージで働いていました。

「自分が宮崎県民の命を背負っている」


しばらくはそんな調子で仕事をしていたのですが、部署を異動したり、経験を増やしていくうちに、
ほんの少しずつですが、自分の頭で考えて仕事をするようになっていきました。

一番の転機は、「危機管理局」という部署に配属され、
「防災ヘリコプター」の導入検討を担当することになったことでした。

阪神大震災を契機に全国で導入が進んでいた防災用のヘリコプターを
宮崎県は導入してなかったのです。

国(消防庁)からも強い要請がある中、県庁の誰にも知見がないため、
導入の検討をゼロから1人で担当することになりました。

正直、いきなり放り込まれたような感じだったので、
模索する部分も多かったのですが、勉強し知識をつける中で、
危機管理上、絶対的に必要なものだと痛感すると同時に、
県の財政が厳しくなる中で、

「ここで自分が頑張らなければ、宮崎には一生防災ヘリが入らないかもしれない」

という、使命感が浮かんできたんです。
まるで、

「自分が宮崎県民の命を背負っている」

というような感覚でした。
初めて、仕事でやりがいを強く感じたんですよね。

誰も知らない知識をつけていたため、上層部から意見を求められることも増え、
周りから応援してもらえることも増えていきました。

結果、「防災ヘリは必要」という合意を得ることができ、
3年間の在任中に、ヘリを買い、基地を作り、隊員を選抜して訓練し、運行開始までこぎ着けたんです。

導入するかどうかの判断から、実際の運行開始まで、1人でやり遂げたことの達成感は本当に大きかったです。

役職は下っ端でしたが、「こうあるべき」という情熱を持っていると、
周りの人が耳を傾けてくれるということに気づいたんですよね。

フリーハンドで地域の未来を描く仕事


また、防災ヘリでの経験から、「サラリーマン」て素敵だな、とも感じるようになりました。
人事異動によって、自分が全く興味がない分野でも否応無しに放り込まれるのですが、
その度に、自分の人生に新しい扉が開かれる気がするんです。

最初は興味が無かった世界でも、現状や課題が色々見えてくることで関心をもつようになり、
積極的に選んだものでなくても、やりがいを感じるようになるんですよね。

その後、東国原知事時代には「みやざきアピール課」に所属しました。
学生時代に培ったサブカルの知識が一気に花開いた仕事でした。

宮崎の露出を一過性のブームで終わらせないために、
TV局やナショナルブランドの企業などに、フリーハンドで考えた色々な企画を提案して回ったのですが、
バックボーンにあるサブカルチャーの知識が相当役に立ちました。

企業文化を研究し、その文化にそった企画を提案することで、
大手ファイストフードチェーンで「宮崎発祥・チキン南蛮バーガー」を全国販売できたり、

誰もが知っている某テレビ番組で宮崎牛を大特集して貰ったりもしました。
これがまたすごく売れたんですよ(笑)

仕事って、目の前のことだけでなく、プライベートも含めたものの積み重ねの上にあるんですね。

その活動を4年続けたこともあり、所属が変わっても、色々な人から、
個人宛に相談をもらえるようになりました。

県庁の他の部局から「東京で効果的な広報をするにはどうしたらよいか」とか
民間企業の方から「宮崎県庁とコラボしたい」とか…。

だから私は、自称「宮崎県庁総合相談窓口」を名乗ってます(笑)

巷では「公務員はダメだ」と言われることもありますが、個人的には優秀な人が多いと思います。
でも、優秀なんだけど、ニーズを拾いきれていなくてもったいないなと感じる場面もあります。
正しいことしようと努めるものの、正しいことが必ずしも県民に喜ばれるものではないこともあるんですね。

特に若い世代には、もっと「公務員」としての働き方の幅を広げて欲しいなと思います。
自分自身、ダメ公務員だったからこそ、「こんな仕事の仕方ができるとよ」、
誰かが教えてくれたら違ったんじゃないかな、と感じるんですよね。

公務員の仕事って、フリーハンドで、色々な地域の未来が描ける仕事だと思うんです。
そんな可能性を、もっと広めていきたいですね。

2014.07.26

甲斐 慎一郎

かい しんいちろう|宮崎県庁職員
宮崎県庁 労働政策課 地域雇用対策室に勤務している。

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