品川を日本の玄関に。
地域密着で異文化交流を実現する場を作る。
「昔から根拠のない自信があるんですよね」と笑いながら話す渡邊さん。 住所不定無職の時期や、友だちの家を転々としながら暮らしていたこともありながら、どうやってゲストハウスを運営し、地域づくりに力を注ぐようになったのかお話を伺いしました。
渡邊 崇志
わたなべ たかゆき|地域融合型ゲストハウス運営
北品川の地域にて地域密着型のゲストハウスやシェアハウスを運営しながら、
地域密着型のゲストハウスの立ち上げを目指す人向けのプログラムを提供している。
ゲストハウス品川宿
宿場JAPAN
ゲストハウス蔵
高3で一人暮らしへ
私の母方の祖父は肉の問屋を創業し、品川の食肉市場の近くで会社を営んでいました。
小さい頃はよく会いに行き、
帰りにホテルの最上階でクリームソーダを飲ませてもらっていたと母から聞きました。
自分では覚えていないのですが、この頃の体験が潜在的に残っていたのか、
将来はホテルマンになりたいと考えていましたね。
母親としては高級ホテルを使い倒せる程の大物になってほしいという意図があったようで、
「なんでホテル運営側に興味を惹かれているのか」とよく嘆かれてましたけどね。(笑)
高校生になると、祖父の問屋を継いだ叔父のもとに住んでいて、
市場の中で肉をさばいたり、解体されたばかりの牛の内臓を綺麗にしたり仕事の手伝いをしていました。
そんな高校3年生の夏に、叔父から
「家業を継ぐか、家を出ていくか選べ」
と言われたんですよね。
問屋が嫌というわけではなかったのですが、
ホテルでの仕事をしたいと考えていた私は、家を出て行くことにしました。
知り合いに、ホテルで働くのも現場から入るのと経営をするのでは全然入り口が違うので、
様々な視点を持つようにとアドバイスをもらっていて、大学に行って観光や経営などを学びたかったんですよね。
こうして高校3年生の秋から、北品川のボロアパートで貧乏一人暮らしの生活が始まりました。
貧乏でしたが楽しかった思い出が強く、地元への愛着が沸くようになりました。
品川は交通の便も良く住みやすい町だと感じたとともに、
東海道の宿場町なのにあまり宿が残っていないことを不思議に感じましたね。
海外の衝撃
高校卒業後、一浪した後観光学のゼミがある大学に入ることができました。
と言っても、バイトばかりでほとんど学校には行かなかったですけどね。
ホテルでアルバイトをしていて、色々な一面が見たいと思い、
客室係、フロント、宴会での配膳、ベルボーイのようなことと、様々な仕事を経験しました。
大きいホテルだと、どうしてもお客さんとの距離を一定に保たないといけない部分もあり、
もう一歩踏み込めばできるようなサービスを提供できないことに歯がゆさも感じましたね。
バイト漬けの生活でしたが、合間には少し溜まったお金で海外をバックパック旅行していました。
小さい頃から母親が結婚と離婚を繰り返していて、
苗字が変わるタイミングと合わせて小学校から中学校は別の地域に、中学から高校も別の地域にと移動していた背景もあり、
どんどん外に向かっていく性格になっていて、日本の外にも興味があったんですよね。
そして、1ヶ月だけですが中国に留学にも行きました。
留学生活は短いながらもとても刺激的でしたね。
生まれ育った環境が全く違う人と暮らし語り合うことや、歴史や文化などに関して授業で話すことが、
自分の視野を広げてくれてすごく楽しかったんです。
と同時に、こういう場で他国の人と話すことはこれからの社会で生きていく上で重要だと感じ、
自分はホテルという形でそういった場を提供したいと思うようになりました。
住所不定無職
大学卒業後は、自動車の材料を作る大手メーカーに就職しました。
新卒でホテルに入ることも考えたのですが、ホテルだと現場の仕事から始めることになるので、
経営やビジネス的な視点を学ぶために、一旦大きな会社に入ろうと思ったんです。
本当にホテルビジネスをやりたいのであれば、いつでも戻ってくることはできますし。
ここでは3年6ヵ月働きました。
想像通り大きな会社が回っていく仕組みは色々と勉強させていただき、
ある仕事を受注し会社の売上に貢献することで「やりきった感覚」を持てたところで退職し、
ホテル経営のために動くことにしました。
というものの、自分がやりたいホテルとは民宿なのか、ゲストハウスなのか、B&Bなのか、方向性が定まってなかったんですよね。
そんな時にアメリカ人と結婚した友だちから、「旦那のアメリカの実家に住んでみたら」と話をもらい、
英語力向上と自分の考えを整理するためにカリフォルニアに行くことにしました。
家は引き払い荷物はトランクルームに預け、住所不定無職となった状態で、
帰りのチケットと数万円のお金だけ持ちアメリカでの生活が始まりました。
アメリカでは、州のお金で勉強することができる移民向けの英語学校に通いマイノリティの人たちと親交を深めたり、
大学で英語の先生を目指している人向けの授業で、英語が喋れない生徒のサンプルとして出席したりしていました。
普通の留学ではあまり経験できないようなことをしたんじゃないですかね(笑)
地域に生かされる
日本に戻ってきてからは、友だちの家に居候しながら、
六本木の高級ホテルで派遣社員として働きつつ、週に1回関西の大学の社会企業プログラムに参加していました。
自分のやりたいホテルとして、地域貢献と異文化共生というコンセプトが固まってきており、
「北品川復興プロジェクトでゲストハウスを作る」と発信し、メンターの方々にプランをブラッシュアップしていただきましたね。
1年ほどそんな生活が続き、ちょうど派遣社員の契約満期と大学のプログラム終了が重なり、
そろそろゲストハウスの物件を探そうと思って北品川の町を歩いている時に、
まちづくり協議会の会長の堀江さんと偶然お会いできたのです。
元々、北品川の地域と密着したゲストハウスを作るためにお会いしたいと思っていた方でした。
この堀江さんとの出会いから、様々な方と繋がることができ、
ゲストハウスオープンまで目まぐるしく色々なことが進んでいきました。
地域の方たちが集まる会合に呼んでいただき、
住む家がないことを話したところ、言い値で良いからとアパートを貸していただける方が現れたり、
働いてないと話せばスーパーでのレジ打ちアルバイトを紹介してもらいました。
ここからまた品川暮らしが始まりましたね。
修行のため浅草の旅館を紹介していただきもしました。
その旅館は家族経営だからと断られましたが、別の旅館をご紹介していただき、
そこに電話したら「今から来れる?」と言われ、その日から修行として働かせてもらうことができました。
また、人づてで良い物件が見つかったのですが、資金がなかったんですよね。
初期投資として700万円程必要だったんですが、3万円くらいしか持ってませんでした(笑)
ただ、このチャンスを逃すわけにはいかないと思い、
今まで頼ったことがない親戚に「1円でも良いから」と土下座して回りました。
なんとか親戚から200万円くらい借りることができ、それを元手に200万円ほど融資ももらえました。
それでも足りなかった初期投資は、まちづくり協議会でプレゼンした時に、
「お金は俺がなんとかするから、安心してやりなさい」
と言ってくれる方がいて、ゲストハウスを始めることができました。
この時は涙が止まりませんでしたね。
お金を借りる保証人にも地域の方になっていただいたし、
9ヶ月の間にソーシャルインベストメントのすべての恩恵をうけて、ゲストハウスを立ち上げることができました。
品川を玄関に
今はそうやって立ち上げた地域密着型のゲストハウスとシェアハウスの運営をしています。
地域の活性化と、外国人との交流の場を目指しています。
加えて、地元でゲストハウスを開きたい人向けに、
地域密着型のゲストハウスを立ち上げるためのノウハウを提供するプログラムを提供しています。
地域密着型のゲストハウスを全国に広げるためには、
1人が様々な地域でゲストハウスを立ち上げるのではなく、その地域のリーダーとなる宿主が必要になるので、
人を育てることに意義がありますね。
修業を終え、実際に長野で独立した人もいます。
また、将来的には品川という町を、世界と日本、日本の都心と郊外を繋ぐ玄関口にしていきたいと考えています。
国家戦略特区としてデザインされていく上で、
昔から宿場町であったこのエリアに、また宿という意思を吹き込みたいですね。
今はゲストハウスは25ベッドしかありませんが、2020年東京オリンピックまでに、
町として地域と密着する宿を100ベッドまで増やしたいと考えています。
元来、地域の人たちって1階にお店を構えて2階や3階に居住し、かつその土地と建物のオーナーで、
その人たちにとっては地域づくり=生活づくりだったんですよね。
それが今は、居住する場所はマンションで働く場所は別にあり、居住と労働が分断されたことで、
地域づくりにベクトルが向かなくなってしまっています。
宿場町として品川を蘇らせ、今の社会にあった地域づくりの形を発信していきたいですね。
2014.07.26
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