誰でも簡単に使える衛生的なトイレを広めたい。
タイで働く僕が背負うもの。

大手の総合商社に入りながらも4ヶ月ほどで退職し、タイで父の会社を手伝うことを決めた成田さん。元々海外で働きたいと思いつつも、その決断の裏側には家族を背負う思いがありました。そんな成田さんにお話を伺いました。

成田 暁彦

なりた あきひこ|東南アジアで洗浄便座の販売
タイのhappy toiletにて父とともに会社を営む。
電気を使わないエコでクリーンな『トウキョウスッキリ』を販売している。

Happy Toilet Co Ltd

父親の独立


私は神奈川県で生まれたのですが、小学校高学年の頃に父がタイで会社を起こしました。

父以外の家族は日本に残っていたのですが、
海外で働く父の話を聞くことは、それまで海外旅行も行ったことがなく、
狭い世界しか知らなかった私にとっては影響が大きかったですね。

実際は2歳の頃、父親の勤めていた会社の研修プログラムで家族で2年程タイで過ごしていたことがあるらしいのですが、
もちろん記憶にはなかったですからね。

父親という身近な存在が海外で楽しそうに働く姿を見て、すごくかっこいいと感じ、
自分も将来は海外で働いてみたいと思うようになっていきました。

その後、高校受験の時に、父からある進学高校に入学したら留学に行っても良いと言ってもらえました。
父自身、タイ語はできるものの英語に課題を感じていて、若いうちに勉強しておくことを勧めてくれていたんですよね。

留学のため、必死に勉強してその高校に合格することができました。
そして約束通り高校2年生の時、カナダのバンクーバーに1年間留学することになりました。

2度のカナダ


留学生活は何もかもが新鮮で、日々の人付き合いといったことまで含めてすべて新しい気付きになりました。

一方、日本に対する多少の不安みたいなものもこの時に感じました。

私の通っていた学校はバンクーバーの郊外にあり、全校生徒の30%はアジアからの留学生という国際色豊かな高校でしたが、
日本人の生徒は私1人しかいなかったんですよね。

台湾人や韓国人、中国人は沢山の留学生が来ているのに日本人は1人しかいないって、
高校生ながらに、こんなにも外に出ない日本は大丈夫なんだろうかと思いました。
それのため自分自身、「ずっと日本に居続けたらまずいんじゃないか?」という危機感もあり、
将来は海外でも働ける人材にならなければと、より強く考えるようになりましたね。

日本に帰ってから、大学では勉強できるうちにしっかりと勉強しようと思い、
面白いことが学べそうだと感じた慶應大学の湘南藤沢キャンパスに進学することにしました。

実際入ってみても面白い授業が多かったので、無理をするわけでもなく自然と授業に出ていましたね。
2年生からはゼミにも入り、特にビジネス系の勉強をよくしていました。

ところが、3年生になり就活を目前に控えた時に「このまま就活して良いのか?」と思うようになったんです。
正直、英語が多少できると言っても帰国子女の人ほどではないし、
今まで学んだことだけでは社会に出ても自分自身に価値がないのではと感じていたんですよね。

社会で通用する力をつけるため、カナダのトロントの大学に留学することに決めました。

家族か会社か


勉強するために留学に行っていたので、2度目の留学ではほとんど勉強している記憶しかありませんね。

そんな10ヵ月ほどの留学生活を終えると、すぐに就職活動に突入しました。
海外で働きたいということと、様々な人を巻き込んでプロジェクトを企画したいという思いから、
総合商社に絞って選考を受け内定を頂くことができました。

しかし、そのまま会社員としての生活を始めるかと思っていた矢先、
入社直前にタイにいる父が倒れてしまったんです。

父はいわゆる「オヤジ」といった印象の人で、それまで弱った姿を見たことがなかったのでとても心配しました。
その後私は会社で働き始め、父も数カ月後には退院することができたのですが、
やはり体力等の衰えはあり1人で会社を経営するには厳しい状態でしたね。

そんな父から「会社を手伝ってほしい」と言われたんです。
元々海外で働きたいとは思っていたし、なんとかしてあげたいと思いつつも、
入社して3ヶ月しか経っていない頃で、正直会社を辞めるわけにはいかないと思いました。

でも、父の会社や家族にとって私がやらなきゃダメだったんですよね。

今までは父が頑張ってくれていたおかげで、私は留学に行かせてもらうことができたし、
家族も仲良く幸せに過ごせていたことに気づいたんです。
私には5つと8つ離れた弟がいて、彼らが大学を卒業するまでは自分と同じように、
伸び伸びさせてあげたいと思ったんです。

勤めている会社は大きな会社で、自分1人がいなくても回っていく。
でも、父の会社は私がいないと成り立たない。
父の会社が潰れてしまったら家族も今までのようにはいかない。

父の会社と家族を守るため、会社を辞めてタイに行くことを決意しました。

喜んでもらえる仕事


現在は父の会社を手伝い、タイで洗浄便座を販売する仕事をしています。

『トウキョウスッキリ』という名の電気を使わない洗浄便座を作っています。

伝統的なタイのトイレにはおしりを拭くための紙などは置いていなく、備え付けのホースから水を出して洗う仕組みになっていますが、
これは衛生的にも利便性的にもあまり良くないんですよね。
ホースで流水するため、洗った時に汚い水が周りに飛び散ってそのまま放置されてしまいますし、
子どもや高齢の方にはホースのコントロールが難しいので、そもそも洗えなかったり余計に飛び散ってしまったりするんです。

さらに、タイのトイレには電源がなく、トイレごとに便器の形がまちまちのため、
洗浄便座を取り付けようとしても実現するのが難しかったんです。

そこで、私達は「どんなトイレにも」「だれでも簡単に」取り付けることができる電気不要の洗浄便座、
『トウキョウスッキリ』を開発したのです。
これをトイレに設置すれば、だれでも簡単に洗うことができ、衛生上の問題も解決できるんです。

最初は日本人駐在員の方々に導入いただいていたのですが、
最近では病院や公共施設など徐々に現地の人の生活に根付いた場所に設置できるようになりました。

僕自身もそうだったのですが、初めて洗浄便座を見た人はいぶかしがって使おうとしないんですが、
一度使うと「もうこれなしでは生活できない」という程に気に入ってくれるんですよね(笑)

販売すればするほど喜んでいただけるので、非常にやりがいがある仕事ですね。

将来はこの事業が拡大してうまくいったら、日本向けのビジネスもやってみたいと思っています。
今は洗浄便座という「日本の良い物」を世界に展開していますが、
逆に「世界の良い物」を日本に展開できたら良いと思います。

日本で、と言っても対象は必ずしも日本人だけでなく、
これから東京五輪に向けて増える訪日外国人もターゲットにできる「より東京を魅力的にする」事業を考えています。

2014.07.16

成田 暁彦

なりた あきひこ|東南アジアで洗浄便座の販売
タイのhappy toiletにて父とともに会社を営む。
電気を使わないエコでクリーンな『トウキョウスッキリ』を販売している。

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