流した涙の分だけ笑顔になれた。
いじめられっ子が作る「エンターテイメント」

「世界中のみんなで、元気の輪を生み出そう!Join Our Movement.」というコンセプトのもと、歌・ダンスを中心に活動するクリエイティブボーカルパフォーマンスグループ“iNDIGO BLUE”として活動する慎也さん。華やかなエンターテインメントで周囲に笑顔を届ける背景には、大きな悲しみを経て見い出した「喜び」がありました。

平澤 慎也

ひらさわ しんや|クリエイティブボーカルパフォーマンスグループ
「世界中のみんなで、元気の輪を生み出そう!Join Our Movement.」というコンセプトのもと、
歌・ダンスを中心に活動するクリエイティブボーカルパフォーマンスグループ“iNDIGO BLUE”にて、
ボーカル・作詞・リーダーを務める。

iNDIGO BLUE
オフィシャルブログ

「なんでここに生まれてしまったんだろう?」


小学生の頃から、僕は涙をコントロールできました。

家庭が片親だったことや、ストレスで太っていたこともあり、ひどいいじめを受けていたんです。
壊されたり汚されたりするから、新品のものは学校に持っていけなかったし、
教室の隅で、殴る蹴るの嵐でした。

そんな中、もう辞めて欲しいというタイミングで涙を流していたんですよね。

自分に自信が無く、そうされてあたりまえだと思っていた分、全く意思表示をしていなくて。
その代わりの表現が泣くことだったのだと思います。

本当に、人生の全ての悲しみがあり、

「なんでここに生まれてしまったんだろう?」

と考えることすらありました。
母といる時間以外は、すごく孤独でしたね。

だからこそ、母は至極の存在でした。
裕福でないと知りながら、気にしないように生活させてくれていたし、
僕は母を誇りに思っていました。

身体的な痛みや辛さよりも、母のことを言われるのが一番辛かったです。
存在を否定されているような感覚だったんですよ。

初めてできた友達のために水泳部に


意外なことに、そんな自分が意思表示をするようになったのは小学校6年の頃、
プロレスにハマりだしてからでした。

倒れても立ち上がるプロレスラーに憧れを抱き、少し自信がついてからは「嫌だ」という意思表示をできるようになったんですよね。

中学校に入って初めてできた友達も、格闘技が共通の趣味だったことがキッカケでした。
最初は適当にコンピューター部にでも入ろうと思っていたんですが、
その友達が水泳部だったんですよね。

僕は泳げなかったんですが、それでも彼と友達でいたくて、一緒に水泳部に入ることに決めました。

入部後、完全なカナヅチだったこともあり、練習時間は一人、端のコースをビート板で泳いでいたのですが、
最初の夏だけで20kgも痩せたんですよね。

そこで自分に自信を持つようになり、自己表現に興味が出てきたんです。
「人前に出れる容姿を手に入れた」というような感覚でした。

それから、同じ友達に誘われて、3人でコーラスグループを組むことになったんですよね。
流行っていたバックストリートボーイズに憧れ、歌を練習するようになったんです。

ところが、何度か人前で歌うことも経験したのですが、
お客さんをうまく喜ばせることができなかったんですよね。
クオリティが人を喜ばせるものになっていなかったこともあり、
自分で思い描いたイメージとの間に、大きなギャップを感じました。

抑えられない涙


その後、高校でも惰性で水泳部に入りました。
ちょうど入学した頃に映画やドラマで「ウォーターボーイズ」が流行っていたこともあり、
水泳部の先輩が「ウォーターボーイズをやるぞ!」と言い出したんです。

正直、話を聞いたときは、裸で人前で踊るなんて最悪だと思い、
練習にも行っていませんでしたね。

ところが、いざ本番で幕が開けてみると、歌の時とは真逆で、
物珍しさもあり、お客さんがものすごく喜んでくれたんです。

結局2年生からは振り付けを考える担当になり、3年では陣頭に立つようになりました。
取り組む中で、自分は人に喜んでもらうのが好きなんだと気づいたんですよね。
 
そして、最後の3年生の夏にはテレビ局主催の「ウォーターボーイズ選手権」という、
全国のボーイズシンクロの高校生を集めた大会にも出場しました。

受験勉強と迷いながらも、チーム一丸で挑戦しようと決め、
本番では3位に入賞することができたんです。

そしてその時、生まれて初めて肩を震わせて泣きました。
全く涙を抑えられなかったんですよ。

嬉しさや悔しさ、そして強烈な感動がありました。

自分の欲しいものとお客さんが欲しいものが完全に一致した瞬間でした。
人前で歌っていたときは得られなかった、自分と他人の満足が重なる経験ができ、
心から「嬉しい」と思えたんです。 

「笑顔」を届けるという使命感


やりきった反動から、選手権後は大きな虚無感に襲われました。
受験勉強に取り組みながらも、ノートにフォーメーションを書いていて、
切なかったですね。
そんな気持ちで取り組んでいたこともあり、滑り止め無しの受験にも、落ちてしまいました。

それでも、ずっと同じように人を喜ばせていたい気持ちがあり、
卒業後は、自分でチームを作ることに決め、仲間を探しにスイミングスクールで働くことに決めたんです。

実際に声をかけてみると、すぐに全国から10名が集まってくれ、“iNDIGO BLUE”という名の下、チームを結成しました。

ところが、練習場所や公演場所には悩まされ続けました。
練習を重ねながら、年に2回しか公演ができない年もあり、
なかなか厳しい日々が続きましたね。
練習だけでなく、営業や集客、スポンサー獲得まで全て自分たちで取り組んでいました。

また、活動と並行して、一度就職しIT系の上場企業で働くことも決めました。
大きな会社のサイズ感を知らないと、大きな会社は作れないという感覚があったし、
自分自身、トップのビジョンにすごく共感していたんですよね。

ところが、入社を控えた3月、震災が起こりました。
ニュースを見て僕もすぐにたくさんの物資を持って、東北に向かいました。
食料や衣類等、色々な種類の物資を持っていきました。

いざ到着して直接コミュニケーションをとると、その中で一番喜ばれたのは、「おもちゃ」だったんです。

これだけ過酷な環境下ながら、人は笑顔を求めていて、
「生きる」ということは、「文化的に生きる」と同義に感じられました。

気づけば、自分の中に使命感のようなものが生まれていました。
人を笑顔にする自分たちの活動の意義を見直すキッカケになり、完全にギアが入ったんです。

その後、期間は短かったものの、会社で働きながら多くの学びを得て、
改めてiNDIGO BLUE一本に力を注いでいくことに決めたんです。

「人に活力を与え、元気を届ける」


それからは、活動の幅を広げていき、今では累計15万人のお客さんに出会い、
評価もしてもらえるようになっていきました。

また、最近はボーイズシンクロだけでなく、プレイヤーとして夢であったアーティスト活動を通じて、
「誰かと共に元気になる」ということに挑戦しています。
過去の経験があったからこそ、「人に活力を与え、元気を届ける」ということをライフテーマに、
「裸」の心で、お客さんと向き合いたいと思うんですよね。

また、そうやって大きな目標を掲げ進んで行く中で、仲間やチームについての考えも大きく変わりました。

直近で大切なメンバーが1人離れたことや、プライベートでも「失う」ことが重なったんですよね。

大きな夢を描き、そこに至るまでの方法を考えながらも、
それを仲間とちゃんと共有ができていなかったんです。

それに気づいてからは、周りのメンバーに決意表明をし、
全員で、もう一度スタートを切りました。

“I believe”が、“We believe”に変わったんです。
チームが自分の身体の一部になるような、生まれて初めての感覚でした。

今後は、より多くの人と共に元気になれるよう、
2016年までに自分たちの会場を作ることを目標にしています。

良いことも悪いこともたくさんあったし、これからもあると思います。
だけどその全部を笑顔にかえて、チームの仲間や応援してくれるみんなと共にこれからも前に進んでいきます。

みんなで、新しいことに挑んでいくんです。新しい景色が見たいから。

2014.07.10

平澤 慎也

ひらさわ しんや|クリエイティブボーカルパフォーマンスグループ
「世界中のみんなで、元気の輪を生み出そう!Join Our Movement.」というコンセプトのもと、
歌・ダンスを中心に活動するクリエイティブボーカルパフォーマンスグループ“iNDIGO BLUE”にて、
ボーカル・作詞・リーダーを務める。

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