新規事業への挑戦と、宇宙ビジネスへの夢。
苦しんだ先に、掴みとれる景色がある。

ゴミ処理場での課題を解決する新規事業に取り組む國友さん。小さい頃から宇宙への関心があり、宇宙ビジネスに関するハッカソンにも積極的に参加しています。部活や受験の苦しみを、努力して乗り越えたと語る國友さんの原動力とは。お話を伺いました。

國友 孝憲

くにとも たかのり|株式会社PFU
1981年生まれ。東京大学大学院理学系研究科 地球惑星科学専攻 修士課程修了後、株式会社PFUに入社。ハードウェアエンジニアとして、イメージスキャナ開発部門に配属。2015年、海外ビジネス研修に参加。2017年、先行技術開発部へ異動。2020年、社内の新規事業開発部署へ異動し、新規事業に携わりながら、社外ハッカソンにも積極的に参加し、最優秀賞を受賞。2022年よりRAPTOR事業開発部にて新製品の開発に取り組む。

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努力すれば、嬉しいことがある


石川県かほく市で生まれました。小さい頃から漠然と宇宙に興味を持つような子どもでした。宇宙人や宇宙船が出てくる映画や漫画が好きで、いろんな星に行ってみたいと思っていましたね。

性格としては、決めたことをやり切ろうとする努力家タイプでした。例えば、小学生のときいじめられたことがあったのですが、目立つ存在になればそれも変わるだろうと思い、休み時間に積極的にサッカーに参加してゴールを決めたり、クラスで笑いを取ったり、自分なりにできることをやったんです。頑張った結果、クラスで人気者になり、いじめられることがなくなりました。その環境でどうすれば良いかを考えることを一生懸命していましたね。

中学では野球部に入り、4番バッターを務めました。野球の成績がよく、いつもチームの中心にいるような存在でした。ところが3年生になった途端、急に打てなくなってしまったんです。打席に立っても結果が出ない日が続きました。

次第に自分の殻に閉じこもるようになりましたね。悩みを打ち明けることもできず、誰の意見にも耳を貸さず、一人で抱え込んでいました。チームメイトにイライラをぶつけてしまったこともあります。

なんとかもう一度打ちたくて、休みの日も一人で素振りをしました。球を打てるなら、この先の運を全部使い切ってもいい。それくらい必死でした。不調の原因も分からず、ひたすらバットを振るしかないのが辛かったです。

そして迎えた最後の試合の日。バッターボックスに向かって歩いているときに「あ、打てる」と思ったんです。ゾーンに入った感覚というか。その感覚のまま打ちました。結果は、3塁打。久しぶりに会心のヒットだと思える打球でした。このとき、努力は報われると感じました。苦しんだ先には嬉しいことがあるんだと分かったんです。

仲間に支えられて掴んだ合格


高校は進学校に入りました。父親から「日本一の大学を目指してもいいんじゃないか」と言われ、東京大学を志望するようになったんです。書店で東大合格者の体験記を立ち読みして、この通りに勉強すれば合格できるんじゃないかと、単純に思いました(笑)。宇宙を学べる学科もあったので、そこを目指すことにしました。

本で紹介されていた参考書を買って、書いてある通りに勉強しました。でも3年生になると「なんでこんなに勉強しなきゃいけないんだ」と思うようになったんです。成績も落ち始め、どんどん苦しくなってきました。野球部のときと同じように、先生にも友人にも相談できず、一人で閉じこもっていましたね。結局、気持ちが乗らないまま本番を迎えることに。試験には合格できませんでした。

そこで、一年浪人してもう一度挑戦することを決めたんです。それはもう意地でした。浪人時代は、現役時代とは違いました。予備校に通う仲間ができたんです。仲間がいたおかげで、モチベーションを取り戻すことができました。野球部での経験もあり、努力は報われるはずだと、言い聞かせていましたね。今度は納得いくまでやり切って、試験に臨んだんです。

当日、試験の途中で体調が悪くなり、必死な状態で答案用紙に向かいました。途中でもうやめようかと思うほどでしたが、自分なりに粘って力を出したんです。最後の1時間になってようやく回復し、無事解き終えることができました。

合格だと知ったときには、とにかくほっとしましたね。試験中に苦しくなっても諦めず、ここまで頑張ったから結果が出たんだと思いました。仲間がいたから、前向きに頑張れたんだと思います。

いろんな世界を見てみたい


大学では、地球惑星物理学を専攻。地球という惑星の成り立ちを知ったり、宇宙空間のプラズマについて学んだりしました。好きだった宇宙のことを勉強できるのは、楽しかったです。もっと深く学びたくて、大学院にも進学しました。

ただ、宇宙を仕事にするという気持ちはありませんでした。社会で役に立つイメージがなく、あくまで学問の対象だと考えていたんです。このまま宇宙の研究を続けるよりは、社会に出たいと考えました。

就職活動で受けたのは、航空会社や海運会社など。世界を股にかける仕事がしたかったんです。いろんな世界を知りたいし、行ってみたい。仕事をしながら自分がまだ知らない世界に触れられたら、面白そうだと思いました。

しかし最終的には、親が病気だったこともあり、地元に留まる選択をしました。世界的な製品を扱っているメーカーがあったので、そこに入社を決めたのです。配属されたのは、イメージスキャナを開発する部署。そこで、エンジニアとして機械の設計を担当することになりました。

未経験の分野でしたが、仕事は一生懸命やりました。製品を開発して世に出すのは、素晴らしい仕事だと思ったし、完成したときの喜びはありました。でも心のどこかで「これが本当に自分のやりたいことなのか」と、ずっと考えていたような気がします。

やりたい仕事は、自分で取りに行く


そんなとき、海外での研修プログラムに参加しないかと声を掛けられました。数ヶ月かけて4つの国を巡るプログラムです。一つの場所にずっと閉じこもっているよりも、もっと広い世界に飛び出してみたい。その思いがあって「行きたいです」と答えました。

日本人と外国人で20数名のチームを組み、研修がスタートしました。東京から始まり、ハワイ、シンガポール、タイを周ります。その国の文化や歴史を学んだり、現地の企業を訪問するなどしながら、現場にある課題を解決する方法を考えるのです。ビジネスのつくり方を学べる、実践的なプログラムでした。

研修で特に影響を受けたのは、同じチームにいる外国人の考え方です。彼らは日本人と違って、自分の意見を主張することに躊躇がない。その意見が正しいか間違っているかは、問題にしていないんです。

また、プログラム参加後に転職する人もたくさんいました。やりたい仕事があれば、自分から取りに行く。その姿勢に刺激を受けましたね。

僕はそれまで、与えられた仕事をしっかりやり切ることが大切だと考えていました。でも外国の人たちの考え方に触れて、やりたいことがあれば主張し、積極的に行動してみようと思うようになったんです。

好きなことをやる熱量はすごい


帰国後、自ら手を挙げて部署を異動しました。未来の技術開発に取り組む部署です。既存の事業に携わるよりも、新しい技術に挑戦したいと考えました。

そして、新規事業開発にも取り組むことになりました。新型コロナウィルス感染症の影響で、リモートワークが進んだ時期だったので、社員のメンタルヘルスに関する事業を立ち上げようとしていたんです。

しかし、会社の方針もあってその事業は途中でなくなってしまいました。チームで頑張っていたプロジェクトだったので、ショックでしたね。それでも、ゼロからイチを生み出す仕事の楽しさを体感できました。与えられた仕事ではなく、自分たちで世の中に必要なビジネスを考えて形にしていくことに、面白さとやりがいを感じたんです。チャンスがあれば、また新規事業に挑戦したいという思いが残りました。

社外では、宇宙に関係するハッカソンに積極的に参加しました。自分のやりたい事を改めて考えた時に出てきたのが、ずっと好きだった宇宙だったんです。ちょうどその頃から、宇宙が学術研究だけでなく、ビジネスの対象として盛り上がってきていました。行動しないと何も始まらない。そんな思いで、とにかく応募しました。

NASAが主催するハッカソンでは、自分の星座をつくるアプリを考案。チームで取り組み、大阪会場で最優秀賞をもらいました。イベントで子どもたちが実際に体験してくれて、喜んでもらえたのがすごく嬉しかったです。

ハッカソンには、宇宙を好きな人たちが集まっていました。一緒に取り組んでみて、好きなことをやる熱量ってすごいなと思いましたね。与えられたことをやるのとは、モチベーションが全然違う。好きなことをやるのは、こんなに素晴らしいことなんだと感じたんです。

それ以来、たとえ好きなことそのものをやるのが難しくても、少しでも好きに近いことをやれるように、自分から選択していこうと思うようになりました。

イントレプレナーになりたい


今は、会社の新規事業に携わっています。開発しているのは、ゴミ処理場でリサイクルできる瓶を自動で選別する機械です。この機械が導入されれば、現場での人手不足を補うことができます。

また、次の新規事業として、リチウムイオンバッテリーを選別する製品の技術検証も進めています。ゴミ処理場でヒアリングしたときに、スマホなどに使われるリチウムイオンバッテリーが他のゴミの中に混入して、火災の原因となっていることがわかりました。機械の目でリチウムイオンバッテリーを正確に見つけて取り除くことができれば、火災の危険を減らすことができます。

今目指しているのは、イントレプレナー(社内起業家)になることです。会社のリソースや強みをもとに、新しい事業をたくさん生み出したい。製品を開発する苦しさも、ゼロからイチを生み出す苦しさも経験してみて、自分の考えたものを形にすることに楽しさを感じています。

それに、いろんな世界を見たいという気持ちもありますね。外の世界を見て、そこにある課題を解決していきたい。実際にイントレプレナーとして活躍している人たちと会うと、楽しそうだし、自分もそうなりたいと思います。

ただ、一人ではできないと思ってます。今も好きなメンバーに恵まれているし、受験のときも仲間に助けられました。仲間がいるから、自分にできないことを頼めるし、お互いに助け合って前に進んでいける。一人で努力することも大事だけど、力になってくれる人たちと、チームをつくって頑張りたいです。

社外では、ハッカソンへの参加も続けていきます。S-Boosterという宇宙ビジネスのアイデアコンテストで優勝するのが目標です。最終的には、やっぱり宇宙ビジネスに携わりたい。新規事業と宇宙ビジネスが繋がったら、という夢はありますね。そのために今は、目の前の事業を頑張って形にします。苦しんだ先にはきっと、新しい景色が見られると信じています。

2023.02.16

インタビュー・ライティング | 塩井 典子

國友 孝憲

くにとも たかのり|株式会社PFU
1981年生まれ。東京大学大学院理学系研究科 地球惑星科学専攻 修士課程修了後、株式会社PFUに入社。ハードウェアエンジニアとして、イメージスキャナ開発部門に配属。2015年、海外ビジネス研修に参加。2017年、先行技術開発部へ異動。2020年、社内の新規事業開発部署へ異動し、新規事業に携わりながら、社外ハッカソンにも積極的に参加し、最優秀賞を受賞。2022年よりRAPTOR事業開発部にて新製品の開発に取り組む。

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