挑戦してやりきれば、世界は広がる。
新たな働き方を模索し挑戦者のロールモデルに。
大手家庭用品メーカーで働く坂本さん。国内営業を担当しながら、スポーツ選手の「水分補給」にまつわる新規事業開発にも取り組んでいます。新しい働き方を模索する坂本さんが伝えたいこととは。お話を伺いました。
坂本 滉太
さかもと こうた|象印マホービン・イントレプレナー
茨城県生まれ。2018年に象印マホービン株式会社に入社。小売店・代理店向けの営業を担当。並行して、スポーツ選手の水分補給をテクノロジーで最適化する新規事業の立ち上げに従事する。
全力でサッカーをやりきった18年間
茨城県龍ケ崎市で生まれました。幼少期からサッカースクールに通っていて、物心ついたときにはサッカーに夢中でした。小学生の頃に入ったクラブチームには、自分よりも上手い人がたくさんいて、もっと高みを目指したいと思うようになり、負けず嫌いな性格になりました。
ただ、その性格が裏目に出て、楽しみながらサッカーをやりたい人に対しては「何でもっとやらないんだ」と、自分の価値観を押し付けてしまうこともありました。100%全力でやりきらないと気が済まないタイプだったんです。
中学でもサッカー三昧の日々を過ごし、進学先の高校もサッカーで選びました。茨城県内の寮のある学校で、サッカー部員は100人以上いる強豪校。自分にはない感覚を持つ人ばかりが集まっていて、一緒にプレーすることで、自分自身の技術が上がるのを感じました。
そのまま練習していけば、遅くとも3年生に上がる頃にはトップチームで試合に出られるだろうと信じて、全力で励みました。しかし、優秀な下級生も多く、トップチームに上がるチャンスは巡ってきませんでした。自分なりに100%出しているはずなのに、どうにもならない。初めての大きな挫折でした。
3年生になり、大会に登録する25名には選ばれたものの、試合には出られませんでした。悔しかったですね。トップチーム以外のメンバーは、夏で引退して、受験や就活に備える人が多い。僕自身も、冬に行われる最後の試合に出られる望みはかなり薄く、よほどのことがなければ可能性はほぼない状況で、引退するかどうか悩みました。
それでも、僕は現役を続行することにしました。最後まで可能性を信じたいという思いもありましたし、試合に出られなくても、最後までやりきる姿を通して、他のメンバーに何か伝えられるんじゃないかと思ったんです。
出場の望みが薄い中、全力で練習を続けるのは気持ち的に難しい部分もありましたが、とにかく最上級生としてチームにできることをしたかったんですよね。
最終的に、県大会の準決勝で逆転負けをして、僕は試合に出られないまま高校サッカー生活に区切りをつけることになりました。試合が終わった瞬間、膝から崩れて起き上がれないぐらい悔しかったです。それまでのことを思い出して、いろんな感情が入り混じった涙が溢れてきました。
寮生活で親にも負担をかけていましたし、「地元を飛び出してやったるぞ」という決意で飛び出したのに、試合で活躍して恩返しすることができなかった。とても苦しかったです。
ただ、自分の出せる力は出し切ったと思えたので、後悔はありませんでした。清々しい気持ちで引退を迎えることができました。
それに、挫折を味わったことで、人の痛みがわかるようになりました。それまでは人に対しても非常に厳しく、他人を思いやる心に欠けていたので、それに気付けたのは大きな財産でした。
日本を飛び出して拡張した世界
サッカー選手になるという情熱は燃え尽きましたが、サッカーは変わらずに好きで、大学に入ってからも週3回位はプレーしていました。大学1年生の春休みには、サッカーを観るために友人とスペインに行きました。
修学旅行で訪れた韓国をのぞけば初めての海外。それまで日本、その中でも茨城県の狭い世界しか知らなかったので、街並みも、食事も、何もかもが日本と違って新鮮でした。
サッカーの盛り上がりも日本とは全く違いました。一日中、街全体がサッカーを観るために動いているような熱狂に包まれていたんです。会場は10万人以上が入るような大きなスタジアムですし、試合が終わったあとはみんなで歌って踊りながら駅まで帰るような賑やかな状況。日本とは違う文化を、自分の目で見て、肌で感じて、世界が一気に広がったような気がしました。
もっといろんな世界を見たいし、知りたい。世界を広げるためには、英語を話せたらいい。そんな思いから、翌年カナダに短期留学に行きました。
誰一人知らない環境に飛び込むのは、内心すごく怖かったですね。英語が全く話せなくて、最初はホームステイ先の家族に「洗濯物をお願いします」すら何と言ったらいいのかわからないほどでした。それでも、次第に話せるようになり、ルームメイトの留学生ともすごく仲良くなりました。
海外は自分の世界を広げてくれる。卒業後も海外で働きたいと思うようになりました。日本はものづくりに長けているイメージがあったので、その技術を世界に広めていけたら面白いと考えて、メーカーや商社を中心に就職活動をはじめました。
いくつかの企業の話を聞く中で、家庭用品メーカーの象印マホービンに惹かれました。はじめは炊飯ジャーや水筒の会社というイメージでした。説明会や面接を通じて人事の方と話をしてみると、「ありのままの自分でいられるな」という感覚があり、その感覚は、他の社員の方と話をしても変わりませんでした。この会社なら、入社後も自分らしく働けると思い、入社を決意しました。
就職活動が終わってから、留学中に出会った友人とともに、バックパックで東南アジアを回りました。学生のうちにもっと海外に行っておきたかったんです。
雨季のラオスを訪れていたある日、乗っていたバスが坂道の上りでスリップしました。このまま死ぬのかもしれないと本気で思いましたが、運よくバスは途中で止まり、事なきを得ました。
辺りを見ると、横転しているバスや車がいくつもありました。バスのタイヤに綱を結んで、乗客全員で坂道の上まで引き上げたのですが、そこから見た景色は信じられないほど綺麗でした。
世界では日本では考えられないことがたくさん起こります。ですが、そのたびに、自分の中の「こうあるべき」といった固定観念が取り払われていく気がしました。世界では何でもありだなって。
また、バックパック中に、一つの土地に惚れ込んで抜け出せなくなっていく日本人の様子を見て、良い悪いではなく、それも一つの人生だと感じました。日本には「正解とされるルート」があるように感じますが、そうではない自分の軸で生きることも尊重されるべきだと、学生生活の最後に改めて気付くことができたんです。
社外で見つけた挑戦できる場所
入社後は国内営業部に配属され、主に家電量販店の営業をすることになりました。毎週のように担当している店舗に足を運んでは、販促物をつけて商品を並べたり、店舗のスタッフさんに商品を知ってもらうための勉強会を開催したりしました。コツコツと仕事を進めることは大好きだったので、前向きに、とにかくがむしゃらに働きました。
3年目になると、現場での仕事ではなく、本部のバイヤーの方と商品の取り扱いや販促について商談する仕事が中心になりました。一方で、モヤモヤも抱えはじめるようになりました。スタートアップに就職した大学の同級生と比べると、仕事の幅が狭いように感じられて。もっと色々なことに挑戦しなくてよいのかと焦りを感じたんです。大学で一気に広がったはずの世界が、社会人になってまた狭まっていくような感じがしました。
そんなとき、社内の新事業開発室で働く先輩から、社内の有志で集まって開催している勉強会に誘われました。その先輩は、社外でもかなりアクティブに活動をしている方でした。その先輩の誘いなら面白そうだと思って参加することにしました。面白くて、月に1回程度行われる勉強会には、ほぼ欠かさず出席するようになりました。
それから半年が経った頃、大企業の有志団体が集まる「ONE JAPAN」という団体があることを知り、その団体が主催する大企業挑戦者支援プログラム「CHANGE」の説明会に参加する機会がありました。さまざまな企業の方が登壇していて、その説得力と熱量に完全に火をつけられてしまいました。
本業以外で、新規事業を作ってみたい。そんな思いから、有志活動として参加することにしました。
スポーツ選手が100%の力を出すための事業案
3か月間、起業家やメンターの方たちにアドバイスをもらいながら、自分が働く会社にイノベーションを起こすような事業案を考えました。新規事業を生み出すなんて経験したことがなかったので、苦労しました。
象印マホービンは、魔法瓶、つまり水筒を作ってきた会社です。水分補給の観点から発想を得て、熱中症予防に関する事業を検討することにしました。
小学生からお年寄りまで、さまざまな人に課題をヒアリングしました。何もかも初めてだったので、とにかく数をこなさなければと、気が狂ったようにやっていましたね。
ただ、課題が見えてきたとしても、すでに社内に似たようなアイデアがあったり、社内で実現させるのは難しかったり。顧客の課題と自社の技術が合う事業を作り出す難しさを感じました。
事業の方向性が見えたのは、過去の繋がりでプロのサッカー選手に話を聞いたときでした。スポーツ選手の「水分補給」は、いまだにアナログの世界で、適切に管理できていないことがわかったんです。
水分補給がきちんとできないと、スポーツ選手のパフォーマンスはもちろん低下します。僕自身、20年以上サッカーを続けているので、試合で力を100%出し切れずに終わってしまうアスリートの悔しさは痛いほどわかります。水分補給に関する課題を解決したら、そんな悔しい思いをするスポーツ選手を減らせるのではないかと考えました。
それから、プロのサッカー選手やトレーナー、日本代表のチームドクターなど、いろんな人に話を聞きました。トップレベルの選手でも、適切に水分補給ができず、パフォーマンスの維持が難しいことがわかりました。この問題を解決するため、普段のトレーニングのときから、体の脱水状態をテクノロジーで管理して、適量の水分補給を促す仕組みを考案しました。
事業を作る中で、本当にこれでいいのか、葛藤はありました。スポーツ選手向けではなく、高齢者や子ども向けの熱中症対策の方が、より多くの人に求められているかもしれないと思うこともありました。
でも、それは自分でなくてもできるんですよね。アスリートの水分補給の事業案は、会社のこととスポーツをどちらも知っている自分だからこそできるし、やる意味がある。そう決意して、事業立案を進めることにしました。
運営事務局、メンター、同期など、多くの方の協力があり、事業計画書やプレゼンテーションを磨くことができました。異なる視点から適切なアドバイスをもらうことで、どんどんやるべきことが明確になっていきました。自分ひとりでは事業立案を進めることはできませんでしたし、つらくて諦めてしまったと思います。
最終的にはプログラムの中でファイナリスト5名に選考され、多くの人の前で事業案を発表する機会を得られました。さらに、事業案を社内で社長や役員にも提案した結果、会社の新規事業として取り組む許可をもらいました。
次の挑戦者を生み出す役割を担いたい
現在は、事業案は「スポーツ選手向けの水分補給をテクノロジーで最適化するプロジェクト」として新事業開発室に引き継がれましたが、国内営業を担当しながらそのプロジェクトに引き続き参加し、事業化に向けて取り組んでいます。入社当時は海外で働きたいと思っていましたが、今は新規事業に力を入れていきたいという気持ちが強いです。
会社の業務として進められるようになったので、以前よりも周りの理解や協力を得ながら事業を作っていけるのが嬉しいですね。この事業を通して、スポーツ選手が後悔なく、100%の力を出し切れるようなサービスをつくっていきたいです。
新規事業をつくる中で学んだ「ヒアリング力」や「人を巻き込む力」は、営業の仕事にも役立っています。自社の商品やアイデアを相手に押し売りするのではなく、相手にとってのメリットや価値をきちんと提示した上で、提案やヒアリングをすることを心掛けるようになりました。
とにかく挑戦して、最後まで全力でやりきったからこそ得られたことだと思います。
しかし、業務以外でそんな経験が得られることは、社内では知らない人が多いのが現状です。僕自身も、先輩に誘われるまでは知りませんでした。
だから、今度は僕が、会社から次の挑戦者を生み出すような役割を担っていきたいと考えています。国内営業にいながら新規事業に挑戦するのは、会社の歴史でも初めての取り組みだそうです。
社内でもやもやすることがあっても、自ら挑戦をすれば、働き方だって変えられる。そんなことを体現する、新しいロールモデルになりたいです。
2022.02.17
坂本 滉太
さかもと こうた|象印マホービン・イントレプレナー
茨城県生まれ。2018年に象印マホービン株式会社に入社。小売店・代理店向けの営業を担当。並行して、スポーツ選手の水分補給をテクノロジーで最適化する新規事業の立ち上げに従事する。
編集部おすすめ記事2019.10.11
編集部の伊藤です。秋は悩みの多い季節と言われます。例えば、ファッション。先週真夏日があったと思ったら、今週は台風到来と秋は天気が激しく変わるので、何を着るか悩みますよね。でも、そこで無難なファッションを選ぶと気分が上がらない。ファッションが心理状態に与える影響の大きさは様々な研究が示していますが、実はanother life.にもその実例があるんです。今回は、ファッションをきっかけに自分に自信がついた3名のストーリーをご紹介します。ぜひご覧ください。
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