自分の分身「占いジプシー」を減らしたい。
占いを通して自分らしい働き方を提案する。

複業占い師として活動している林さん。「複業」という働き方を選んだことで、自分らしく働けるようになったと言います。そこにたどり着くまでにはどんな出会いがあったのか。背景を伺いました。

林 知佳

はやし ちか|合同会社ツナガリズモ代表
1986年、大阪府池田市生まれ。大学卒業後、大手損害保険会社に新卒入社。その後、金融やインフラ系のガス会社、生命保険会社、不動産会社、人材派遣のコーディネーターなど、10年間で9回の転職を経験。27歳のときの大失恋から占いに総額30万円をつぎ込んでしまう。その経験を活かして複業として占い師を始め、2018年に独立。人材業界で働きながら、占い師として活動中。

「普通」に憧れる女の子


大阪府池田市で生まれました。一人っ子で、よく喋る明るい子でした。机の下に隠れたりして人を驚かせ、気を引きたがっていましたね。

両親とも旅行が好きで、長期休みや週末にはよく海外へ出かけていました。観光地に行くよりも、散歩したり地元のスーパーに行ったりと、日本で生活しているときと変わらない日常を、旅先でも楽しんでいましたね。場所を変えるだけで、自分の価値観の許容範囲が広がるんです。旅が好きになりました。

小、中学校はカトリック系の女子校に通いました。小学校では、赤いベレー帽を被り、黒いランドセルを背負っていました。しかし小学4年生のある日、テレビ番組で、小学生の女子が、赤いランドセルを背負って私服で登校している様子を見たんですよね。自分の通っている学校が少数派であることに気づきました。皆同じ制服を着ていること、黒いランドセルを背負っていること、学校に女子児童しかいないこと、シスターがいること、お祈りの時間があること。普通だと思っていたことが普通ではないんだと知り、驚きました。

両親に「男女共学の学校に進みたい」とお願いしましたね。共学なら、女の子らしい赤いランドセルが背負える。テレビで見たような女の子たちと同じ多数派でいたい、と思ったんです。「高校からならいいよ」と許しをもらって。塾に通って勉強に励み、共学の高校を受験し進学しました。

ステータスが生活のすべて


高校では、特進クラスに所属しました。一学年およそ400人のうち上位40人の、難関の国公立大学を目指すような生徒が集まるクラスです。運よく入ることができ、自分が偉くなったような気持ちもありました。

2年生の冬頃、担任の先生から、「生徒会の副会長をやらないか」と薦められて。人前で喋ることに苦手意識がありましたが、生徒会の選挙に出たり、当選後の学校行事で司会を務めたりする中で、度胸がついていきましたね。

ところが3年生のとき、成績が落ち学年で60位になり、特進クラスから落ちてしまいました。特進クラスは、1、2年生のときからの固定のメンバーがほとんどで、落ちた人は数人しかいません。プライドがズタズタに折れてしまって。「平民になってしまった」と思いました。ですが、「落ちてしまったけれど、このクラスでがんばろう」と考え方を変え、勉強に一層励むようになりました。

大学は、神戸の女子大を志望しました。関西有数のお嬢様が集まる学校で、就職にも強いと聞いていて。家族の喜ぶ顔や、周囲からの「あの大学だったらいいよね」という声にも後押しされて、大学を決めました。高校で生徒会の副会長をしていたので、論文と面接だけでAO入試に合格しました。学年で2番目のスピードで進学が決まったんです。嬉しかったですね。

大学時代は、とにかくステータスを気にしていました。周りには裕福な家庭の学生が多く、どんな物を身に着けているかで、人を判断するようになっていたんです。流行りのブランドものの財布を持ってみたり、国公立大学のテニスサークルに入ったり。高いステータスの誰かを羨んでは、「私も同じくらいのレベルのことをしなければいけない」と感じていました。

就職活動でも、ネームバリューを重視して、大手企業ばかりを探していました。ミーハーだったので、テレビ局や広告系、ブライダル系の会社を受けましたが、目指した企業には受からず、損害保険会社から内定をいただいたので就職することにしました。2年ほど働きましたが、部署異動が多く、業務内容を覚えたり環境に慣れたりすることに難しさを感じ、退職しました。

その後、金融系の会社、ガス会社、生命保険会社と転職を繰り返しました。大阪の中心地・梅田にあるビルで勤めたい、有名な会社で働きたい、という理由で会社を選んでいましたね。仕事を定時で終え、友達とご飯に行って、ネイルサロンや美容院に行って、という毎日を過ごしていました。

大失恋でハマった占いを副業に


27歳のとき、人材紹介会社の男性とお付き合いを始めました。ちょうど転職を考えていたとき、「いろんな会社を経験しているから、人材業界が合いそうだ」と彼が人材業界を勧めてくれました。「自分に何ができるのだろう」と悩んでいたので、転職経験が生かせるかもしれないと知り嬉しかったですね。人材業界に興味を持ち、人材派遣会社に転職を決めました。

付き合い始めてはじめての私の誕生日に、デートの約束をしたんです。当日彼から「お腹を壊したから、ちょっと待ってて」と連絡があって。3時間以上待っていたんですが、来てくれませんでした。数日後「病んでしまった病院に行ってくる」と連絡があり、連絡がプツンとなくなってしまいました。

はじめて「結婚したい」と思うほど好きでしたし、振られた理由に思い当たりがなく、ショックで食事もできずかなり痩せました。彼の気持ちをどうしても理解できず、インターネットで何度も「復縁 彼氏」と検索していました。

その中で占いを見つけ、すがる思いでいろんな種類の占いにのめり込んでいきました。1分1200円の電話占いや、インターネット上での課金制の占いなど、別れて3ヶ月で30万ほどをつぎ込んだんです。

占いを受け続けていたある日、ぷつんと何かの糸が切れてしまいました。彼から振られ、占いにお金をつぎ込んで、何もなくなってしまった自分。「30万も使って、何をしているんだろう」と我に返って、とても悲しい気持ちになりました。

でも、せっかく使ったお金がもったいないし、経験を生かしたい。ならば「仕事の後や、休日を利用して副業で占い師を始めよう」と思ったんです。お金を稼いで、これまで使った分を取り返せたらラッキー、くらいの軽い気持ちで始めました。

信頼する人からの一押しで独立を決意


30歳のとき、東京から転勤で大阪にきていた男性と出会い、付き合い始めました。私も東京に興味を持ち、人材紹介会社のエージェントへの転職を決めたんです。その後、彼とは別れてしまったんですが、何かのご縁だと感じ、東京に行くことにしました。

8カ月ほど経った後、会社都合で退職しなければならなくなってしまいました。両親からは、「大阪に帰ってこい」と言われていたんです。でも、せっかく上京したのに友達もできていないし、何かを得たわけでもない。この時間の意味は何だったんだろうと思い、東京に残ることにしました。

次の転職先を探していたとき、従業員30人ほどの不動産業界のベンチャー企業に出会いました。働く人が素敵な人ばかりで、一緒に働きたいと思い、給料は8万ほど落ちましたが、転職を決めました。

社内外の人と関わる中で、これまでの自分が、人を地位や学歴で評価してきたことを馬鹿馬鹿しく感じるようになりました。地位や学歴で人は決まらない。

それがわかってから、「大学はどこですか?」と聞くことがなくなりました。それよりも「今何をされていますか?」にフォーカスするようになったんです。

給料は、大手企業に勤めていたときよりも減りましたが、占い師の仕事で20万ほど稼いでいたので、金銭面での不安はありませんでした。自分次第でどうにかなる、と思えるようになっていましたね。

31歳のとき、ある知人から、人材ビジネスの共同経営の話を持ちかけられました。これまでの経験を生かせるのでは、と思い、会社を退職して起業準備を始めたんです。

しかし、会社を立ち上げる直前に契約書を確認したとき、「副業禁止」という規則を見つけまして。役員報酬に加えて副業でも収入を賄おうとしていたので、お金の面でかなり不安になりました。占い師を辞めるつもりもなかったので、共同経営の話を断ることにしました。

その後、会社員と副業、という今までの働き方に戻るか、フリーランスになるか、悩んでいました。ある日、副業で占いサービスを出店しているプラットフォームの会社の社長と会う機会があり、悩みを打ち明けたんです。すると、「知佳ちゃんなら大丈夫だよ」と背中を押してもらって。信頼する社長からの一言で、独立を決断できましたね。

占いを通して自分らしい働き方を実現


現在はフリーランスとして、2019年5月に合同会社ツナガリズモを立ち上げ活動をしています。大きくは、人材系の会社にてお仕事をしたり、オンラインサロンを運営したり、自分自身が占い師として活動することもあります。

占いは1日に2、3時間行っています。twitter経由で連絡をもらい、ビデオ電話形式で占ったり、LINEを使ってチャット形式で占ったりしています。10代からで60代まで、幅広い年齢層の方からご依頼をいただきます。8割が恋愛相談ですね。あとは、占い師を目指す人のために、講座を月に2、3回ほど開くとともに、オンライサロンの運営もしています。30人ほどのメンバーが所属していて、毎週1回は、可能な限り一人ひとりと面談も行っています。

失恋してつぎ込んだ分を取り返そう、という軽い気持ちで始めた占いでしたが、今は、占いの啓蒙をしていきたいと考えています。占いを利用する人が、過去の私のようにしんどい思いをする「占いジプシー」にならないようにしたいんです。占いに答えを求めたり、占いに頼りすぎて自分では何も決められなくなってしまったりする人を減らしたいと思っています。

そのために、私が伝えていくのももちろんですが、私の「弟子」のような存在を作って活動を広げていきたいと思っています。人を占いにハマらせてしまうことは容易で、占いで稼ぐことは簡単なんですよね。だから占い師は、世の中から怪しい目で見られがちで。占いをもっとポジティブに発信していく人を増やしていきたいですね。noteやTikTok、Clubhouseを使って、カジュアルな感じで発信を続けています。

占い師の他にも、猫が好きで、一緒に暮らしている猫二匹の様子をYouTubeチャンネルで配信したり、ケニアを旅していたときに出会った方のアクセサリーの輸入販売を行ったりしています。好きだと感じる自分の直感に従って始めた仕事で、ゆるゆると続けています。複数の収入源を持って、心の面に余裕ができましたね。

私は、10年間で9回の転職を繰り返してきました。職歴はボロボロですし、何度も辞めていると友達や両親から「また辞めるの?」と言われることもあって、自信を失いかけたこともあります。でも、自分は人より転職経験が多い。だったらこの経験を生かして仕事をしようと思って複業という形を選んだんです。

今は完全にリモートワークなので、会社員の時よりも新しい仕事に挑戦しやすく、子供の頃から大好きな旅行にも行きやすくなりました。この働き方をすることで、自分ができることの幅が広がったと感じています。

特に占いは、完全にリモートワークで本業の合間でもできますし、時差があったとしても大丈夫。占いを副業する働き方やライフスタイルを提案することで、世の中に自分らしく働くことのできる人を増やすお手伝いができればいいな、と思っています。

個人としては、遠い将来の夢や目標を掲げて自分自身に「枠」を作るのではなく、自分の心に素直に生きていきたいと思っています。私は、「複業」という形を選んで、自分の生きたいように生きられるまでにかなり時間がかかりました。でも、人の出会いを通して、成長できたことに感謝しています。「自分指標」でやりたいことを選び、自分らしく生きていきたいですね。

2021.03.15

インタビュー・ライティング | 宮武 由佳

林 知佳

はやし ちか|合同会社ツナガリズモ代表
1986年、大阪府池田市生まれ。大学卒業後、大手損害保険会社に新卒入社。その後、金融やインフラ系のガス会社、生命保険会社、不動産会社、人材派遣のコーディネーターなど、10年間で9回の転職を経験。27歳のときの大失恋から占いに総額30万円をつぎ込んでしまう。その経験を活かして複業として占い師を始め、2018年に独立。人材業界で働きながら、占い師として活動中。

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