映画館で株主総会?
僕が信じる、「場所という」付加価値の力

お寺や野球場といったユニークなスペースを、簡単に貸し借りできる「スペースマーケット」を運営している重松さん。もともと大手の通信会社にいたものの、ベンチャー企業に転職、そして独立に至るまでにはどのような背景があったのでしょうか。お話を伺いました。

重松 大輔

しげまつ だいすけ|空きスペース共有プラットフォーム事業運営
お寺や野球場といったユニークなスペースを、簡単に貸し借りできる「スペースマーケット」を運営する、
株式会社スペースマーケットにて代表取締役を務める。

株式会社スペースマーケット
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自分で何かをつくっていくのが好き


小さい頃から勉強が好きで、自分で何か調べたり本を読むのが好きでした。

理科の教師だった父親に工作を習ったりしていたおかげか、夏休みの自由研究の全国大会で賞をもらったこともありました。自分で何かを作るということが好きだったような気がします。

一方、運動も好きで、小学校から中学校まではずっと野球をやっていました。そして中学3年生になり、高校ラグビー部を題材にしたドラマ「スクールウォーズ」の影響で、ラグビーにかっこいいというイメージを持ち、やってみたいと思うようになりました。

そこで、ラグビーの強い公立の進学校に進むことに決めたんです。高校に入学してからはラグビー漬けの3年間でしたね。練習は辛かったですが、キャプテンをやったことでリーダーシップやチームを作る力、徹底的にやりきるDNAの様なものを得ることができたと思います。

部活引退後、受験勉強を始めましたが、とにかくユニークな人がたくさんいる大学に行こうと考えていました。ただ、漠然と自分で記事を一から書いていく記者の仕事に興味があり、関連しそうな法学部に入学することに決めたんです。

大学入学後、ラグビーサークルに入りましたが、それだけでは高校時代と変わらずつまらないと考え、同時にサークルの友人の紹介で、テレビ局でADのアルバイトを始めました。

このアルバイトにはかなり没頭しましたね。単純にテレビ業界への憧れがきっかけで始めたのですが、取材でいろいろなところに行けたり、自分自身がテレビに出演することもあったり、とても楽しいと感じました。また、番組毎に出演者を割り当てたり、スタッフの仕事を割り振ったりする仕事だったので、自分で段取りを設計していくことがとにかくおもしろいと思いましたね。

そして迎えた就職活動では、テレビの仕事と同じように、何かおもしろいことを仕掛けられる仕事がしたいと考えました。テレビ局も含め様々な会社を受けましたが、最終的にこれからはインターネットが世の中を変えていくと考え、通信の大手企業に入社することに決めたんです。

自分の手で何かを仕掛けたい


入社後に私が配属された部署は、同僚のほとんどが自分より年上で50代の人ばかりでした。そんな環境なので、インターネットを扱う仕事に関しては、むしろ若い自分の方がリーダーシップを取り、年上の社員の方々をマネジメントしていかなければなりませんでした。

通信業界は、回線網の進化に伴い1年毎に売るものが変わるといった変化の激しい環境でした。その変化をどうしたら年配の社員の方に理解してもらい動いてもらえるのかということや、どうしたら彼らと円滑に仕事をしていけるのかということを考えた経験は、自分の力になったと思っています。

そして入社して4年程経った頃、先輩が担当していた自社のPR誌をリニューアルして引き継ぎ、編集長として担当することになりました。自社の商品をPRするため、商品特集を組んだり、お客様企業の経営者に取材に行ったりしていましたね。

多くの予算が付いていたこともあり、その他にも自分で戦隊もののキャラクターを企画してプロモーションをしたりしましたが、これらの仕事はほとんど1人でやらせてもらっていました。

また同じころ、会社とは別にプライベートで知り合いから、相撲の十両力士を応援するためにプロデュースしてほしいと頼まれました。もともと相撲が好きで、相撲界をもっと多くの人々に知ってもらう機会になればと思い、依頼を引き受けたんですよね。

そこで、流行り始めていたブログをその力士に書いてもらうことにしました。芸能人ブログというのは、まだあまりなかったんですよね。結果的に、大手ブログの芸能人カテゴリーの第1号となり、それなりにプロモーションを成功させることができたんです。

こうして力士をブログでプロデュースしていく中で、世の中にものごとを発信する基礎を学び、その楽しさも知ることができました。

このように自分で仕掛けて変化を起こす経験をしていくうちに、個人の力で新しい何かに挑戦したいと思うようになっていきました。

するとちょうどその時、仲の良かった会社の同期が起業していて、一緒に働かないかとメンバーに誘ってもらったんです。

大企業の肩書もあり迷いはありましたが、分野に関わらずとにかく自分の手で仕掛けることをしてみたいという気持ちが強くなり、その同期の会社に転職することに決めたんです。

「場所」という付加価値


新しい会社では、インターネットでイベントの写真を販売するサービスの運営に携わりました。ベンチャー企業だったので様々な業務を兼務する中、多くのイベントに足を運びましたね。

転職時は、自分の手で何かを仕掛けたいという気持ちはあったものの、この分野にこだわっていたわけではなかったのですが、働いていくうちに、「場所」という付加価値の大きさに気づくようになったんです。全く同じことをしている写真でも、どこで撮るかが違うだけで売れ方も全然違うんですよ。

例えば、草野球の大会をどこかの河原でやるのではなく甲子園球場でやるというユニークなものや、ただのマラソンではなく東京マラソンのように東京の名所を回るようなものに関しては、自分たちも感動するし、お客さんも写真を喜んでくれるんですよね。

また一方で、新規事業も任され、ウエディング写真販売の事業を立ち上げました。

結婚式で撮影された写真は通常届くのに2・3ヵ月かかるのですが、インターネット上で1週間後にネットで見ることができ、その場で買えるようなサービスを作りました。これは新郎新婦だけでなくその親にもとても喜ばれ、年間3万組が利用するビジネスにまで発展させることができました。

そうやってこのサービスを拡大させている時、たまたま平日の結婚式場に営業に行くことがありました。すると、土日はものすごく混んでいるにも関わらず、平日は全く人がいなくガラガラで、とても立派な設備が整っているのに何だかもったいないなと、すごく違和感を覚えたんですよね。

元々イベントに携わる中で、場所が見つからなかったり使えなくなってしまったことでイベントができないことがあり、課題を感じていたので、この空きスペースと、使いたい人をマッチングさせたら良いのではと思いつきました。

また、同じ内容のイベントを開催するにしても、普段使わないような場所で行うことで場所の効果が働き、イベントの価値をもっと高められるのではないかと考えたんですよね。

元々、独立しようかと考え始めていたものの、何の事業をするか定まらず自信もなく起業には至っていませんでした。しかし、この空きスペースのマッチングの事業を思いついたこと、そしてウエディングの新規事業を形にすることができ、自信がついてきたことにより、独立の意思が固まりました。

年齢的にもやるなら今しかないと思い、37歳の時ついに起業することを決意したんです

スペースの概念を変えていく


そこで立ち上げたのが、スペースマーケットでした。主に法人向けに、空きスペースや利用時間外のスペースを、会議や株主総会などのイベントに向けて貸し出すという事業を行っています。今では140か所ほどのスペースを利用できるまでになり、その種類は本当に様々で映画館や野球場、お寺などもあります。

日本中におもしろいスペースはまだたくさんあるので、それをもっと顕在化させていきたいと思っています。やはり変わった場所って人々のテンションを上げる効果があると思うんですよね。特に会議などはいつもと違う場所でやれば、より良いアイディアが出ると思いますし、場所ってやっぱり大切なんです。

だからその選択肢をもっと作っていきたいと思っていますし、もっと多くの人に場所の持つ付加価値を知ってもらいたいと考えています。

この事業を通じて、地域の活性化にも貢献していきたいと思うんです。前職で地方のイベントに行ったときなどに、地方に活気がないことを感じていたのですが、イベントを行うことでそれを打開しようとしてもやはりどこか寂しさを感じていたんですよね。

地方には面白い場所が多いので、スペースマーケットを利用してその場所で今までにないイベントをやることでそこへ新しい人の動きを作ることなどを通し、地方の活性化に繋げられたらと考えています。

将来的には、イベントをやるときにはまずスペースマーケットで探そうと言われるようにまでしていきたいですね。

2014.06.30

重松 大輔

しげまつ だいすけ|空きスペース共有プラットフォーム事業運営
お寺や野球場といったユニークなスペースを、簡単に貸し借りできる「スペースマーケット」を運営する、
株式会社スペースマーケットにて代表取締役を務める。

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