最初は継がないつもりだった、実家の隠岐神社。
型を破り、新しい神職のあり方を探り続ける。
島根県にある隠岐郡海士町で、隠岐神社の禰宜(ねぎ)として活躍する村尾さん。代々続く隠岐神社の禰宜の家系に生まれましたが、海外志向が強く、家を継ぐ気は全くなかったとか。守りではなく攻めの生き方が好きだという村尾さんは、なぜ禰宜を継ぐことに決めたのか。どんな神職のあり方を目指しているのか。お話を伺いました。
村尾 茂樹
むらお しげき|隠岐神社禰宜・海士町文化財保護審議員・海士町議会議員
島根県の隠岐諸島にある隠岐神社にて禰宜を務める。
代々続く隠岐神社の子として育つ
島根県にある隠岐郡海士町で生まれました。私の先祖は代々隠岐神社の禰宜をつとめており、伝統のある家系です。隠岐神社の長男なので、神社を継ぐことを期待されていたと思います。
外の世界に憧れている子どもでした。テレビは親が選んだ番組しか見られなかったので、ほとんどニュースしか見ていませんでしたね。ヨーロッパや中東のニュースを見て、「世の中はこんなに広いのか」と興味を持ちました。日本の中心は東京だと知ってからは、ずっと東京に行きたかったです。
中学生になって、憧れの東京や海外に行くためにはどうすればいいかを考え始めました。東京の大学に行って留学するのがいいと思いましたね。そのためには本土の高校へ行くべきだと考えて、松江の高校を選びました。
進学した松江の高校では、世界史が大好きでよく勉強しましたね。受験が近づいてきたある日、両親が松江にやってきて「大学はどうするつもりなのか」と聞いてきたんです。松江の高校にも関東方面の大学の情報は多くありませんでした。そのため、東京にどんな大学があるのかさえ知らず、何も進路が決まっていない状態。父が東京の私立大学を出たことは知っていたので、そこにしてしまおうと思いました。
海外と東京にしか興味がなかったです。地元の神社のことも、祭りのこともよく知りませんでした。家を継ぎたいという思いは全くありませんでしたね。
学んでみたら神道も面白い
進学してからも、ヨーロッパに行ってデザイナーになるとか、オペラの指揮者になるとか、そんな夢を抱いていました。海外の映画に出てくる世界に憧れていたんです。
大学の授業は神道系が多かったけれど、興味はありませんでした。ただ、神職の資格を取ることが必須のコースだったので、授業にはちゃんと出ていました。
大学3年生の12月にいきなり高い熱が出て、それが数か月続いたんです。病院に行くと風邪だと言われましたが、結局入院することになりました。
2か月入院したので、授業をほとんど休んでしまい、卒業が危ぶまれる状況になりました。そこで退院後は資格を取るために必要な単位を取ることに専念し、取り損ねた神道系の授業を沢山受講したんです。
興味のなかった神道も、いざ本気で学んでみると「面白い」と感じるようになりました。信仰が生まれる背景には、飢饉や政治不安など、人々が助けを必要とする理由がちゃんとあることが分かってきたからです。
その後、何とか資格を取り、無事大学を卒業することができました。卒業後は神社本庁に就職したんです。神社本庁に決めた理由は、必要な用事がある日以外は袴をはかなくてよかったからです。神職らしい堅い雰囲気がなかったので、馴染めそうだと思いました。
袴をはいて、伝統やしきたりに沿った仕事をする神社の仕事は自分には合わないと思っていました。そのため、隠岐神社を継ごうとは思いませんでした。両親には相談せずに就職先を決めたので、ずいぶん怒られましたね。
神社本庁でさらに勉強する
神社本庁は全国の神社をまとめている宗教法人なので、そこでは色んな仕事ができました。最初に担当したのは広報の仕事でした。出版物を作ったり、マスコミ対応をしたり、一般の方々からの質問に答えたりという内容です。
面白かったのは、一般の方々から来る質問に答えることですね。神社や宗教に関する質問の電話が、よく神社本庁にかかってくるんです。「神様の教えは本当でしょうか」とか、「〇〇神社の由来を教えてほしい」とか、内容は色々です。
難しい質問も多かったですが、答えられないとかっこ悪いので、調べて回答する。それを繰り返すと、知らず知らずの間に知識がついて、神社のことなら何でも答えられるようになりました。元々凝り性なのか、知っていくとさらに知りたくなりましたね。
他にも、教化課という部署に移ってからは、神社の子ども会やボーイスカウトなどを盛り上げるために色んな活動をしていました。お宮を中心にした街づくりを考えたりもしましたね。意外と色んな方面に活動の幅が広がって面白かったです。
また、外国に神道の教えを広めるためにアジアを回ったりもしました。ヨーロッパに行きたかったですが、人気だったのと英語力が必要なのとで断念しました。ヨーロッパに行けなかったのは残念でしたが、どこれあれ外国に行くのはやはりワクワクして、とても楽しかったですね。
一方で、神社に関係のない他のことをやってみたい、と思うこともありました。同世代に有名なIT企業がたくさんあって、よくテレビで活躍を目にしていたから意識したというのもありますね。彼らのように、自分の力で世界を変えられたらかっこいいじゃないですか。
元々挑戦するのが好きなのに、周りの空気はやはり保守的でしたから、影響されて自分も保守的になりつつあったんです。「神社とはこういうものだ」という伝統やルールを守る側になっていく自分に、どこか違和感がありました。
親の体調不良きっかけで、神社を継ぐ
神社本庁で色んな部署を経験しながら16年働いて、神道にも精通していった頃、父の体調が悪化しました。いよいよ隠岐神社の跡継ぎが必要になったんです。この父の病気がきっかけで、妻と子どもと一緒に海士町に引っ越し、隠岐神社を継ぐことに決めました。
子どもが小学校に上がる前だったので、父親の故郷である海士町のことを教えるのにちょうどよいタイミングでした。将来子どもが神社を継ぐかどうかを決めるとき、隠岐神社のことを何も知らなかったら判断ができないですよね。禰宜の家系に生まれた以上、子どももいずれは仕事選びで悩むことになるので、小さいうちに両方の選択肢を示しておこうと思いました。
隠岐神社の禰宜を継いだものの、最初はやりたいこともなく、与えられた仕事をこなすだけでした。隠岐神社の歴史も地域の祭りの時期も分かっておらず、あまり楽しさは感じませんでした。
でも、神社本庁でかなり勉強したかいがあって、神社についての色んな知識は既に頭に入っていました。お陰でキャッチアップに時間はかかりませんでしたね。海士町の風習や隠岐神社の説明もすぐにできるようになりました。
この頃、移住者の増加により海士町が注目され始め、隠岐神社の禰宜であるというだけでしょっちゅう取材を受けるようになりました。取材を受ける中で、自分は「ありがたいお話」をする神職者ではないと気付いたんです。
神道に興味がなく、袴も嫌いで、隠岐神社を継ぐのをずっと避けていたんですから。これまでずっと神に仕える神職者のイメージとはかけ離れた生き方をしてきたのに、神社を継いだからといって気持ちや性格が変わるわけがないんです。
そこで、そんな「ありがたくない」自分にできることは何だろう、と考え始めました。私のこれまでの経験を生かすために、やれることはなんでもやってみようと思ったのです。
神社を中心に持続可能な町おこしを
今は、隠岐神社の禰宜と、隠岐諸島にある他5つの神社の宮司を兼任しながら、町おこしをする会社の経営にも携わっています。これだけ色々なことをやっているので地域の人との繋がりも増え、「ありがとう」と言われることも多くて、非常にやりがいを感じています。これらの仕事を通して海士町全体を盛り上げ、前向きに挑戦する人を増やしていきたいです。
海士町は町おこしで有名になっていますが、経済的に潤っているかというとそうではありません。Iターンの人は確かに他の市町村に比べて多いですが、経済活動を回している雰囲気はあまりないですね。田舎では稼げないと皆思ってしまいがちですから。「離島だから無理」「田舎だからできない」という言葉を誰も言わない空気を作りたいですね。
桜並木などの海士町らしい景観を後世に残していくためには、まとまったお金が必要です。そのお金を作るために、町おこしを事業とする会社を設立しました。
禰宜という立場を踏まえれば、奉仕にするほうが聞こえはいいんでしょうけど、それでは島の文化や伝統を守り続けることはできません。収益をきちんと得て、お金を投じることによって海士町の文化を守っていくことが必要だと思っています。
大人があきらめムードの中で生きているのか、前向きに挑戦して生きているのかは、子どもにもすぐ伝わります。親として、自分の子どもには前向きな気持ちで生きてほしいと思うんです。
これから子どもも、隠岐神社を継ぐか別の仕事に就くかで悩む時が来るはずなので、なおさらそう思います。神職を選ぶとどうしても伝統の重みを感じて、自分がやりたいこととの違いを感じてしまうんですね。私もそうでした。
だからこそ「神職を選んでも、自分のやりたいことはやれる」と示したい。そして、子ども自身が「自分は隠岐神社でこんなことがやりたい」と思った時に継いでくれればいいと思っているんです。
これからも海士町を良くしていくために新しいことに挑戦していきたいですね。
2020.02.12
村尾 茂樹
むらお しげき|隠岐神社禰宜・海士町文化財保護審議員・海士町議会議員
島根県の隠岐諸島にある隠岐神社にて禰宜を務める。
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