まちの魚屋から、福祉事業者へ。
一歩踏み出す勇気を大切に、悔いのない決断を。

【トマト銀行提供】魚屋の3代目として家業を継いだ山中さん。商売の楽しさに目覚めますが、40代で新たに未経験の介護施設の運営を始めます。福祉業界へのチャレンジの背景にあった、山中さんの思いとは?お話を伺いました。

山中 祥吉

やまなか しょうきち|富田ケアセンター有限会社代表取締役
大学卒業後、地元・岡山県で家業の魚屋を継ぐ。ビジネスの先を見据え、25年間続けた魚屋から新たに介護業界へ参入。現在は富田ケアセンター有限会社代表取締役として介護・医療・福祉の複合施設を運営。地域社会をサポートしている。

サラリーマンに憧れる


岡山県倉敷市に生まれました。家は祖父の代から続く魚屋です。女性が多い家系だったので、待望の男子が生まれたと祖父はすごく喜んでくれて、可愛がられて育ちました。外で友達と鬼ごっこやキャッチボールをしたり、近所の庭に潜り込んでいたずらしたりするのが好きなわんぱくな子どもでしたね。

両親ともに魚屋の仕事にかかりきりだったので、身の回りの世話は祖母がしてくれていました。祖母や母から「3代目として将来は魚屋さんを継ぐんだよ」とずっと言われていたので、大人になったら魚屋になるんだと自然に思うようになりました。

勉強は嫌いでしたが運動が得意で、高校では野球部に所属しました。練習はきつく上下関係も厳しかったので、1年生の時は本当に辛かったですね。先輩によって性格も違うので、何を言ったら喜ぶのか、何を言ったら怒るのかを見極め、その人に合わせた対応をすることが求められました。人の個別の特徴を掴んで対応するのがうまくなりましたね。

3年生になって部を引退して、進学か就職か進路を考えました。もう少し野球を続けたい気持ちもあったし、何より「まだ魚屋は継ぎたくない」という思いから進学を決めました。

父も母も魚屋の仕事で忙しく、家にいることが少なかったので、家族みんなで食卓を囲むような家庭が羨ましいと思っていました。家業を手伝ってはいましたが、魚屋ではなく普通のサラリーマンに憧れていたんですよね。

商売の楽しさを知る


大学1年生の時、父ががんになって入院しました。家族や親戚が「もう大学やめて継いだほうがええ」と言う中、父が「大学だけは卒業させる」と言ってくれていたらしいんです。母や親戚からその言葉を聞いた時、「大学を卒業したら魚屋を継がにゃならん」と腹が決まりました。いずれ戻らなければいけないと思ってはいましたが、覚悟ができたんです。

継ぐことを見据えて、4年生の時には魚市場で仲買のバイトをしていました。午前0時から近海でとれた魚を荷受けして4時半には市場に並べ、競りで落とした魚を魚屋に運ぶ。魚市場では、そういった一連の流れを学びました。卒業後は、魚屋を継ぐにあたって修行するために、22歳でスーパーに就職しました。

スーパーでの仕事はやりがいがあって面白かったですね。お客さんの流れを読んで、広告商品はここ、利益率が高い商品はここと自分で考え、パックされた魚を売り場に陳列するんです。野菜や肉と比べても、特に魚は日持ちしないので、ちょっとの売上の差が大きな損失につながってしまいます。どうやったら売れるか考え、工夫して利益を出していく商売の難しさ、楽しさを感じました。

接客の中でお客さんと親しくなって、「今日入ったこの魚おすすめだよ」「お兄さんが言うなら買おうかな」とコミュニケーションがとれるのもまた楽しかったですね。

商売に前向きに仕事に取り組んでいこうと決意し、3年ほどそのスーパーに勤めた後、25歳で家業を継ぎました。

もう後悔はしたくない


アルバイトやスーパーで働いた経験を活かし、家族の支えもあって魚屋の経営は上手くいきました。小売の他に、工場や学校、病院、ホテルなどにも営業して、魚を卸しました。

30代前半になると、だんだん新しいことに挑戦してみたいという気持ちが湧いてきました。ちょうどその時、冷凍食品がどんどん開発されている時代でした。自分たちも魚を売るだけでなく、冷凍食品を扱う総合的な食品会社になれたらもっと利益を出せるのではと考えました。

でも、新しい事業に手を出すにはコストもかかるし、もし失敗したらどうしようとためらい、結局挑戦できませんでした。しかし、数年後に冷凍食品を扱う会社はどんどん増えて、早く参入した会社は大きな利益を上げて成長していきました。

自分の考えは正しかったのに、一歩踏み出す勇気がなかったせいでチャンスを逃してしまった。本当に悔しかったですね。もっと自分を信じてあげればよかったと思いました。「もう二度と同じような後悔はしたくない」と強く思いました。

先を見据え、介護業界参入


そんな後悔を抱えながら40歳になって、また時代の潮目が変わるのを感じました。きっかけは知り合いの漁師の仕事の仕方をたまたま見たことでした。漁師は獲った魚を漁業組合に卸すのが普通だったんですが、彼は船から直接、築地に電話で連絡して、値段を交渉していたんです。

東京、名古屋など自分でいろいろな場所に連絡をとって、値段を交渉して一番高く買ってくれるところに卸す。そんな売り方を見て、これからもっとインターネットが普及したら、さらに情報のやりとりが速く効率的になり、料理屋が直接漁師に注文できる時代が来るだろうと想像できました。小売や卸のポジションは徐々に必要なくなり、魚屋として利益を出すのは難しくなる、と強く危機感を覚えたんです。

経営者として他のビジネスを行うことを考え始めた時、病院の事務長を務めていた義父から、「介護事業をやってみないか」と話をもちかけられたんです。はじめはあまりピンときていませんでしたが、食事の提供をするデイサービスの施設を造れば、魚の卸先になると考えました。さらに2000年に介護保険が施行され、国から出る介護報酬の額がサービスの内容によって加算されることを知って、「これから伸びていくビジネスかもしれない」と感じたんです。

未経験の業界への挑戦は不安もありました。しかし、過去にチャレンジせず悔しい思いを味わったことを考え、介護業界への参入を決意。2003年の10月に居宅介護支援センターを開設しました。

ただ、周囲には、魚屋から参入してきて介護の業界のことなんか何もわからないだろうと思われていました。知識がなく、専門用語がわからないので、職員にもなかなか信用してもらえません。しかし、介護で頑張ろうと決めていたので、やめるという選択肢はありませんでした。

まずは同じ土俵に上がらなければと思い、勉強してヘルパー2級の資格をとりました。周囲の目が変わったのを感じましたね。他の資格の勉強も続け、介護福祉士の国家資格を取得しました。すると職員としっかり話せるようになりましたし、外からいろいろ言ってくる人もいなくなりましたね。

介護も魚屋も根本は一緒


しばらくは介護事業と並行し、魚屋の店頭にも立っていました。ある日、馴染みのおばあちゃんといつものように世間話をしている時に、「今度グループホームに入るんだよ」という話が出ました。グループホームは認知症の高齢者が共同生活をする介護福祉施設です。「まだこんなに楽しく話ができるくらい頭もしっかりして元気なのにね」と話すと、おばあちゃんは「身体が動かなくなってきて介護が必要になったから、グループホームに入らないと息子が働けないんだ」と言うんです。

そのおばあちゃんだけでなく、ほかの人からも似たような声を聞いて、グループホームが必要とされているのを感じました。そこで、日帰りで施設での介護を受けられるデイサービスを併設したグループホームを建てたんです。すると今後は他のおばあちゃんから、「ショートステイに行かなくちゃいけないんだが、遠くて困っているんだよ」という話を聞きました。ショートステイは一時的な宿泊ができるサービスです。必要とされているならと、ショートステイができる施設も造りました。

介護事業も根本は魚屋と同じです。要望を持ったお客さんがいるとわかったら、それにあった対応をする。お客さんのニーズを聞いて、それに答えていくうちに、どんどん事業の規模が大きくなりました。

ただ、大変なこともありました。新しく事業を立ち上げたら、思ったように利益が出なくなったんです。自信があったので1年で利益を出す事業計画を立てて、金融機関に大丈夫だと請け負っていたんですが、なかなか黒字化しませんでした。自分の準備の甘さを感じて、きちんと計画的に物事に取りくもうと思いました。

どの施設でも経営が順調に回り始めたころ、障害者の受け入れも可能な共生型看護小規模多機能型居宅介護事業所の設置を国が推奨しているという情報を仕入れました。この事業所が今までと違うのは、要介護者だけでなく障害者も利用できるというところです。そのため、これまで以上に看護師、理学療法士等などが必要でしたが、これはチャンスだと思い、いち早く指定申請しました。

職員にたんの吸引などの研修も行い、事前に計画的に準備をしました。その結果、県で初めての共生型看護小規模多機能型介護事業所を開設できました。事業所の2階には住宅型有料老人ホームを設置し、病院から早期退院を促され自宅での生活が困難な方や、若くして障害をおった方も入居できる施設を作りました。

勇気を持って一歩踏み出す積極性と、計画的に物事に取り組む慎重さが上手く噛み合ってチャンスをものにできたんです。とても嬉しかったですね。

自分の選択を後悔しない努力を


現在は岡山で、デイサービス・訪問介護・老人ホーム・居宅介護支援など全体で22の介護サービスを提供しています。

高齢化で増え続ける医療費削減のため、政府は2025年度までに病院のベッド数を16〜20万床減らす目標を示しています。自宅や介護施設の受け入れ体制の整備がこれまで以上に重要になる中で、高齢者の在宅復帰を支えるのが介護事業所の役割になると思います。

私たちは、日中の時間を事業所で過ごしていただく「通い」、一時的に在宅が困難になった場合の「泊まり」、服薬確認や買い物・掃除・食事の配達など行う「訪問」の3種類のサービスを組み合わせて、さまざまな状況の利用者に合った細やかな支援を行なっています。

サービスを通じて、地域の方々に貢献できるのが一番の喜びですね。町の清掃や地域行事への参加はもちろん、事業所合同で行事を行うなど、ご家族や地域の方々との交流を大事にしています。皆から愛され、頼られる居場所でありたいと思っています。

利用者さんにとっても、働いている従業員にとっても心地よい場を提供したい。そのために必要なら、事業の拡大や新しい福祉のサービスへの参入にも積極的にチャレンジしていきたいと思っています。

新しいことをはじめる時って、やっぱり必ず反対意見も出るんですよ。人それぞれ価値観は違いますから、リスクを考えると動かないほうがいいという意見が出るのは自然なことです。でも、自分としてはまず一番に、やっぱり後悔しない選択をしたい。まず行動し、その選択が正解だったと思えるように全力で頑張るプロセスを大事に、これからも挑戦する気持ちを忘れずに努力し続けたいです。



※この記事は、トマト銀行の提供でお送りしました。

2019.10.21

ライティング | 山田えり佳インタビュー・編集 | 粟村千愛

山中 祥吉

やまなか しょうきち|富田ケアセンター有限会社代表取締役
大学卒業後、地元・岡山県で家業の魚屋を継ぐ。ビジネスの先を見据え、25年間続けた魚屋から新たに介護業界へ参入。現在は富田ケアセンター有限会社代表取締役として介護・医療・福祉の複合施設を運営。地域社会をサポートしている。

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