道なき道で自分の軸を持てる人を増やしたい。
情熱的な人達との出会いと別れから学んだこと。

小学2年生で単身留学したのを皮切りに世界中の学校に通い、現在はコンサルティング、コーチングを通して企業で働く人の教育や組織開発を行っている平原依文(いぶん)さん。平原さんが世界中の学校教育を通じて感じたこととは。お話を伺いました。

平原 依文

ひらはら いぶん|プロノイア・グループ 広報兼SDGs担当
早稲田大学 国際教養学部卒業。新卒でジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社に入社。その後、「楽しく働く人を増やしたい」という自らのパッションにしたがい、プロノイア・グループ株式会社に入社。独創的なコンサルティングの手法を用い、自分の軸や価値観を大切にしながら働くことを広めている。

「素直な感情」を強みにしたい


東京都目黒区で生まれました。保育園ではいじめられてました。そばにいた子に「ねえねえ」と肩をたたいて話しかけたら「うわ、いぶん菌がついた」と言われたときは、すごく悲しかったです。それをきっかけに、自分の感情と言葉の「声」を押し殺すことになりました。

いじめは小学校に入っても続いていましたが、1年の2学期に、ターゲットが中国人の女の子に移りました。

ある日、国語の授業でその子と席が隣同士になりました。仲良くしたら、またいじめられると思ったので、話しかけられてもずっと無視することに。それでも、彼女は構わず、「いぶん、見て!100点とったよ」と満面の笑顔でテスト用紙を見せてくれました。どんなに打たれてもめげずに、前に突き進む彼女の強さに惹かれ、中国に行くことを決意しました。

中国で一番最初に感じたのは、感情の豊かさです。どんなに言葉がわからなくても、一人ひとりの顔に浮かぶ表情で喜怒哀楽が伝わってきました。感情を押し殺してではなく、「解放」してコミュニケーションをする中国の文化に一気に魅了されました。

「自分もこの力を手に入れたい!」と強く思い、母に「中国で暮らしてみたい」と頼み込んだんです。その結果、もともと1週間の中国旅行の予定でしたが、急遽学校探しの旅に変わりました。

教育が人の価値観を形成する


歴史あふれる街中を歩きながら学校を見つけるたびに中に入っては、「入学したい」と覚えたての英語で伝えましたが、大抵は門前払いされました。

そんな中、1校だけ話を聞いてくれて、その場で入学テストを受けたんです。中国語がわからないから合格は難しいと思いましたが、なんとか漢字が読め、ボーダーラインギリギリで合格できました。入学準備のため、帰国して日本の学校の退学手続きを済ませ、小学2年生から単身で中国の学校に通い始めました。

転校してすぐ、文化の壁に打ちのめされました。言葉が通じない、文化も共感されない、話す相手は担任の先生か給食のおばちゃん。「中国と日本の間には交わることのできない歴史の壁がある」と落ち込み、ストレスが原因で円形脱毛症や栄養失調になり、これからも中国で暮らすと思うと、目の前が真っ暗になりました。

「中国語も英語も話せない日本人」というレッテルが理由で友達ができず誰とも話せないので、最初の半年間は中国語がほとんど身につきませんでした。唯一の楽しみは毎月配られる60分間の国際電話カードを使って日本にいる両親と話すことでしたが、時間も限られていたので日本語すら忘れていきました。人と話すのが嫌になり、どんどん孤立していきました。

そんな状況を見かねたのか、ある日、担任の先生が寮に訪ねてきて、アメリカの歴史の教科書を見せてくれました。先生は「アメリカの教科書と中国の教科書では、同じ歴史でも伝え方が違うのよ」と教えてくれたんです。

「どうして違うの?」と聞いたら、「歴史は権力のある人が作るもので、その国の権力者の都合のいいように解釈されたものなの」と答えてくれました。さらに、「だから、いぶんには歴史に振り回されないで、自分の目で見たことや、いま自分が感じることを真実として大事にしてほしいの」と言ってくれたんです。

その言葉で、視界がパッと開けたように感じました。歴史にとらわれ、中国人は日本人が嫌いだと勝手にバイアスをかけていたことに気づいたんです。それからは、余計なことは考えず、目の前の人の表情や感情に集中することで、自然と「人として」心の対話が取れるようになりました。

歴史や国籍といった表面的な違いをはぎ取ると、喜怒哀楽という共通感情が残ることもわかり、もっと人と感情を共有したいと思うようにもなりました。

これまでは、どれだけテストで丸暗記をして良い点をとっても、日常生活では中国語がほとんど使えませんでした。でも、相手に集中して会話をすることで「本物の語学学習」が始まり、中国語が話せるようになっていきました。

自発的にやりたいことを見つけられる学校


小学6年生のとき、中国人の友だちがカナダに移住することになりました。「カナダってどんな国?」と聞いたら、「いろんな人種が集まる国際色豊かな国」と言われました。

中国では「出身国」が原因でいじめられていたので、驚きました。「いろんな国籍や宗教が交じり合う国って本当にあるのかな?」と興味が湧き、カナダ留学を決めました。

そこで得た一番の学びはカナダの教育は「自由と多様性」です。私が通っていた学校では毎月、「ライフプランニング」の授業がありました。生徒一人ひとりが自分の将来の夢と、夢をかなえるためにどんな道を歩み、今何をやるべきなのかを考え、みんなの前で発表するんです。

実際に、卒業後に進学や就職をせずに、本の執筆をする子もいれば、貯めたお金でカフェ経営をする子も。はっきりとしたビジョンを周りの子が語る一方で、高校卒業後は大学に入学することが当たり前で、唯一の選択肢であると思っていた自分に落胆しました。これではいけないと感じ、授業を通じて、自分の将来や夢を初めて真剣に考えることに。人生を活き活きと歩んでいくうえで「軸」を持つことの重要性を感じました。同時に、自分の軸を探求できる境界線のない学校を設立したいという夢ができました。

プロフェッショナルだった父親


高校2年生のとき、日本にいる母親から「父が癌になり、危ない状態だ」と連絡があり、すぐに帰国しました。手術の結果、父は一時的に回復しましたが、最期までなるべく父のそばにいてあげたいと思い、帰国して日本の大学に行くことに決めました。

叶えたい夢を見つけ、「頑張るぞ!」と思っていた最中、父の癌が再発しました。そのときは、もう手の施しようもない状態でした。父はずっと製薬会社に勤めていて医学に詳しかったので、自分の状況を理解していました。病室で余命宣告をされたとき、父は医師にこう聞きました。「患者さんのために、僕は症例としてどう役に立てますか」。

さらに続けて、「僕は娘が20歳を過ぎてるからいいけど、小さな子どもを遺して亡くなる患者さんは、すごくつらいと思うんです。余命が少ない患者さんや遺される家族に対し、医療従事者はどのように寄り添えるのか、僕は最期の時間を先生と一緒に考えたいんです」と医師に話しました。亡くなる寸前まで、仕事を愛してプロフェッショナルな姿勢を貫き通したんです。

その言葉を聞き、なんでこんなにも仕事や家族、周りの人を愛せるんだろうと衝撃を受けました。父や父と同じように病気で苦しむ患者さんやご家族の選択肢を増やしたいと思い、医療に関わりのある会社に就職しました。

パッションを人生の軸に


入社後、6カ月で社長直下のチームのリーダーを任されました。その後も、新規プロジェクトや重要ポストを任され、社会人として順風満帆でした。誰もが知る風通しのいいグローバルカンパニーで働き、昇進して肩書きがつくことや、約束された未来があることは素直にうれしいと思いました。

しかし、ある昇進の辞令をもらった日が、たまたま父の命日で、ふと「このままでいいのだろうか」と思いました。父に憧れて医療関係の会社に入りましたが、父の仕事内容ではなく、仕事への熱いパッションに憧れたのではないかと疑問に思ったのです。今の仕事に対して、父と同じレベルのパッションを持っていないことを思い出しました。

そして、自分が本当にやりたかったことは、留学中にライフプランニングの授業で経験した、こども、大人関係なく、誰もがやりたいことを見つけ、自分の軸を形成できるサポートだと気がつきました。

それからは、どうすればこの夢が実現できるかひたすら考えました。学校を建て、自分が受けた教育を子どもたちに受けさせたいと思いましたが、父との思い出から、子どもに一番影響力があり、ロールモデルであるのは親だと思いました。仕事に全力で向き合い、楽しく働いているお父さんとお母さんを見ることが、子どもにとっては何よりも自らのやりたいことについて考え、それに向かって頑張るモチベーションになるはずだと考えたのです。

私は、父が心から好きな仕事をしている姿を見ていました。しかし、今の日本では親が仕事のことを楽しそうに子どもに話す姿は、あまりないと思います。そもそも残業が多く、子どもと話す時間が取れない親もたくさんいます。今の日本に蔓延している、働くことへのネガティブな固定観念を壊し、生き生きと働く人を増やしたいと思いました。

その方法を考えていたとき、知り合いが立ち上げた会社の存在を思い出しました。「誰もが自己実現できる未来を創る」という企業理念を掲げており、企業のコンサルティングを通して、働く人の自律的な意識改革を行っていました。自分のやりたいことに近いと思い、転職を決めました。

自分らしく働ける世の中を


現在は、プロノイア・グループ株式会社で広報兼SDGs担当として働いています。プロノイアでは、企業で働く一人ひとりがこの多様性を生かしたパフォーマンスを最大限に発揮し、イノベーションを起こせる土台を創るための「人」に焦点を置いたコンサルティングをしています。

これまでのコンサルティングは、課題解決策を提供して終わりでした。しかし、私たちは「答え」をポンと渡すのではなく、課題に対して何度も何度も「なぜ」を問いかけます。さらに、他の業界で起きている最先端の変化を伝えたりすることで、狭くなっている視野を広げさせ、問題解決のための材料を提供します。

また、自分たちを「主人公」として置いた時に、何が好きで、どういう状態を理想的だと思っているのかを考えさせるワークショップを開いたりもします。わくわくしてもらいながら、それぞれの軸を見つけてもらい、社内でアイディアの設計、実験のプロセスを繰り返し、ビジネス施策まで導きます。

「野球選手になりたい」「ロケットを造りたい」など、誰もが一度は幼少期に抱くピュアで壮大な夢は大人になり就職すると、業界・会社の枠組みの中でしか物事を考えられなくなり、記憶から忘れられてしまいます。私たちはその「青くさい夢こそが変化に繋がる大きな鍵」だと心から信じています。だからこそ、自社で提供するサービスを通じて、ワクワクしながらやりたいことに取り組む感覚を思い出し、自分の価値観を大切にして、軸をぶらさずに働く人を増やしていきたいと思っています。

また、同時並行で日本人も外国人も通う学校造りにも挑戦したいです。様々な国籍の生徒がいて、多様な価値観に触れ、学びの境界線がない学校にしたいです。教科書丸暗記のような教育ではなく、個性を尊重できる教育の仕組みも確立したいと思っています。

学びに年齢制限はありません。だからこそ、子ども大人関係なく、多様な価値観に触れることで、自分自身が見えてきます。自分はどう生きたいのか、何が生きがいなのか、軸をつかめるような教育を広めていきたいです。

2019.04.22

平原 依文

ひらはら いぶん|プロノイア・グループ 広報兼SDGs担当
早稲田大学 国際教養学部卒業。新卒でジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社に入社。その後、「楽しく働く人を増やしたい」という自らのパッションにしたがい、プロノイア・グループ株式会社に入社。独創的なコンサルティングの手法を用い、自分の軸や価値観を大切にしながら働くことを広めている。

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