帰国子女・ネットバブル世代。
だから、日本からグローバル企業を創りたいんです。

日本から新たなグローバル企業を生み出すべく、ベンチャーキャピタリストとして起業家・ベンチャーの支援を行う高宮さん。東大・外資コンサル・ハーバードMBAという華やかな経歴の裏側には、自分の生き方を思い悩んだ「第二思春期」がありました。

高宮 慎一

たかみや しんいち|ベンチャーキャピタリスト
グロービス・キャピタル・パートナーズのChief Strategy Officerとして、
コンシューマー・インターネットの領域を中心に投資を行う。

グロービス・キャピタル・パートナーズ
View of The World - ベンチャーキャピタリストの世界の見方(ブログ)

同質化しようと努力していた


親が企業の海外事業部に務めていたこともあり、幼稚園の頃からイギリスで生活していました。向こうに行った当時は、現地の子ども達からもの珍しがられ、嫌でしたね。

小学校で日本に帰ってきたのですが、そこでも「英語をしゃべってみて!」と言われるんです。周りに合わせるため、わざと日本語みたいな発音でしゃべったのを覚えています。まるで隠れキリシタンのように、帰国子女であることを隠し、同質化しようと努力していました。心の中はモヤモヤしているのに、表面は合わせるので、空気を読むのは得意になりましたね。

そんな背景もあり、若干親の仕事で振り回されたような感覚を持っていたため、自分は、腕一本でやっていけるプロフェッショナルになろうと、中学を卒業する頃には、漠然と国際弁護士を目指すようになったんです。

そう決めてからは、逆算で学校を決めていき、私立高校を経て東京大学へ進学しました。本当は法学部にあたる文化一類を目指していたのですが、現役時にやや受験を舐めていて(笑)失敗してしまったこともあり、 一浪した後で、文化二類になんとか入ることができました。

イケてるやつは起業する


大学に入ってからはクラブにハマり、週3・4日は通っていました。小さい頃から音楽が好きだったのですが、浪人中からクラブジャズを好んで聴くようになったんですよね。しまいにはDJも始めるようになり、クラブは、音楽を通じて出会う色々な属性の友人と集まる部室のような感覚でした。ただ、アゲアゲのジャンルとは違い、マニアックな音楽に没入するようなオタク性でした。(笑)

自分にはクリエイティブの才能が無かったのですが、クラブイベント等を通じてたくさんのクリエイターと接する中で、ぼんやりとですが、ビジネス面での支援など、一緒に働くことに心地よさを感じていましたね。ちょうど、大学時代はネットバブルの時期と重なっており、隣のゼミにmixi創業者の笠原さんがいたり、仲のいい友人が起業したり、「イケてるやつは起業する」というような雰囲気がありました。

そんな影響もあり、自分自身、起業に興味を持つようになったのですが、すごく慎重派だったんです。関心は持ちながらも、「経営って何だろう?」と思い悩んでしまったこともあり、一度コンサルにいけば経営を学べるんじゃないかと考え、外資系の戦略コンサルに入ることに決めました。

気づけば、石橋を叩き割ってしまい、ネットバブルをスルーしてしまっていました。

訪れた「第二思春期」


コンサルに入社してからは、主にITサービス企業の事業戦略や、イノベーション戦略の立案を担当しました。新卒ながら経営層を相手に仕事をさせてもらうことができ、すごく刺激的でしたね。

ところが、6年ほど働き、成長カーブも落ち着いてくると、ふと、これが元々やりたかったことなのか、立ち止まって考えるようになったんです。気づけば、経営の修行のつもりで入社したのが、修行自体が目的化されてしまっていたんですよね。

改めて、自分のキャリアの中で成し遂げたいことは何なのか、考えるようになりました。それまで走ってきたのとは一転、まるで「第二思春期」のように、思い悩みました。

その結果、出た結論は、学生時代に機会を逃してしまった「アントレプレナーシップ」に関わることをすること、コンサルでの経験で関心をもった「イノベーション」に携わること、そして、学生時代のクラブで感じたような、「クリエイティビティ」のある仕事をすること、の3つでした。

そんな内省を経て方向性が明確になると、新しい挑戦のため、アメリカのMBAに進むことに決めたんです。元々帰国子女であったことからもっていたグローバルな仕事がしたいという思いも大きかったですね。

コンサルを退職し、ハーバードのMBAに進学しました。

「どこまでストレッチできるんだろう?」


アメリカに渡ってからは、クリエイティブに関わりたいという気持ちもあり、在学中には、「CONTINUUM」といういわゆるデザインファーム(デザイン思考を使ったイノベーションコンサル)でも、インターンとして働きました。

学生時代に、慎重になりすぎてタイミングを逃してしまったことへの後悔もあり、「自分は、どこまでストレッチできるんだろう?」というテーマに対しての挑戦でした。

そんな折、同ファームインターンとして働く中で、同ファームの日本事業を立ち上げようという話になり、 卒業後はジョイントベンチャーとして自分も出資して、起業のような形で立ち上げをやるという話もありました。

いよいよ起業家側として、また事業側として、事業を運営する、そして自分でもリスクをとって金銭を借り入れて出資するということもあり、新しい挑戦への緊張がありましたね。

ところが、ちょうどそのタイミングでサブプライムショックが起こりました。デザインのコンサルは不景気に弱いということもあり、日本への投資は破談になってしまったんです。主体的に進めてきたプロジェクトだったため、残念な気持ちはありました。ただ、不安も感じていたため、安堵感もありましたね。

そんな状況で、私が選んだのは、日本のベンチャーキャピタルで働くという道でした。デザインファーム同様、夏にインターンを行っていたのですが、業務内容としても、ベンチャー支援・イノベーションと、自分の求めていることと重なるし、何より、出会ったキャピタリストが、一緒に働きたいなと思える人たちだったんですよね。

アメリカから戻った私は、ベンチャーキャピタリストとしてのキャリアをスタートしたんです。

日本と海外を経験した自分だからこそのミッション


元々IT関係のコンサルも行っていたので、ベンチャーキャピタリストとなってからは、webサービスを創るベンチャーに関わるようになりました。「アントレプレナーシップ」と「イノベーション」という観点ではやりたいことど真ん中だと思っていたのですが、 「クリエイティブ」の観点はあるかなぁと、正直不安に思ってはいたんです。

ところが、いざベンチャーキャピタリストとして働いてみると、まさにクリエイターと仕事をするような感覚に近かったんですよね。アイデアを生み出す「天才」のクリエイティブの部分を、「秀才」が科学していくような仕事で、気づけば、

「あ、これってやりたかったことじゃん」

と感じたんです。

自分のやりたいと思う仮説に向けて動いていれば、色々な人の助けも借りて、最後はたどり着くんだな、と思いましたね。

これからは、日本と世界をつなぎ、日本発のメガ・グローバル企業を創りたいと考えています。幼い頃、海外で馴染めず、帰ってきてもどこか周りと違う、そんな風に感じたコンプレックスが、日本に軸足をおいて貢献したいという想いにつながっています。グローバルな仕事を求めてアメリカでインターンもしたのですが、結局、海外のローカルのビジネスをしているだけだと気づいたんです。

だから、「海外経験がある日本人」という自分のバックボーンを最大限に生かして、日本を軸足に、海外で通用するような企業を生み出したいんですよね。それが、私個人のミッションだと思うんです。

やっぱり、何かを生み出したいという憧れは強い気がします。いつかは、自分でやってみたいなという淡い憧れみたいなのもあります。(笑)

2014.06.23

高宮 慎一

たかみや しんいち|ベンチャーキャピタリスト
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