過去を飛躍のための原動力に。
仲間の志を大切に「ほっこり」を生み出す。
特定の領域にとらわれず様々な事業を展開し、お客さんに「ほっこり」を提供している、株式会社ウィルフォワードの代表取締役である成瀬さん。大きな挫折を乗り越え、会社を立ち上げた成瀬さんがこだわる「ほっこり」とは。お話を伺いました。
成瀬 拓也
なるせ たくや|株式会社ウィルフォワード代表取締役
「世界を一つの家族にする」というビジョンの下、社員1人1人の志(WILL)の実現のため様々な事業のプロデュースを手掛けている。
「幸せ」は考え方次第
北海道札幌市で生まれ育ちました。父の影響で小学生のときから科学雑誌を読んだり科学番組を観たりしていました。一度考えだすと止まらない性格で、宇宙の起源や生命の成り立ちについてもどっぷりはまり、考え込むようになりました。
しかし、宇宙や生命は解明されていないことばかりで、いくら考えても答えが出ないんです。どうせ考えるなら、もっと自分に意味のあることを考えたいと思うようになりました。
あれやこれやと考えるうちに、人生を大好きなゲームに見立てる考えにたどり着きました。人生は幸福感というスコアをどれだけ稼げるかのゲームで、いいことがあれば加点、嫌なことがあれば減点するのです。例えば、給食のパンがおいしかった、プラス5点、好きな子と目が合った、プラス10点、といった具合です。毎日点数を出し、その累積点数を増やす日々でした。
日々を重ねるうち、点数は自分次第と気づきました。例えばコッペパンを食べたとき、「口の中がパサパサして味気ないなあ」でマイナス3点になるのか、「牛乳と一緒に飲むとおいしい」でプラス10点になるのか、それは自分次第だと。スコアを上げるには、物事をいかに前向きに捉えるかが大事と気づいたのです。
そこで、その思考を身に付けるため、ネガティブをポジティブに考える訓練を始めました。例えば、まず友人に最近あった嫌なことを聞きます。次に、集めた嫌な事をどのように考えればプラスの得点に、しかも高得点にできるかを考えます。授業中ずっとそんなことばかり考えていました。
そんなある日、友達に後ろから蹴られ、雪解けの水たまりに突き落とされました。冷たい上に泥だらけ。怒りに身を任せて殴りかかろうとした瞬間、「自分が人にされて嫌なことは、他の人にしてはいけないと、身をもって知れる機会になったな」という考えがひらめいて、殴るのをやめました。自分でも気づかない間に物事を前向きに捉える思考が身に付いていました。
受け入れられなかった現実
勉強や学校行事など、何をやっても優秀な成績でしたが、どんなに努力しても平均にすら届かなかったのがスポーツでした。スポーツに対するコンプレックスを克服するため、中学では陸上部に入りました。陸上部ならチームスポーツと違って、100%自分の考えで戦術を立てて勝負ができる分、考えたことが正しくワークしたかどうかわかりやすいと思ったのです。
入部してしばらくは基礎運動ばかりでしたが、先輩の代わりに出場した長距離競技の大会で好成績を残し、長距離専門選手に。そこから努力を重ね、3年生のときには北海道で個人9位になりました。駅伝では全国大会に出場確実と言われていたのですが、メンバー全員が不調でうまく走れず、全国大会出場を逃してしまいました。
その悔しさから、高校でもインターハイを目指して陸上を続けることにしました。どうすれば自分の記録を伸ばすことができるかばかりを考え、毎日3年間必死でトレーニングに打ち込みました。
そうやって迎えた、インターハイの北海道予選大会。予選で3着までに入れば決勝へ進める条件の中、「よし予選通過!」と3着でゴールラインを越えようとした瞬間、後ろからラストスパートしてきた選手からピュッと抜かれました。「あっ」と思ったときには、相手選手の方が先にゴールしていました。
その瞬間、私の予選落ちが確定し、放心状態で地面から起き上がれなくなりました。それでも邪魔になるから退かなければと立ち上がると、自分の足が軽いことに気付きました。その瞬間、涙がブワっと流れてきました。自分の油断で力を使い果たせず、不完全燃焼に終わったのが悔やんでも悔やみきれませんでした。
卒業後は大好きな映画の世界に進むつもりでした。しかし、このまま陸上をやめたら、この後悔を一生背負うと思い、払拭するためにはどうすれば良いのか考えました。その結果、テレビでなじみのあった箱根駅伝に出場すれば、この後悔を解消できると思いつきました。そこで、箱根駅伝に出場するためだけに、出場経験のある関東の国立大学に進学をすることにしました。
しかし、入学してみると優秀な選手がいませんでした。箱根駅伝は大学の宣伝にもなるため、私立大学が選手集めに力を入れ、国立に良い選手が残らないのです。
そこで、優秀な選手を獲得するため、目をつけた生徒のいる高校に「○○君、是非一緒に箱根駅伝を目指しましょう」と手紙を送りました。また、他の学校より練習しなければと思い、部員にアルバイトをやめさせ、生活費はOBから寄付を募って集めたりして工面しました。
そんな努力の甲斐あって、4年生のとき、部全体で強くなっていたものの、あと一歩箱根駅伝出場には及びませんでした。どうすべきか考えた結果、大学院へ進学するなどして卒業を伸ばせば、もう一年練習を積んだ状態で勝負ができると思いつきました。そこで、同期の主力を一人一人説得することに。熱意を持って話をしたことで、多くのメンバーに共感してもらうことができ、ベストメンバーでの予選会参加を次の年に回すことができました。
迎えた大学院1年目の秋。本戦への出場資格を獲得できると信じて予選会に臨みました。しかしレース中、練習中に起こした肉離れが再発し、納得いく走りができませんでした。結果は予選敗退。現実を受け入れられませんでした。
ゴールした瞬間から泣きっぱなしの僕に対し、北海道から応援に来てくれた母が「才能のある子に産んであげられなくてごめんね」と声をかけてくれました。その言葉に対し「そうだな」と思ってしまう自分がいました。僕はできる限りの努力をした。こんなにやったのに報われないのは自分のせいではない。
できなかった要因を才能や誰かのせいにした途端、現実と真正面から向き合うことができなくなりました。そして、気分が落ち込み、鬱になってしまったんです。精神的に壊れてしまい、研究室に行っても突然抗えない眠気に襲われたり、急に涙がでてきたりしました。鬱は半年間続きました。
過去は変えられる
そんな状態で就活が迫り、就活サイトを見ると、未知の世界へ飛び込む不安感から吐き気がしました。それでも陸上部の仲間は「何をやってもお前ならできる」「一緒に何かやりたいやつはたくさんいる」と声をかけてくれました。そんな励ましを受け、徐々に前向きになっていきました。
就活にあたって何から始めれば良いのかわからなかったので、まずは新聞を読むことにしました。ただ、書いてあることが全くわからず、文字を追うだけで5時間もかかりました。それでも毎日読み続けていると、1週間たったときには30分で読めるようになりました。小さな達成感を感じ、次は就活に関する本を読んでみよう、その次は本を書いた先生の講演に行ってみようと、できることも増えていきました。
そんな中、人から勧められ『竜馬がゆく』を読みました。低い身分というハンデがありながら、日本を動かそうと奔走する坂本竜馬の姿に熱いものが込み上げ、具体的に何をすると思っていたわけではありませんが、「俺もこの時代の竜馬になる!」と決めました。そこで、まずは興味のない研究をやめるため、大学院を中退しました。
『竜馬がゆく』では、竜馬が時代を動かすキーマンに会いに行く姿が描かれています。そこで、講演会に出たり出版社あてに熱い感想文を書いたりといろいろな手を使って、成功している社長や起業家に会いました。
また、ビジネスの世界で結果を出せば、人生で最大の挫折だと感じていた箱根駅伝に出られなかった事実を、違った意味で捉えられるのではないかと思いました。箱根に出られなかったのは、神様が「もっと大きなことを成し遂げるためのバネにしろ」と言っている。こう考えれば、あの出来事は挫折ではなく、飛躍のきっかけだと思ったのです。
「過去は変えられないが、未来は変えられる」という言葉はあるけれど、過去すら変えられているんじゃないかと思いましたね。そこで、箱根駅伝よりもスケールが大きい領域に挑戦するため、起業家になろうと決心しました。
ただ、これまで陸上しかしていなかったので、社会経験を積むため、一度会社員を経験したほうがいいと考え、より一層、就職活動に専念しました。成長できる環境があることを会社選びの軸にした結果、人材教育コンサルを行うベンチャー企業に就職しました。
自分で起業しないと
入社後は法人営業や新規事業を担当し、企業研修の講師をしたり、研修プログラムの開発を手掛けたりしました。その後、人事部へ異動し、新卒採用を担当。もともと、あまり高い知名度ではありませんでしたが、8000人もの応募者を集め、会社を人気企業ランキングの上位に押し上げました。
僕を慕って入ってくれた後輩がいたこともあり、気づけば入社して7年がたっていました。しかし、このままではいつまでも起業できないなと考え、思い切って会社を辞めました。
何をするか決めるため、改めて、自分のやりたいことを考えました。そんな中思い出したのは前職で、自分が担当したクライアントの社員研修の様子。若い社員は活発に議論していたにも関わらず、年配で役職の高い人たちはなかなか意見を出すことができませんでした。また、少しでも社長が発言すればそれに合わせて意見を変える。
役職の高い社員も入社当初は志を持ち、活発に意見を出していたに違いないのに、いつの間にか周りに合わせてばかりで自分の意見を持たなくなってしまう。それでは本来人が持っているクリエイティビティが発揮されません。
そこで、仲間一人一人が自らの意思を持ち続けられる組織を作りたいと考えました。そのために、それぞれがやりたいことを軸として事業をつくりたいと考えました。
また、事業を作るなら、新しい社会問題を作り出さないようにしたいとも思いました。多くの企業を見てきた経験から、企業は問題を解決するために、別の問題を作り出しているという負の側面もあると思っていたからです。例えば過重労働は、資本主義社会の中で勝ち残るために起きます。いくらい良いことをしていても、新しい社会問題を生み出していては意味がありません。
社員の志を軸に、なおかつ新しい問題を起こさない事業を作る。そのためには、どこかの会社に所属するより、自分で0から作った方が早いと考え、退職してすぐに株式会社ウィルフォワードを設立しました。
誰かの人生の登場人物に
現在は、株式会社ウィルフォワードの代表を務めながら、株式会社WELLNEST HOMEの役員もしています。立場はどうあれ、自分の志を大事にする大好きな仲間と共に、その志とその仲間の才能を元にした事業を展開しています。例えば、アスリートのセカンドキャリアのモデルになりたいと考えていた、元日本代表マラソンランナーとのマラソン大会の開催。人に生きる喜び、輝きを与えたいと考えていた、元ミュージカル俳優との企業向けプレゼンテーション研修の企画。世界一の家を作りたいと思っている元職人と最高性能の住宅づくりなどです。
やりたいことに取り組んでいるとき感じる満足や幸せは、事業を通してお客さんに「人の温かみ」として伝わります。その結果、自分たちが提供するサービスによってお客さんが感じる印象を、我々は「ほっこり」と呼んでいます。
一方で新たな問題を起こさないような組織づくりにも取り組んでいます。例えば、満員電車を避けるため出勤時間は決めていません。また、子育てがしやすいよう子連れ出社もOKにしました。必要以上に規制しないことを意識しています。
会社の中での僕の役割は、社員の志を事業として確立できるようプロデュースすることです。個人的にはもっと深く、長く関わる人を増やしていきたいです。そうすることで、自分と違った才能を持つ人の人生の中でも、重要な登場人物として生きられると思うからです。その結果、僕だけでは決してできなかった経験ができ、得られなかった幸せを感じられると思っています。
これからも、一緒に働く仲間や、関わる人の人生を良いものにするため、志を事業にするプロデュースをしていきたいです。そして誰かの人生の登場人物である僕が、もっと人をわくわくさせられるよう、一人一人の志に寄り添って生きていきたいです。
2019.04.04
成瀬 拓也
なるせ たくや|株式会社ウィルフォワード代表取締役
「世界を一つの家族にする」というビジョンの下、社員1人1人の志(WILL)の実現のため様々な事業のプロデュースを手掛けている。
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編集部の伊藤です。秋は悩みの多い季節と言われます。例えば、ファッション。先週真夏日があったと思ったら、今週は台風到来と秋は天気が激しく変わるので、何を着るか悩みますよね。でも、そこで無難なファッションを選ぶと気分が上がらない。ファッションが心理状態に与える影響の大きさは様々な研究が示していますが、実はanother life.にもその実例があるんです。今回は、ファッションをきっかけに自分に自信がついた3名のストーリーをご紹介します。ぜひご覧ください。
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