人々に愛される場所を世の中に増やしたい。
かっこいいものだけじゃダメなんです。
新潟で建築事務所を構え、「建築は人の内面が反映されるので、個性を活かすべき」と話す田中さん。デザインから建築の道を選び、現在に至るまでどのような背景があったのかお話を伺いました。
デザインを学ぶも、家具屋さん志望に
小さい頃から絵を描いたり、ものを作ったり、図工が得意な子どもでした。
家には漫画や本がたくさんあって、それを読み漁っていたこともあり、
小学生の頃から漫画家になりたいと思っていましたね。
高校生の時、雑誌を読んでいたら、「スカイアンブレラ」という、内側に晴れた空が描かれた傘が載っていたんです。
雨の日でも空が晴れているという、そんなデザインがあるのかと感動したのを覚えています。
自分もそのようなデザイン性溢れるものを作れたら良いなと考え、漫画よりもデザインの勉強をしたいと思うようになったんです。
そこで、プロダクトデザインを学ぶために、地元の新潟を離れ秋田の短大に進学することにしました。
大学にはデザイン科と工芸科があり、私はデザイン科に進みました。
ある時、工芸科の授業を受けたのですが、自分でデザインしたものを実際に自分の手を動かしてつくることに面白みを感じました。
それからはデザインの勉強は続けるものの、卒業後は何か自分で企画して制作したものを売りたいと思っていました。
ちょうどその頃、企画から製作、販売まで全て自社で行っている大阪の家具屋さんが有名になった影響もあり、
自分も家具屋になろうと決め、学校を卒業しました。
家具屋ではないかも?
大学卒業後、地元新潟にある家具屋に就職することができました。
しかし、働いていくうちに、そこでの仕事は自分のやりたかったことじゃないということに気づいてしまったんです。
そこでは家具に加え、建具や店舗の什器など様々なものを作っていたんですが、
そういった何かの一部分だったり、自分の身の回りにないようなものだと、
何を作っているのかイメージし辛く、どうしても愛着が持てなかったんです。
また家具を作るには高価な器具を揃えなければならず、
今後も家具屋を続けていくのは難しいんじゃないかと思っていた時に、
建築家を目指していた大学時代の友人と話す機会がありました。
その友人と話していくうちに建築に興味を持つようになり、
家具屋を退職し、その友人とともに東京にある建築の職業訓練校に入学しました。
職業訓練校では1年間、建築設計を学んで無事卒業し、そのまま東京で建築事務所に就職しようと考えていました。
しかし、ちょうどその頃、新潟の父親が入院してしまったんです。
実家が自営業だったので、父の代わりをしなければならず、東京で就職することは諦めました。
やっぱり建築がやりたい
そして新潟に戻り、実家の仕事を手伝いました。
ただ、建築の仕事がしたいという思いは変わりませんでしたので、
建築士の資格の勉強をしたり、親戚の大工さんの下に通い実務経験を積んだりしていました。
そして3年ほど経ち、そろそろ建築の仕事を始めたいという気持ちが強くなっていた頃、
父親の病気も快復して実家の仕事から抜けても大丈夫な状態になりました。
地方の建築事務所は数が限られていて就職口が少なかったので、
ネットで色々な事務所を検索していくうちに、自分の好みに合うような設計をしていて、
新潟出身で東京で活躍している設計事務所を知りました。
そこで、その建築事務所の方に、「どんな形でもいいから働かせてほしい、一度会ってほしい」と手紙を書いてみたんです。
この行動はかなり思い切ったなと思います。
自分は有名な建築の大学を出たというような、いわゆる建築の「正規ルート」を通っていないというコンプレックスがあり、
連絡しても相手にされないのではと思っていたんです。
でも行動しなければこのまま先へは進めないという思いもあったので、手紙を送る決断ができました。
そして、その建築家の方が新潟に来るタイミングで、お会いすることができました。
その時に、せっかく建築士の資格を持っているのなら自分の事務所を開業したらいいと勧められたんです。
少し抵抗はありましたが、この人が言うのならやってみようと思えたし、
自分は建築家として他の人よりも遅れをとっていると焦りがあったため、新潟で個人事務所を開くことに決めました。
建築家として一人でやっていきたい
個人事務所を始めたものの、仕事の依頼は全くありませんでした。
そのため、独立を勧めてくれた建築家の方が新潟で仕事をする際の設計のサポート業務をすることに加えて、
工務店での現場監督の仕事もしていました。
この現場監督の仕事は自分にとって大きな経験となりました。
今まで自分が図面で書いていたものが、実際にどうやって作られていくのかを現場で見ることで、
自分のやっている設計と完成した建物をリンクさせることができるようになりましたね。
また、現場でコミュニケーションをとることで、建物を作るまでに関わる様々な立場の人の考え方が分かってくるようになりました。
それまで、家具と同じで建築も一人で作りたいと思っていたのですが、
建築は一人でできるものではないと実感することができたんです。
ただ、設計の仕事はもらえていなかったのて、焦りを感じ続けていました。
このままでは現場監督になってしまって、自分の設計を実現できないまま終わってしまうのではないかと考え、
また友人の助言もあったので、次は東京の設計事務所でインターンとして働くことにしました。
ここのインターンで様々な設計者や建築関係者と関わるうちに、
建築とは、設計者の内面が色濃く反映されるものであり、
また周囲を巻き込んでいく人間力のようなものが大切なんだと思うようになりました。
そして、現場監督を通じて色々な方の立場を知っている自分であれば、
うまくできるのではと少しずつ自信が湧いてきました。
また、インターンを始めて少し経った頃に、新潟にいる知り合いの大工さんから家を建てるので図面を描いてほしいと頼まれ、
それからは東京と新潟を行き来するようになったんです。
インターンと比べると、新潟の仕事はゼロから自分で設計を考えていくもので、
非常にやりがいがある仕事でした。
しかし、徐々にインターンの仕事も増え、新潟での図面を考える時間も必要で、
時間が圧迫されるようになっていったんです。
そろそろ腰を据えて自分の事務所をやっていくべきなのではないかと思うようになり、
新潟に戻ることを決めました。
自分のキャラに合ったものを作りたい
それからは新潟に拠点をシフトし、だんだん安定して仕事の依頼をいただけるようになりました。
ある自転車屋さんの設計を手掛けたことで、新潟ショップデザイン賞をもらうことができたんですが、
それで市報に載ったりして、徐々に新潟で名前を知ってもらえるようもなっていきました。
現在では、友人も増えてどんどん仕事の幅も広がっています。
主に、店舗や住居の設計をしていますが、「かっこいいもの」を作りたいとは決して思ってないんです。
自分にはシャープで「パキっとしたデザイン」は似合わないと思うんですよね。
それよりも、「かわいい」ものを作りたいと思っています。
これを上手く言葉にするのは難しいですが、作っている人の気持ちがしっかりこもっていて、
人々から愛着を持たれているものという意味に近い気がしています。
今は自分自身目の前の仕事で精一杯ですが、予算や効率だけに流されずに、
作った人たちのキャラクターが表れる建築がもっと増えていくべきだと思っています。
人々に「そこに行きたい」と思われ、愛される建物を世の中にどんどん増やしていきたいですね。
2014.06.23
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