数々のホテル開発に携って気づいた空間の価値。
あなただけの「もうひとつの空間」を。
ホテルなどの企画設計、開発から運営までを一貫して行う株式会社JARVISの代表取締役として、快適な空間を提供する安藤さん。これまで、国内外の不動産会社などで、ホテルのデザインから企画開発、アセットマネジメント、マーケティング、運営に至るまで様々な領域でインターナショナルホテルや簡易宿泊所の開発に携わってきました。安藤さんの考える理想的な空間とは。お話を伺いました。
安藤 健志
あんどう たけし|株式会社JARVIS代表取締役
株式会社JARVIS代表取締役。ちょっと違った快適さをアコモデートすることを目指して、企画・開発に取り組む。
興味を持ったものに一直線
福岡で生まれ、宮崎で育った九州男児です。興味を持ったものにはとことん熱中する性格でした。特に、新しいものには目がないミーハーな子どもでしたね。
実家が祖父の代から続く設計事務所だったので、自宅に当時最新のApple MacintoshⅡがあり、小学生ながらそのパソコンで円を書いたり色を塗ったりして遊んでいました。使い方をきちんと理解するまで遊び尽くさないと気がすまない性格でした。
設計事務所で扱う機器には興味があったものの、家業を継ぎたいという思いはありませんでした。特段やりたいことがあったわけではないのですが、「跡を継ぐ」ということに漠然と抵抗があったんです。
幼い頃から本を読むのが好きで、あるときたまたま、家にあった近代建築の三大巨匠であるフランク・ロイド・ライトを扱った本を手に取りました。一冊読み終わった後、関連する本を一気に読みあさるほど彼の生き方に惹かれました。
ライトは、「自分は日本に来て二つの型の人々を見た。その一つは全く物の心がわからない人、ソロバン勘定しか分からない人だ。その人たちしか見なかったら、私は日本に来たことを悔いたであろう。しかしまた、私は物の心の分かる人を見た。それで私の心は満足した」と言い、ポロポロ涙を流したそうです。
ライトは芸術家肌で、日本で帝国ホテルを設計したときも利益本位の資本家との間に、いろいろな衝突があったといいます。このエピソードを知り、ひとつの建物の背後には、必ず経済性と創造性が両立しているんだ、と気づかされ、父や祖父が設計した建物を見る目も変わりました。そうして、距離を置いていた建築に興味を持ち始め、建築学科を目指すことにしたのです。
第一志望だった建築で有名な東京の私立大学の入試には落ちてしまい、熊本の大学に進学しました。結果的には、住宅建築を得意とする先生に師事し、黒川温泉や川辺川ダムで有名な五木村の代替地計画に携わるなど、幸運な大学時代だったと思います。その教授や、熊本の建築家の先生の下、実際に3軒ほどの個人住宅の建設に携わり、だんだんと設計の道に進みたいという想いが強くなりました。
その後大学院へ進み、合わせて6年間住宅建築を学んだ後、職も決まらぬままに上京しました。片田舎で育ったので、とにかく一度東京で経験を積みたかったのです。実は学部在籍中に東京の設計事務所に応募していましたが、ご縁はありませんでした。そのため、院卒で再び応募しても通らないだろうと、一切就職活動はせず、とにかく上京してしまったんです。
上京当初は、工事現場や、飲食店などの仕事をしながら、親戚や友人の家を転々とするという生活を送っていた時期もあります。「当座はどうにかなっているけれど、このままでは人生が開かれないのでは」という焦燥感は常にありましたね。そんなとき、偶然眺めていたリクルート雑誌で、外資系の設計事務所が宮崎のリゾートホテルの再建プロジェクトスタッフを募集していることを知りました。
時代はITバブルで、東京などに外資系の多くの事務所が入ってきているタイミング。生まれ育った故郷のホテルの再建に、外資系の設計事務所という立場で携われる。これは面白そうだと、すぐに応募しましたが、新卒は雇っていないと断られてしまいました。それでも諦めきれず、一度でいいから会って話を聞いてほしいとコンタクトを続けていたところ、3カ月後に突然電話がかかってきたんです。「今何もしていないなら、来週から宮崎に行ってほしい」と。快諾して、宮崎に帰りました。
建築現場を変えたい
宮崎の巨大リゾートの再建プロジェクトは、45階建てのホテル、ゴルフ場、温浴施設を含んだ総合リゾートをリノベーションするものでした。私は主に資料作りや行政対応を行っていました。宮崎という地方都市に海外資本が入ってくる様子を間近で見られたのは興味深かったですね。また、グランドホテルには空間特有の高揚感があります。ホテルが完成して多くの人々が集まった光景を目にしたときは、自分がその一部に携われたことへの達成感がありました。
この宮崎でのプロジェクト後も、主にホテルや商業店舗の開発、リノベーションなどに携わりました。不動産の流動化が始まった時勢で建築現場も多く、月に400時間近く働く日々もありました。
その後に京都のホテル建設に携わっていたある日、内装の相談で「壁紙はどれにしましょう」と白の壁紙を3種類ほど見せられました。しかし、自分にはその違いがぱっとわからないし、「利用されるお客様にどのくらいインパクトがあるのだろう」と思ってしまったんです。もちろん、壁紙の色やテクスチャーの微妙な違いは、ホテルを建築する上でとても大事なことです。ただ、そんな風に思ってしまった自分には、建築デザインは向いていないのではないか、興味の方向が違うのではないかと思うようになりました。
それまで、建物に対しては建築設計の立場からしか関わってきていなかったので、他の世界を見てみたいとも思ったんです。同じ建築のプロジェクトでもさまざまな立場のステークホルダーがいる。そのことを改めて考え、ディベロッパーへと転職しました。
ディベロッパーを選んだのは、建築現場の環境に問題意識があったからです。これは日本だけでなくアジア全般的に言えることですが、デザイン、企画設計など知的財産にしっかりとした対価が支払われるのは、よほど著名なデザイナーや建築家でない限り、なかなか難しい現状があります。
ビジネスである以上、プロジェクトの期間と予算を守り、収益性を求めていくことは当然ですが、その一方で、建築現場の時間やコストが切り詰められ、現場は疲弊していく。それは建設業全般の将来にどのようにつながっていくのか、現場に身を置く中で考えるようになりました。自分自身、月に400時間以上も働き、つらかった状態を経験したことから、ディベロッパー側になって少しでも現場の環境を改善できるようになりたいと考えたのです。
空間の価値
ディベロッパー会社に入ると、設計よりも上流の企画開発や資金調達の部分の仕事を担うようになりました。主に高級マンションやハイグレードな高齢者住宅を担当。予算規模が大きい分、これまでとは違った分野の一流の方々と仕事ができるので、緊張感がありつつも楽しかったです。ただ、実際に自分がディベロッパーになると、どうしてもコストを抑えるしかない状況がある。なかなか建築現場に時間やお金をつくるというのは難しいなと実感しましたね。
転職してから1年ほど経った頃、仕事でお付き合いのあった方から、ハワイにホテルを建てるプロジェクトに興味はあるかと、ハワイの不動産会社への転職を紹介されました。海外プロジェクトであり、高級ホテルの開発に従事することができるのが直感的に面白そうだと感じ、その不動産会社に転職しました。
ハワイでは、まずトランプタワーのプロジェクトに携わり、オーナーリレーションや他のプロジェクトの開発業務を担当することになりました。購入いただいたお客さまとコミュニケーションしてどんな部屋にするか相談したり、購入までの手順をお伝えしたりといった仕事です。この仕事を通じて、人それぞれに部屋に求めることや興味が違うこと、またそれまでに経験してきた世界とはまるで違う空間の価値や部屋における経験があることを知り、物事を見るときの新たな尺度を得ることができました。
こうして、空間のバリューアップのために動くなかで、徐々に土地や建物の売り主と買い手をつなぐ、不動産ブローカーという役割を意識するようになりました。
そこから5年ほど経った頃にリーマンショックが起こり、海外案件が少なくなってきました。そのときに、設計を依頼していた日本の会社から、カプセルホテルの開発・運営を始めるけれど興味はないか、という話をいただいたんです。学生のときに一度応募したことがある会社で、私が応募したときには数十人だったのが、200人ほどの規模まで急成長していました。カプセルホテルは今まで扱ったことのない商材だったため、正直なところ仕事のイメージはつきませんでしたが、面白そうだと思い、転職することにしました。
ロジカルシンキングがいいとは限らない
転職先では、カプセルホテル事業に携わり開発や営業を担当し、建設場所や投資家を探す仕事を手がけました。ところが、いざ関わりはじめてみると、この事業の根本にある考え方に違和感を感じるようになりました。
たとえば、一般的なビジネスホテルはワンフロアに、ベッドとユニットバスのある部屋がずらっと並んでいるという構造です。そこでこの事業では、各部屋のユニットバスを一箇所にまとめてトイレや大浴場を設け、生産効率性を向上させました。それによって、当時の旅館業法上はホテルとして再活用できないような物件を、宿泊施設として有効活用し、不動産の価値を向上させるビジネスモデルでした。
これらは確かにロジカルシンキングに基づいた仕組みで、合理的で顧客のニーズにも応えています。しかし、全員がロジカルな思考のみで何かを生み出そうとすると、結果的に同じものしか生まれなくなるのではないか、出店できる場所も自ずと限られてくるのではないか。そんな疑問が湧きました。ある程度の規模の投資をしてつくるのだから、ただ単純にベッドをいくらで売るという方向ではなく、もっと付加価値のある空間を創りたい。そう思うようになってきたのです。
ちょうどその頃に、シンガポールのアセットマネジメント会社に誘っていただいたので、拠点をシンガポールに移し、東南アジアやインド、スリランカなどでホテルやサービスアパートメントなどの不動産開発に携わりました。
そこで働くなかで、ある上場企業の社長と出会います。旅館業法の改定と民泊新法の施行をきっかけに、民泊事業の立ち上げに取り組みたいから一緒にやろうというお話をいただいたのです。私自身は、確かに民泊はブームになっていて注目すべきではあるけれど、事業拡張性は低いと思っていたので、収益性のあるホテル事業と併せて観光を軸にした会社にしたいと伝えました。その意見を了承いただき、株式会社JARVISを発足させることになりました。
お客さまに「もうひとつの空間」を
今はJARVISの代表取締役として、設計の企画・提案をする開発事業、建物自体をつくる不動産事業、そしてそれらの運営事業の3つを行なっています。自社ブランドのホテルを開発したり、他の事業会社様、ディベロッパー様やホテルオペレーター様のサポートをしたりしていますね。
開発側と運営側は要望が相反することが多いのですが、それらを1つの組織で一貫してやることによって、それぞれの主張を理解しながら、円滑に進められるのが強みです。
私たちが事業を通して目指していることのひとつは、「空間のメディア化」です。空間のメディア化とは、「そこに滞在したことが何かを知るきっかけになる」こと。たとえばタクシーの中に広告やポスターがあるように、その空間にいることで何らかの情報を知ったり学んだりできることを目指しています。
ホテルには寝る時間を含めるとけっこう長い時間滞在しているのに、何となくテレビをつけているくらいで、どこか手持ち無沙汰だという方が少なくないのではと思います。そういうときに、ホテルの中であるからこそ、いろいろなことができるといいのではないかと思います。
ここ数年でホテルも民泊も相当に数が増えてきていますが、ただ床やベッドを提供することの対価を頂いている、という施設もあると思います。稼働が100%になってしまったら、それ以上の事業機会は生まれない。かといって在庫は翌日以降に持ち越せない、という装置産業の特色もある。そこで、メディア化することで空間に100%以上の価値を付与していきたいです。
次に、リアルな空間だからこそできることを仕掛けたいとも考えています。たとえば昔のホテルは、ハレの日にしっかり正装して食事を食べる場所があり、そういったしつらえのなかに、適切な装いや振舞い、コミュニケーションを学ぶ場もあったと思うのです。コストを抑えて効率化を図るなかで失われてきてしまった、そういった機能を持たせることも考えています。私たちがせっかくお金をかけて作る新しい空間には、リアルな空間でしか体験できない、何らかのコンテンツを入れていきたいです。
また、コミュニティも大事にしたいですね。私は、ホテルをつくる時に交渉をした方から、今もマンゴーやお米が送られてくることがあります。空間をつくる時は、そこで誰がどんな生活をするのか考えて、その人に合わせてカスタマイズしていく。だからよほどの問題が起こらない限りは、関係性が悪くなることはない。空間を介して生まれた繋がりは大事だし、価値あるものだと思っています。繋がりやメンバーシップが生まれ、それが強化されるような空間にしていきたいです。
宿泊者のニーズは細分化し、それに合わせる形で海外のホテルでもさまざまなブランドが生まれてきています。JARVISでも、自分たちでホテルを作るだけではなく、パートナーを見つけながら、一緒にさまざまな層のお客さまに合った空間を作っていきたいと思っています。ひとことでいうと、本来の意味での「ブローカー」ですね。
不動産ブローカーは不動産を仲介する仕事で、ファイナンスからデザインまで幅広い知識が求められます。「ブローカー」というと、日本では不動産情報を転売する人と誤解されがちですが、アメリカなどでは医師、弁護士と並んでステータスの高い職業として認知されており、世間から一目置かれる職業です。ブローカーとしてのスキルを磨き、今後は空間の価値を高める企画・建設をしていきたいです。
ホテルなどの宿泊施設の企画・開発や運営を通じて、おもてなしのプログラムを洗練し、お客さまをはじめとする人々のライフスタイル全体をお世話する、つまり「アコモデート」すること。それらをコンセプトに、グローバル化が進むなかで、いかに不動産コンテンツを国内外に売っていけるかを考え続けようと思います。
さらに、日本経済の活性化にも貢献していきたいです。
これからの日本の経済成長の柱は輸出を増やすこと。そのための手段として、個人的には観光、農業、教育はとても重要な産業だと考えています。なかでも、ホテルなどの宿泊産業を始めとした観光業であれば、これまでの自分の経験を少しは活かせるのではないかと信じていますし、それもJARVISを立ち上げた理由のひとつです。新たな意味での「グローバル化」や「ユニバーサル・スタンダード」を創出し、世界へ送り出すことも使命のひとつと考えているので、日本独自のツーリズムである観光ホテルや古民家にも投資したいです。
また、シンガポールで生活し、東南アジアや周辺諸国を巡った経験から、国際物流、金融、知的管理、AI、フィンテック、ブロックチェーン、高付加価値製造業などの分野の国際競争力のある産業、企業を誘致し、世界に対してほぼ同一高品質、同一高価格で輸出するのが肝要だと考えています。規制を緩和し、税率を下げ、ヒト・モノ・カネの行き来がしやすい空港や湾岸、金融制度を整えることで、 シンガポールや香港と並ぶビジネスの拠点として選ばれるようになることが、日本の未来を支えていくはずです。そのために、これまでの経験やノウハウを活用し、国内だけでなく海外で活躍する方々のお役に立ちたいと考えています。
ですから、将来的には、私たちがつくるのはホテルだけでなくていいと考えています。価値のある空間なら、オフィスでもいいですし、寮や家でもいい。さまざまなものの価値観が増え、変わるなかで、お客さまにとって、これまでと少しだけ違う新しい価値を持った、もう一つの居心地のよい空間や、それぞれの期待を「アコモデート」したい。そんな想いを込めて、今、私たちは目指している空間のことを「an/other」と呼んでいます。そういった快適な空間を提供することで、人の人生がより豊かになる一助となりたいです。
2019.02.26
安藤 健志
あんどう たけし|株式会社JARVIS代表取締役
株式会社JARVIS代表取締役。ちょっと違った快適さをアコモデートすることを目指して、企画・開発に取り組む。
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