友人から学んだ、相手を想う姿勢。
地域や獣医療界のために、救急分野を確立したい。

獣医として、夜間救急動物医療センターの院長を務めながら、講演活動や地域の獣医療の勉強会を行う中村さん。救急分野の確立に向けて昼夜問わず活動する中村さんが影響を受けた出会いとは。お話を伺いました。

中村 篤史

なかむら あつし|TRVA動物医療センター院長
北里大学獣医学科を卒業後、東京大学、酪農学園大学での研修を経て、埼玉の犬猫病院に勤務。2011年から夜間救急動物医療センターの院長を務める。

膝の故障による挫折


広島県広島市で生まれました。実家は動物病院を営んでいます。小さい頃から父に、将来なりたいものをよく聞かれていましたが、特にありませんでした。そう答えると、父から「ないなら獣医さんは?」と言われました。ただ、本当に将来の夢が決まっておらず、また反抗期だったこともあり質問されること自体がストレスに。その結果、勉強をしなくなりました。親に渡された塾の月謝でおもちゃ屋さんに行って遊んだりもしてました。なので、成績はすごく悪かったですね。

中学に入って、バスケットボールにはまりました。大ヒットした漫画の影響で夢中になり、県大会にも出場できるレベルに。バスケで高校に行って、将来は実業団に入ることを目指し始めました。

このままうまくいけば、バスケの選手になる夢が叶うかもしれないと思っていた高校1年の時、膝を故障し、試合に出られなくなりました。膝の故障は治らないほど大きな怪我で、大好きなバスケを諦めざるをえなくなりました。

突然、目標がなくなって、目の前が真っ暗になりました。将来のことが見えず、勉強も全く手につかなくて、挫折を感じましたね。

祖母の言葉で改心


進路については、父の影響もあって、獣医学部を受験することに。獣医学部は、医学部と同じくらいの偏差値が必要です。しかし、そのレベルには到底追いついていませんでした。勉強するようにはなったものの、真剣に取り組んでいなかったんです。案の定、試験は不合格でした。

悔しかったですね。大学に行けないことよりも、誰かに試験で落とされたことに猛烈な悔しさを感じました。それで勉強するエネルギーが沸いて、来年こそは絶対に合格してやると、上京して浪人することを決めました。

東京の予備校では、寮に入って、名門大学への入学を目指し、必死で勉強しました。名門と言っても、同じ人間が受かっているんだから、1年間頑張れば合格できるだろうと、ご飯も食べず、人とも喋らず机に向かいました。僕が勉強している間、昼飯食ってるやつらは、みんな落ちればいいやとも思っていましたね。それほど無我夢中に勉強しました。

そして迎えた2回目の受験シーズン直前、彼女が出来て、勉強に身が入らなくなりました。彼女は、高校時代に好きだった子で、突然連絡が来て、付き合うことになったんです。地元の広島にいる彼女とは遠距離恋愛で、毎日何時間も電話をしました。勉強する時間が一気に減りましたね。その結果、志望大学に全て落ち、広島に戻って浪人することになりました。

浪人生活2年目、1年目で勉強した分、余裕があるだろうと思い、遊びながら予備校に通っていました。結局、第一希望の大学入試は見事に落ちました。

そんな僕を見て、一緒に住んでいたおばあちゃんが「滑り止めの大学への入学金を払う」と言い出したんです。希望大学に落ちた時の保険で受けた大学の入学金を、「あんたが全部落ちたら、大変だから」と言って、払ってくれたんです。

その時、100%エネルギーを注いだわけではないのに、おばあちゃんにそんなことを言わせてしまうのは、情けないし、申し訳ないと思い、勉強に本腰を入れようと決め、もう一度浪人をしました。そしてついに、神奈川にある大学の獣医科に合格することができました。

自分のことよりも周りを優先する友人


大学には、僕と同じような獣医の跡取りがたくさんいました。彼らは、獣医を志して一生懸命勉強していました。

一方、僕は勉強せず、バスケやサーフィンで遊んでばかりいました。授業が面白くなかったんです。親の勧めで入学した学部で、自分にとって本当にやりたいことがまだわからなくて、勉強に身が入りませんでした。しかし、彼らと時間を過ごすに連れて、勉強するように。信念を持ってやりたいことをやっている彼らと、単純に一緒にいたいなって思ったんです。

中でも、僕は一人の友人を心から尊敬していました。その友人は、自分のことより人のために動いていて、その価値観は僕にはないものでした。例えば、テストの前日、彼はプリントのコピーをみんなの家に配りに行くんです。彼も含めて一緒にいた友人たちは、みんな負けず嫌いで、本来なら、自分の時間を1分でも1秒でも勉強に費やしたいと思うはずなんです。

彼がなぜそこまでできるのかはわかりませんが、とにかく情が厚いんです。彼の、人を大事にする姿勢を見た時に、こいつには勝てないかもなと思いました。土壇場で自分よりも人を優先する彼の価値観に驚きを感じるとともに、魅了されました。

大学卒業後の進路については、尊敬する彼が希望する大学附属の動物医療センターに一緒に行こうと思いました。彼から人としてまだまだ学びたいことがあったからです。それに、その動物医療センターには国内トップクラスの指導者がたくさんいたことも、行きたいと思った理由の一つでした。研究室の先生が推薦してくださったこともあって、彼と同じ動物医療センターに進み、内科で研修医として働くことにしました。

まだやれることはあるんじゃないのか


動物医療センターでは、獣医学の基礎を学びました。先輩や先生にも恵まれて、いい人間関係を築くことができました。そのまま同じ大学の病院で研修医になる予定でしたが、大学の恩師に誘われたので北海道の大学に行くことに。先生のアシスタントとして、研修医をしながら、1年間外科を学びました。

研修医終了後は、埼玉の動物病院で、町のお医者(獣医)さんとして働きました。研修医時代にお世話になった先生が埼玉の病院にいたんです。その先生の技術を習いたくて、動物病院に就職しました。

病院では、今まで勉強してきた知識を使って診療を始めました。この病院は、一次診療をする病院でした。

動物病院には、一次診療と二次診療の2種類の病院があります。一次診療は、飼い主さんと話をして病気を治す診療で、全般的な知識が要求されます。一方、二次診療は一次診療を受けた後、詳しい検査や時間をかけた治療が必要な場合に進む診療で、専門的な知識や治療技術が必要です。僕がいた一次診療の病院は、いわゆる町の動物病院でした。

ある時、病院にシーズーが運ばれてきたんです。シーズーは心臓が悪く、口から血液を吐いていました。でも投与できる薬は限られており、手の施しようがなく、そのまま亡くなってしまいました。

僕はそれを側で見ていて、もし人間だったらもっと処置を施しているんじゃないのかなと思いました。

そんな中、テレビでは救命救急のドラマが放送されていました。ドラマでは急病人が、救命救急に運ばれて処置されて、最終的には助かっていたんです。動物病院でも、スピード感を持って判断をし、治療をすれば、救える命もあるんじゃないかと思いました。

そんな時、東京の動物病院が共同出資して夜間医療を行う動物病院をオープンさせると聞きました。そこでなら動物にも救急医療ができるかもしれないと思い、院長に立候補しました。

新しい分野を作るために始めたこと


新しくオープンした病院は、他の病院が閉まっている夜8時から朝6時まで診療できる動物病院でした。夜間医療を行う病院として始まりましたが、それだけでは病院の運営が長続きしないと思いました。(当時)スタッフにとって、夜間働くことはあまり魅力的ではなく、給料が少しいいことだけではモチベーションが維持できないと思ったんです。だからこそ、新しい取り組みである救急医療を導入した方がいいのではないかと思いました。

まず、動物の救急医療を勉強するため、海外の救命に関する本を読んだり、アメリカの病院に視察に行ったりしました。

アメリカの救急医療の現場には、24時間毎日、常に電気がついていて、人が出入りしていましたし、大学には救急医療の研究室があったり、犬猫の救急学会があったりして、勉強するコミュニティーが存在しているんです。

アメリカには数十年前からあるのに、日本には動物の救急医療という分野も無ければ、情報を交換し合うプラットホームすら存在しないのはおかしいと思いました。動物の救急医療という分野は日本にも必要だと確信しましたね。

そこで、まずは、読書や視察で得た動物の救命救急の情報をアウトプットすることが必要だと思いました。そして、医療界の集会や学会で、救急医療の必要性や取り組みを発信したり、お互い情報交換をすることを呼びかけたりしました。

すると、同じように考えて救急に取り組んでいる先生方が、札幌や横浜、大阪にいることがわかったんです。救急に取り組む獣医みんなで、アウトプットしまくろうと情報を共有し始めました。

そのタイミングで、先生の中の一人が、アメリカで救急の専門医として認められ、獣医界で救急が注目されるようになりました。僕のところには救急に関する講演の依頼がどんどん来るようになり、かつてなかったようなブームが起こったんです。獣医業界が確実に変化していることを感じました。

これまで受けた恩恵を還元するために


現在は、東京でTRVA夜間救急動物医療センターの院長として活動しています。動物の救急医療の現場で最も重要な仕事は、苦痛や異常を言葉に出来ない動物から情報を集めることです。これは、動物が運ばれてきた時の最初の仕事でもあります。

患者さんが人であれば、頭が痛いですとか、最近ちょっと視界が半分見えづらいですとか、言ってくれるのですが、動物はどこに痛みを感じるのか伝えることができません。その中で、情報を収集し分析して、命を救うことに全力を注いでいます。

今後取り組んでいきたいことは、3つあります。1つ目は、TRVA夜間救急動物医療センターを日中でも緊急対応できるようにし、24時間対応の救急病院として機能させること。

2つ目は、地域の獣医療の底上げです。そのために、地域の獣医さん同士でコミュニケーションを取ったり、知見を共有したりしています。また、地域の病院が連携することで、自分の病院で対応が難しいものについては、他の病院を紹介することができ、その分救える命が増えます。

そして、3つ目は、動物の救急分野の確立です。具体的には、学会を作って、大学に救急科が設置されることを目標に動いています。

学会ができれば、基礎研究の結果や診療データが集まるプラットホームができ、救急医療を大学で学べるようになります。そうすれば動物の救急医療が当たり前にできる世界を実現させることができますし、獣医療全体のベースアップにも繋がると思っています。

そのためにも、発信は続けていきたいですね。たった一人でも有名な人が生まれれば、業界の認知度は爆発的に上がると思っています。ラグビーの五郎丸選手やテニスの錦織圭選手が良い例です。スタープレイヤーが一人、ずばーんと出てきて、救急医療やってますとアピールできれば、そこに光が当たって、フォロワーが増えるんじゃないかと思っていました。そうすれば理事会や学会など土台を作ってから動くよりも、早く獣医業界全体を変えられるんじゃないかと思ったんです。

僕にとって今の一番のモチベーションは、現場に出て治療することもそうですが、スタッフや仲間が社会に出て評価されることです。そのために自分は何ができるのかを日々考えています。僕は、人に出会って影響されて、人生を進めてきました。出会った人は、すごく正しい判断をして、導いてくれる人たちでした。みなさんのおかげで今があります。これまで受けてきた恩恵を、どういう形で還元できるか考えていきたいと思います。

2018.12.28

中村 篤史

なかむら あつし|TRVA動物医療センター院長
北里大学獣医学科を卒業後、東京大学、酪農学園大学での研修を経て、埼玉の犬猫病院に勤務。2011年から夜間救急動物医療センターの院長を務める。

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