「英語」と「音楽」って似ているんです。
両方組み合わせて見つけた、「自分らしさ」。
「英語×音楽」という新しいコンセプトのスクールを運営する髙橋さん。幼い頃から続けている「音楽」と、22歳までほとんどできなかった「英語」という対照的な2つを仕事にしようと思った背景には、どのようなキッカケがあったのでしょうか?
髙橋 仁志
たかはし さとし|英会話スクールの講師・音楽家
本厚木で「英会話」×「音楽」という新しいスタイルの英会話スクール「マクロステレオ」を運営している。
マクロステレオ
音楽って楽しい!!
幼いころにバイオリンを始めたのが、私が音楽と関わり始めるきっかけでした。
どうやら母が私に習わせたかったようで、気づいたときにバイオリンを始めていましたね。
でも、「やらされている」という感覚に近かったので、最初は嫌で嫌でたまりませんでした。
特にやりたいことや夢などもなかったのですが、
中学生になると巷でGLAYやL’Alc-en-Cielなどが流行っていたこともあり、バンドを始めたんです。
その活動を続けていくうちに、
「音楽って楽しいな!」
と感じるようになっていき、バイオリンにも改めて興味を持つようになりました。
とにかく音楽が好きでしたね。
高校では軽音楽部に所属して、本格的に音楽にのめり込んでいきました。
とにかく音楽が大好きだったので楽器はギター・ドラム・キーボードなど、何でもやりました。
また、楽器だけでなく音楽機材をいじってみたり、他の学校と合同で各校の代表バンドを集めて
600人規模のイベントを開催したりもしました。
ただ、音楽に夢中になっていたこともあり全く勉強はしていなかったですね。
なので、大学へ進学するときは一般入試は諦めて楽器の演奏と論文で受験ができるAO入試を使って大学を受験しました。
もしだめだったら音楽の専門学校へ行こうと思っていました。
特に、「将来は音楽で食べていきたい」と思っていたわけではありませんでしたが、ただひたすらに音楽が好きで
「音楽ができるかどうか」
ということが私にとっては重要だったんです。
最終的にAO入試で合格することができ、普通の大学の芸術系の学部へ進学しました。
音楽以外の力を身につけたい
バイオリンをつかったAO入試だったこともあり、
入学後は半ば強制的に大学のオーケストラに入ることになりました。
今までは「音楽は自分の思った通りにやるものだ」と思っていました。
ですが、オーケストラの音楽は「長い曲を楽譜通りに、大人数でいかに合わせるか」ということが重要で、
今まで自分がやってきた音楽とは全く違うものだったんです。
そのため最初の頃はすごく窮屈に感じていました。
でも、やっているうちに段々とオーケストラの持つスケールの大きさと、
クラシックやシンフォニーなどから音楽の奥深さに魅了されていったんですよね。
大学3年生になった時はコンサートマスターというオーケストラの演奏のとりまとめ役に任命され、
音楽漬けの生活を送っていました。
ただ、将来のことを考えていくうちに「もっと音楽をやりたい気持ち」が膨らむ一方で、
段々と「今まで音楽しかやってこなかったこと」が不安になってきてしまいました。
色々と考えるうちに、音楽以外のことが学べて、
それだけでなく「音楽以外の+αの何か」のスキルも身に着けられる環境に行きたい、と思うようになったんです。
そこで、元々英語に対する憧れがあったこともあり、3年生が終わった後に、
音楽の勉強ができて英語のスキルも身に着けられるアメリカの大学に留学をすることに決めました。
とはいえ、今まで全く英語の勉強をしてこなかった私は、
TOEICの模擬試験を受けたときに一つも問題の意味が分からないくらい英語ができませんでした。
そのため、日本と現地の語学学校で英語の勉強をして、留学するのに必要なTOEFLの点数を何とか取得して、
半年後にアメリカの大学で勉強を始めました。
実際に留学してみると、現地の学校には日本人はほとんどいませんでした。
また、英語ができなければやりたい音楽の勉強もできないので、
現地に行ってより英語を早くできるようにならなければいけないと感じましたね。
英語と音楽それぞれの仕事を経験する
アメリカ留学は日本の大学を休学して行っていたので、現地で1年間勉強した後は日本に戻って、
残りの4年生の分のカリキュラムを消化することにしました。
ただ、卒業後の進路も決まっていませんでしたし、留学に行ったという証明をしたいという想いもあったので
「音楽をやりつつ、仕事に就けるくらいの英語力をつけておこう」
と考え2月ほどTOEICの勉強をして、留学前には問題の意味すら一切わからなかった試験で、
965点という点数を取ることができました。
その後は、大学で卒業公演の準備などで音楽活動をしながら、塾や予備校で学生に英語を教えるバイトをしていました。
そのバイトをしているちに、教えるということの楽しさに気づき、
卒業後は大手の英会話スクールで講師として働くことにしました。
最初こそ教えるという仕事を楽しんでいたのですが、2年ほど経ち一通り仕事を覚えた頃に
「あとはただ今まで覚えてきたことを繰り返していくだけだ。」
というようなことを感じてしまったんです。
そのころ、会社としての少しづつ縮小している様子も感じていて、
2年半経ったころに英会話スクールを退職することにしました。
退職後は、「今後については音楽をやりつつ考えよう」と思っていました。
そんな中、たまたま知人の方が運営している音楽スタジオの仕事に誘っていただきスタッフとしてお世話になることになったんです。
そこはスタジオ運営だけでなく、レコーディングやボーカルのスクール等、様々なことに取り組んでいました。
最初はスタジオの運営から担当したのですが、段々とレコーディングの仕事や音楽のレッスンを担当する講師としての仕事もするようになりました。
一方で、私のもとに少しづつ「英語を教えてほしい」という声が集まってきており、
塾や個人で英語を教えるようもなったので、いくつかの仕事を平行するフリーランスとして働く形になっていきました。
ですが、「英語」と「音楽」の両方の仕事をしていると、
「英語を教えているとき」と「音楽を教えているとき」
の二つの別の自分の存在に違和感を感じるようになっていきました。
どちらもやっている自分がどこか中途半端なような気がしている一方で、
どちらか片方を選ぶということも自分の実力的に決断することができなかったんです。
ですが、悩んでいるうちに「英語」と「音楽」を無理やり引き離そうとぜずに、
どちらの要素も取り入れた自分らしいモノを生み出そうと考えるようになっていきました。
自分らしい価値を提供したい。
現在は、元々30歳までに「何をやるか」ということを決めたかったこともあり、
独立して本厚木で「マクロステレオ」という音楽の要素を取り入れた英会話スクールの運営に力を入れています。
私は、大学時代に塾や予備校でなどで英語を教えていたときに、日本の英語教育のバランスの悪さを感じました。
塾や予備校、学校の英語教育では文法や単語などのインプットばかりです。
一方、英会話スクールは、会話やフレーズのアウトプットの比率が多く、
使える英語を習得するのに大切なインプットとアウトプットのバランスが悪いと感じていいたんです。
そこで私のスクールでは、文法や単語などの「インプット」と、
会話やフレーズの「アウトプット」のバランスを最適化したカリキュラムを考え、
そこに音楽の要素を加えたレッスンを行っています。
長年音楽をやってきて、洋楽など、色々な場面で「英語」と「音楽」には密接な関係があると感じてきました。
ただ「英語」を話すことができる人は世の中にはたくさんいますが、
「英語」と「音楽」の両方を組み合わせることで自分らしい価値が提供できると思ったんですね。
また通常のレッスンだけでなく、遠方に住んでいるようなスクールに通えない人たちにも英語を学んでもらえるように、
動画レッスンのためのコンテンツ作りにも力を入れてます。
直近の目標としては、動画レッスンのコンテンツをしっかりと作って提供できる仕組みを作っていきたいと思っています。
また、現在は「英語」の要素がメインの活動になっているので将来的には「音楽」の部分でも新しいことにチャレンジして、
将来的にはこのスクールをもっと広めていきたいですね。
2014.06.20
髙橋 仁志
たかはし さとし|英会話スクールの講師・音楽家
本厚木で「英会話」×「音楽」という新しいスタイルの英会話スクール「マクロステレオ」を運営している。
マクロステレオ
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