“働く”は人生を彩る一部。
女性がやりがいある仕事を続けられる社会を。
人事部門のマネージャーをしながら女性の働き方の新しい仕組みづくりをしている信澤さん。その活力のもとになっているのは、子どもの頃から培った向上心と忍耐力、そして社会に貢献したいという明確なビジョンでした。信澤さんが目指す未来とは。お話を伺いました。
信澤 みなみ
のぶさわ みなみ|組織人材開発/採用マネージャー/パラレルキャリアアドバイザー
株式会社サーキュレーションの立ち上げに参画し、コンサルタントを経て組織人材開発、採用戦略設計から実行までマネージャーとして従事。現在は「女性がライフステージにかかわらず、やりがいある仕事を選択できる社会をつくる」べく、新規事業の立ち上げに奔走する。女性の新しい働き方をテーマにしたメディアやイベント登壇、コラム連載に従事するなど、パワレルワークアドバイザーとしても活動の場を広げる。
ヘレン・ケラーとマザー・テレサから受けた衝撃
千葉県市川市で、両親と弟2人のいわゆる幸せな一般家庭に育ちました。母は性善説の塊のような人で、「健康でご飯が食べられることは、決して当たり前のことではない」など、日常のささやかなことへの感謝を大切にすることを教えられました。
幼い頃はよく母に本を読んでもらいました。特に印象的だったのがヘレン・ケラー。障害を抱えながらもさまざまなことに挑戦する彼女のストーリーから、自分が健康体で生まれているありがたさや、世の中にはいろいろな人が存在しているということを学び、どんな状況であってもできないことはないと考えるようになりました。
それからは、できないことをなくしたいという向上心を持ち、自分の可能性を信じていろいろなことに挑戦するようになりました。小学生になると、英会話、ピアノ、水泳、バスケットボールを習いはじめて、これに学業を加えた5つに打ち込みました。
また、同じ頃、テレビでマザー・テレサのドキュメンタリーを見て、人に対して奉仕することを使命に生きている人がいることに強い感銘を受けました。人のために何かしたいとか、「社会に貢献できるような使命を持ちたい」と思うようになりました。
集団の中では周りを俯瞰してみているような子どもで、いつも空気を読んで行動していました。しかし小学校でバスケットボール部に入部すると、それまで接したことがないような個性の強い面々に囲まれて。その中で活動するうちに、個性が人それぞれあること、個性を出していいんだということを学びました。それからは、天真爛漫な明るいキャラになりましたね。向上心が強かったため、高校はできれば上を目指そうと地元の進学校を選びました。
父のうつ病で「働く」を考えるように
高校生活は純粋に楽しい毎日でした。友達にも恵まれましたし、学業、部活、遊び、恋愛、文化祭、すべてを謳歌して、悩みなんてほとんどありませんでした。ずっとバスケットボール部で、最後はキャプテンに。メンバー一人ひとりが存在感を出せるようにしながらチームを前に進めるためにはどうしたらいいか考え、人の個性や能力を受け入れ、信じ、引き出すことを意識するようになりました。
部活を引退しても受験勉強に気持ちが切り替えられず、大学は自分の学力で手が届きそうなところを受験。何校か受かりはしたのですが、そこに行く明確な目的が見えなかったので、もっとしっかり目的を定めて上を目指そうと浪人することにしました。
将来は、人の可能性を引き出せるという点に魅力を感じて、幼稚園の先生と母親になりたいと考えていました。しかし、ただなるだけではなくて、自分自身が社会を広く知った上で、自分の子どもにも他の子ども達にも、いろんな世界を見せてあげられるようになりたいと思ったんです。だから、まず大学に行って社会を知り、自分ができることを増やして、その上で幼児教育を学ぼうと考えました。
できればさまざまな国籍の人達、自分の知らないことを知っている人達がいる大学に行きたいと思って、目標が決まりました。それからは持ち前の忍耐力と継続力を活かして、1日20時間くらい勉強するようになりましたね。
ちょうどその頃、証券会社のトッププレーヤーとして実績を上げ、会社を代表する支店長を務めていた父が、軽度のうつ病になってしまいました。職場環境が大きな要因だったようで、それまでバリバリ仕事をして、自分に自信があるように見えていた父が、長期休職まではいかなかったものの、パタッとエネルギーを失い全然違う人になってしまったのです。
父は3カ月ぐらいでエネルギーも自信も取り戻し、元の状態に戻りました。安心しましたが、うつになった時の父の姿に、「人の根本にある気質と仕事とのバランスが崩れることで、人生がこんなに大きく変わってしまうんだ」とかなり大きな衝撃を受けました。それがきっかけで、個人の心理と職場環境の関係について興味を持つようになりました。
大学に入ってからは、自分の興味に沿って勉強していたものの、社会に出て何がしたいのかという自分のテーマは見つからなくて。海外に出て視野を広げようと、アメリカや台湾に留学したりもしましたが、見つからないままでした。もともとビジネスや経済に興味があり、大学というコミュニティから出て外を見る事も大事だと思ったので、何かを探すように2年生のときからインターンシップをはじめました。
最初は海外の放送局の日本支社で、1年くらい働きました。すごく楽しかったのですが、同時に自分自身が仕事に使命感を持っていないとただの作業になってしまうことに気づくなど、改めて働くことについて考えさせられました。
働くことはやはり個人と密接につながっているし、生活や人生にもつながっている。そのことを改めて感じて、3年生でゼミに参加する時に「職場環境における個人のパーソナリティーとストレスと生産性の関係」を研究テーマにしました。
「自分ごと」から「社会ごと」に変わった問題意識
研究テーマのきっかけは「自分ごと」だったわけですが、研究してみてわかったのは、これは社会問題だということでした。働くことや生産性に関する論文を読むと、ほとんどが「少子高齢化・労働力人口減少下における日本は...」で始まっていて、人の働き方を改革するということが日本における重要な社会課題だとわかったんです。
それを解決するためには、働き方と組織の両方を変える必要があると感じて「個人の強みを活かして働くをつくる」を自分のテーマにしていこうと考えました。そして、それを達成するために重要なのは仕組みづくりであり、仕組みをつくることで社会のためになる仕事ができるとも感じたのです。
その考えのもと就職先を探し始めて出合ったのが、人材サービス事業を行うインテリジェンスで立ち上がったばかりの社内ベンチャーでした。その社内ベンチャーはこれからの働き方をつくることを目的としていたので、ここならまだ社会にない仕組みをつくり、社会をより良くできる可能性があるのではないかと感じたのです。
その社内ベンチャーで、就職する1年前からインターンとして働きました。インターンでの仕事を通して、新しい働き方の仕組みが必ず社会で必要とされるということ、同時にそれをつくることで自分自身のビジョンの実現にも近づくということを確信していきました。
インテリジェンスに入社後、念願かなって社内ベンチャーに配属が決定。それからは、コンサルタントとして、クライアント企業で外部人材を活用した「オープンイノベーション」の創出に取り組みました。まだ外部人材の活用というテーマ自体が新しく、「このマーケットは自分たちが拓かない限りはつくられない。このマーケットをつくれば社会のためになる新しい仕組みを提供できる」と心から思って、仕事に没頭していました。
取り組みはじめて2年経つと、メディアや国も外部人材の活用を盛んに取り上げるようになりました。社内ベンチャーは、雇用という枠組みを越えた「新しい働き方、人材活用のあり方」をつくるために独立することになり、私も立ち上げから3カ月後にジョインしました。
独立してからは、それまでのコンサルタントに加えて人事もやるようになりました。組織をいかに作っていくかという課題があったので、まずは採用活動から始めました。社員が増えてきたところで、さらに組織を拡大していくために人事専任になりました。
女性の新しい働き方を仕組み化したい
社会人生活の約6年で、コンサルタントとしては組織や事業をつくるとはどういうことなのかをお客さんを通じて学ばせてもらい、人事としては自社の仕組みや組織作りをやらせてもらいました。「個人の強みを活かして働くをつくる」というテーマには、自分なりにやりがいを持って取り組むことができました。
一方で、私自身20代も終わりに差し掛かり、働く女性の一人として、よく言う「見えない不安」というものが何なのかわかるようになりました。キャリア形成、結婚、育児…日本においては、どれかを選び、どれかを諦めなければならないような風潮があるのを強く感じたのです。
特に、女性が働き方を選択することにはまだまだハードルがあると思いました。産休、育休後や一度専業主婦を経た後、時間の制約がある前提で自分自身の経験を活かしながらやりがいを感じられる仕事につける仕組みが、世の中にはまだないという現実を知りました。
世界的に見ても、日本のジェンダーギャップ指数は144カ国中114位。これは、経済成長を実現するために注目しなければならない事実であるのはもちろんのこと、日本の性別ごとの役割についての考え方や、教育及びキャリア選択に関連する取り組みが世界よりもかなり遅れていることを示しています。
私自身もいつか大切なパートナーと家族を持つという選択肢がありますし、それを選んだ時は、愛するパートナーや子どもを幸せにすることを第一に考えたいという価値観が根本にあります。子どもを産んだら専業主婦になりたいと思うかもしれないし、働き続けたいと思うかもしれない。そのどちらも選べるような環境が必要だと思いました。しかし、産休育休や専業主婦から仕事に復帰しようと思った時、今の日本ではやりがいを感じられる仕事につけない可能性がある。ここには今の日本において、まだ目が向け切れていない課題があると感じました。
そこで、30代では自分自身がもともと持っていた「社会における仕組みづくりをしたい」という思いに立ち戻って、「女性がライフステージに合わせて仕事を選べる仕組み」をつくりたいと思うようになりました。
やりがいある仕事に挑戦し続けたい
現在は株式会社サーキュレーションで人事の仕事をしながら、女性がライフステージに関わらずやりがいを持って働ける環境をつくるためのプラットフォームを新規事業として立ち上げようとしているところです。
女性が結婚や出産で一度仕事をやめてしまうと、社会と断絶してしまい、労働市場からドロップ・アウトした存在とみなされて、いざ戻りたいと思った時に戻りづらくなってしまう場合があります。だからとにかく市場から出てしまうことだけは避ける仕組みが必要だと思っています。
そのために、女性なら年齢やライフステージにかかわらず誰でも登録できるプラットフォームを確立し、働きたくなった時に市場にすぐ戻れるようにしたいんです。
プラットフォームの役割としては、第一はプロジェクト単位で仕事に従事できるようにすることです。時間的な成約があって正社員はやはり無理という時に、プロジェクトワークなら働きやすいですし、自分のスキルや経験を活かしたやりがいある仕事も見つけやすいからです。もう一つは、プロジェクトワークを経た後にやっぱり正社員になりたいという時、それが選択できるような環境をつくること。そして最後は、働きたくなかったり、働くことができない間にスキルアップや学び直しができるプログラムを提供すること。この3つのサービスを一体で提供できるプラットフォームをつくりたいと考えています。
それがあれば、年齢やライフステージにかかわらず、働き方を選択できるようになるはずです。
今、個人としては、「健体康心で働くをつくる」をビジョンに掲げています。健康な心と体をつくることで、人生が豊かになり、幸せな状態になると思っているからです。なので、仕事以外ではヨガを続けていたり、自分の体質にあった食事を調べてみたり、アーユルヴェーダを試してみたりしています。いずれはインプットしているだけではなくて、他者に還元していく形でなにかできないかとも思っています。
「働く」をビジョンに含めているのは、私自身が働くことと人生は切り離せない、人生の基盤の一部だと思っているので、満足して働ける環境づくりに取り組んでいかなければならないと考えているからです。
今は人事のマネージャーとしての仕事もしつつ、新規プロジェクトの準備をしている段階で、やらなければいけないことがたくさんあります。それでも、そういうビジョンを掲げている以上、やりがいある仕事をし続けたいし、そのために挑戦していきたいと思っています。
私自身の挑戦が、多くの人が生きがいを持って働く社会をつくることにつながると信じているので、これからも挑み続けていきたいですね。
2018.10.18
信澤 みなみ
のぶさわ みなみ|組織人材開発/採用マネージャー/パラレルキャリアアドバイザー
株式会社サーキュレーションの立ち上げに参画し、コンサルタントを経て組織人材開発、採用戦略設計から実行までマネージャーとして従事。現在は「女性がライフステージにかかわらず、やりがいある仕事を選択できる社会をつくる」べく、新規事業の立ち上げに奔走する。女性の新しい働き方をテーマにしたメディアやイベント登壇、コラム連載に従事するなど、パワレルワークアドバイザーとしても活動の場を広げる。
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