サッカーが大好き。
勝つために、選手を手助けする僕の仕事。
「サッカーが大好きで、嫌いになったことはない」と笑顔で話す新田さん。自分自身のコンディショニングコーチとしてのスタイルを確立するために、今が再スタート地点だと話します。現在に至るまでにどんな背景があったのか、お話を伺いました。
新田 涼
にった りょう|コンディショニングコーチ
湘南ベルマーレにてコンディショニングコーチを務める。
新田涼(Facebook)
湘南ベルマーレオフィシャルウェブサイト
バスケとサッカー
小さいころから、スポーツが大好きな子どもでした。
父親が元バスケットボール選手で、家にゴールもあったのでバスケもやっていましたし、
サッカーも好きで、気づいたら壁に向かってボールを蹴っていました。
小学校5年生の時にサッカーチームに入ってからはサッカーに熱中していましたが、
他にも友達と色々なスポーツをして遊んでいましたね。
中学で部活に入る時は、バスケ部かサッカー部か相当悩みましたが、
最終的には、自然と楽しいと感じることができた、サッカーを選ぶことにしました。
それからはサッカー馬鹿といえるほど本当に熱中してましたね。
朝練して、午後は部活で、帰ってからは公園でサッカーするといった生活でした。
でも、練習している感覚ではなく、ひたすら「サッカーをやっている」感覚だったんです。
とにかくサッカーが大好きで、
将来はプロのサッカー選手になろうと本気で思っていましたね。
プロにはなれない
高校もサッカーを基準に学校を選びました。
当然サッカー部に入部し、なんと1年生の時から試合に出してもらうこともできました。
しかし、1年目の高校選手権の予選で愛知県東部地区で3位という成績に終わったのですが、
その時に自分はプロにはなれないと悟ったんです。
なんていうか、自分たちより上位の選手のレベルが高すぎて、
自分は同じようにはなれないと感じてしまったんですよ。
その時、将来プロ選手になることは諦め、サッカーは高校生で引退すると決めました。
高校生のうちに次の夢を探そうと思いましたね。
高校3年生になり進路を考えている時、部活の先輩が通っている新潟のサッカーの専門学校に誘われたことがあり、
一度見学に行くことにしました。
その専門学校には、選手だけではなくコーチや審判やトレーナー等、サッカーに関わる様々な学科があり、
サッカーにまつわる色々な仕事があることを知りました。
その時ふと、中高と現役時代、自分は怪我が多かったことを思い出したんです。
そんな時、マネージャーや周りの人が手助けしてくれていたのですが、
自分は人のことを余り考えるタイプではなかったので、それが不思議だったんですよね。
マネージャーに聞いてみると、
「サッカーをやっている人を見るのが好きだから、手助けしたい」と純粋な気持ちで言っていたんです。
なんだかその言葉に感動して、自分も選手を手助けする仕事も良いんじゃないかと思い、
専門学校のトレーナー科に行くことに決めました。
ちゃんとイメージできた
しかし、進学当初はトレーナーというものが、何なのかよくわかっていなかったんですよね。
だから、遊びで通っているような部分もあり、辞めずにいられたのはクラスの友人のお陰でしたね。
しかし、負けず嫌いだということもあり、勉強はちゃんとやったんですよ。
すると、やっていくうちに学ぶことが楽しいと感じるようになったんです。
純粋に、自分が今まで知らなかったことを学ぶ楽しみもありましたが、
何より自分がプレイヤーとしてやってきたトレーニングの意味が分かるようになり、
過去の経験とリンクしていったのが面白かったですね。
また、実際に人の体を触ってスポーツマッサージとかをすると、効果が出てくるんですよね。
「あ、選手の手助けになることができるんだ」と実感することができました。
この時から、トレーナーというものの具体的なイメージを持ちながら、将来就きたい仕事だと思えるようになりましたね。
しかし、就職活動は難航し、なかなか働き口が決まらずに焦りを感じることもありました。
そんな3年生の12月頃、学校と提携しているアルビレックス新潟のシンガポールチームでのトレーナー募集の話がありました。
正直、それまで海外には絶対に行きたくないと思っていました。
怖いじゃないですか、英語も喋れませんでしたし。
でも、この時は切羽詰まっていたし、最悪失敗してもまだ笑い話にできる年齢だと思ったので、
思い切って申し込むことにしました。
その結果、無事に契約できたんです。
それから直後の1月3日にはシンガポールに発ち、学校は早期就職という形で卒業することになりました。
「トレーナー」の仕事とは
シンガポールでは最初から3年で帰国すると決めていました。
その中で色々な勉強をさせてもらいました。
1年目は自分がチームにとって何をするべきなのか全く分からなかったので、
ひたすら周りの人に教えていただきながら勉強しました。
この年はチームも忙しかったこともあり、10日ほどしかフルで休んだ日はなかったですね。
その後2年目、3年目と徐々にチームに貢献できるようになってきて、
3年目はチームとしても優勝することができました。
この時は嬉しかったですし、チームにも少しは貢献できていたので、もう1年残る選択肢もあったのですが、
予定通り日本に帰国することにしました。
現場での経験を積むことはできたのですが、
自分はトレーナーと言っても資格が無いため、治療やマッサージはできなかったんですよ。
トレーナーという言葉の定義は国や地域によって色々な捉え方があり、
資格をもち治療するだけではないので、シンガポールでは働くことができました。
しかし、日本のサッカーチームでは資格がないと”トレーナー”として働くことは難しいため、
アスレティックトレーナーを取得するための夜間学校に通うことにしたんです。
帰国後2年間、昼はフィットネスクラブ、夜は学校という生活を送り、無事資格をとることができました。
再スタート地点
今年の1月から、シンガポール時代の監督の紹介で、
湘南ベルマーレのチームにコンディショニングコーチに就任しました。
といっても、ここからまた再スタートといった感じです。
正直、想像していた以上に、プロの先輩たちと比べると自分は知識も経験も甘く、
まだまだチームに貢献できてはいないと感じますが、
スタッフの方々について色々なことをさせてもらいながら勉強している状況です。
入る前に想定していた一歩とは、良い意味でずれましたね。
その中で、コンディショニングコーチとしては、
毎日の体重チェックなどを通じて、選手の日々の体の変化を測るようなことも取り入れたりしています。
そういった長期的に体を整えていくような支援をして、将来、役に立ったと思って貰えれば良いと思います。
また、練習時のウォーミングアップやフィジカルトレーニング、
選手のパフォーマンスを上げるための筋トレやクールダウンのアドバイスなどもしています。
人それぞれ、またその日によって選手の体調も違うので、
その日のスケジュールを考えて食事や睡眠、トレーニングの量などを組まなければならないのが難しいですね。
試合時は、ハーフタイム時のクールダウンや、試合の流れを読んで控え選手のウォーミングアップを行うので、
片時も集中力を切らせるわけにはいきません。
他にもアウェー戦の時は何週間も前から宿や食事を調整したり、勝つためにやることは限りなくあります。
今は、そんな様々なことを、一つ一つ勉強させていただきながら取り組んでいるところです。
個人としては一生、サッカーをプレーする人を見ていたいと思っているので、
サッカーの組織の中で自分が役に立てる部分は何か、
自分のコンディショニングコーチとしてのスタイルを確率するため模索しています。
自分は今まで出会った人たちのお陰で、今の場所にいることができるので、
感謝の気持を忘れずに、大好きなサッカーと一生関わっていきたいですね。
2014.06.19
新田 涼
にった りょう|コンディショニングコーチ
湘南ベルマーレにてコンディショニングコーチを務める。
新田涼(Facebook)
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