同年代の女性を総合的に診れる医者に。
自分だからこそできる医療を目指して。
摂食障害に苦しみながらも、医者になりたいと努力を重ね、夢を叶えた山本さん。産婦人科医を目指していたものの、医者の不足している地方の病院での勤務を通して、特定の分野に限らず幅広く患者を診られる医者になろうと決意します。山本さんが提供したい医療の形とは。お話を伺いました。
山本 佳奈
やまもと かな|内科医
公益財団法人ときわ会常磐病院、ナビタスクリニックで内科医として勤務。貧血や性感染症など10~30代女性の健康問題について研究。著書『貧血大国日本 放置されてきた国民病の原因と対策』。
人と同じことはしたくない
滋賀県大津市で生まれました。母が教育熱心で、小学生の頃から「将来の選択肢を広げるために勉強をしなさい」と言われていました。毎日電車に乗って、京都の塾へ通っていました。家族で旅行に出かけるときも、勉強道具を持っていかされ、旅行先で勉強。成績が上がることよりも、親に褒められるのが嬉しくて勉強していました。逆に、簡単なテストで100点を取れないとがっかりされるのがすごく嫌でしたね。
中学受験をして、大阪の中高一貫の女子校に合格。入学後は、グループをつくって行動する文化が肌に合わず、一人でいることが多くなりました。みんなと同じことをしたって面白くないし、周りに合わせて自分のやりたいことを我慢するのもしんどかったんです。
とりあえず勉強さえしておけば将来困らないかなと思い、学問に専念することに。本もたくさん読み、学校帰りには毎日のように本屋に寄る生活を送っていました。
医学部受験と摂食障害
高1のとき担任の先生に、もう少し頑張れば医学部にいけると言われました。私の周りには医学部に入った人はいなかったので、これまで考えたこともない選択肢でした。しかし、ドラマなどで見て医者はかっこいいと思っていましたし、お金を稼げる仕事だというイメージもあったので、可能性があるのならと医学部受験を決めました。
同じ時期、ぽっちゃりしていた私は、自分の体型を気にし始めるようになりました。ダイエットのため、食べる量を徐々に減らすように。そのうち親が作ってくれる食事も全然食べなくなり、体重が1日1キロペースで落ちていきました。親にも学校の先生にも心配されましたが、体調は悪くなく、頭もクリアだったので、別にどこもおかしくないと思っていました。むしろ目に見えて体重が落ち、細くなっていることが嬉しかったです。
高2の冬、担任の先生から指示され、病院に行くことになりました。1年間で、50キロ以上あった体重が30キロを切っていて、カバンが持てず、ちゃんと歩けないような状態でした。医者からは「明日死ぬかもしれないから入院してください」と言われ、即入院が決まりました。
すぐに退院できると思っていたのですが、体重は一向に増えず、1カ月以上経過。このままでは一生病院から出られないかもしれないと思いました。毎日お見舞いに来てくれた親に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。また、学校ではみんなが受験に向けて追い込みをかける中、このままでは置いていかれてしまうと焦りました。
高3になってやっと復帰することができましたが、やっぱり勉強にはついていけませんでした。頭痛などの体調不良に悩まされ、食べなきゃという強迫観念にも襲われて、肉体的にも精神的にも不安定な状態でした。
そんな中で大学受験を迎え、自分でも無理だとわかってはいながら、京都大学の医学部を受験。結果はやはり不合格でした。それでも、医者になるという夢を諦めきれず浪人することにしました。
予備校に通い、必死に勉強しましたね。成績はなかなか上がらず、体調も万全ではありませんでした。しかし、医学部に入りたいという思いが強く、それ以外のことは考えられなかったです。猛勉強が実り、翌年、なんとか地元の公立大学の医学部に合格することができました。
命が生まれる現場に立ち会いたい
大学入学後も勉強の日々は続きました。先生から「この程度のテストで合格点を取れなければ絶対に留年する」と脅されていた最初のテストを落としてしまい、かなり落ち込みました。ショックのあまり実家に帰って、母親に「医者になるのは無理かもしれない」と言うと、母から「それもそれで人生、そんなに大変なら辞めるのも一つちゃうか」と言われました。その言葉で、逆に「いや、でもせっかくここまで来たし」と思いとどまることができました。
なんとかハードスケジュールに食らいつき、4年生になった頃。臨床の授業で産婦人科を見学し、強く興味をひかれました。生命の誕生という、人生におけるダイナミックな瞬間に携われることに魅力を感じたんです。また、入院していた頃、男性の先生に診察されることに抵抗があったことを思い出し、この分野なら自分が女性であることも活かせるのではないかと考えるように。そこで産婦人科医になろうと決心しました。
同時に、性感染症や貧血など、妊娠の妨げになるような問題についても情報発信し、予防を啓発していこうと考えました。子どもを産みたいと考える女性は多いにもかかわらず、性感染症や貧血を予防するための知識や対策が浸透していないと感じたんです。そこで、学んだことを自主的にネットで発信するようになりました。
一通り病院実習を終え、いよいよ研修先の病院を選ぶ段階になりました。お世話になっていた先生から、生まれ育った関西から出て世界を広げたほうがいいと言われ、研修は東京で行おうと思いました。研究などをバリバリやっている産婦人科のある病院に絞って応募しましたが、落選。すごく落ち込みましたね。
どうしようかと考えていると、たまたま福島県南相馬市の病院の募集を見つけました。お世話になっている先生方のチームが、東日本大震災後に医療支援で入っていたので、その病院の存在は知っていたんです。原発事故から4年が経ったころで、事故後に女性の研修医の受け入れは例がありませんでした。しかし、なにか被災地の役に立てることがあるかもしれないと考え行くことに。親には心配されましたが、自分の意思を貫きました。
患者を横断的に診れる医者になる
南相馬ではさまざまな患者と出会い、経験を積むことができました。看護師さんたちと顔も繋がって、ようやく役に立てそうだと感じてきた頃には、初期研修の2年が終わろうとしていました。
ちょうどこの年から専門医制度が新しくなり、地域ごとに指定される規模や設備などの条件を満たした病院でのみ、専門医になるための研修が受けられる形になりました。専門医になれば、就職にも有利ですし、より深い専門知識が身につきます。私も産婦人科の専門医の資格取得を目指していましたが、勤務している病院では研修を受けられないことがわかりました。
この病院に残るか、専門医の取得を目指すか。悩みましたが、病院を変えてまた0からスタートすることに抵抗がありましたし、ドクターの少ないこの病院で役に立ちたい、ここに残りたいという思いが強くありました。そこで結局、専門医になることを諦め、その病院に残ることに決めました。
ところが、1人だけいた産婦人科医の先生から、忙しさを理由に面倒を見れないと言われてしまいました。どうしたらいいか途方に暮れていたところ、同じ病院の神経内科の先生が声をかけてくれたので、その先生の下で働かせてもらうことにしました。
南相馬の病院で働き続けると決めた時から、産婦人科の専門医よりも、もっと横断的にさまざまな病気を診れる医者になりたいと考えるようになりました。通院している患者の中には、午前中に循環器科に行き、午後からは整形外科に行くような、さまざまな科にまたがって診療を受ける方が多くいます。何かの症状に特化して診療できるよりも、その年代や属性の人に関わる悩みを全般的に診れるほうが、医者として価値があると思ったのです。
中でも私は、同年代の女性の病気やその予防のための幅広い診療をできるようになりたいと思いました。自分も同じような体験をしているので何が問題なのか掴みやすいですし、アドバイスもしやすい。近い世代だからこそ伝えられることがあると思ったんです。
そこで、同世代の女性の健康に役立つために、以前から勉強していた貧血や性感染症などを中心に知識を深めていきました。ネットを通じて学んだことを発信していると、本を書いたり、講演したりする機会をいただくようになりました。さらに、食品メーカーから貧血対策のための商品開発のアドバイスを依頼されるなど、病院の外での仕事が増えてきました。
今の自分だからこそできることを
現在は、福島県の病院に務める傍ら、東京の病院でも非常勤の内科医として勤務しています。福島の病院では、医者が足りないためあらゆる対応を求められます。そのため、幅広い経験を積めると思っています。
東京の病院では、主に私がアプローチしたいと考えている10~30代の女性を診療しています。患者に会ってみて、思った以上に性感染症についての知識が少なく、頸がんの検査を受けたことのない人が多いことに驚きました。何が問題になっているのか、患者の生の声を聞くことができるので大変勉強になります。
今後も同年代の女性のために、貧血や性感染症の予防や対策について伝える活動を広げていきたいです。そのために、自費で性感染症についての冊子を作って配布しているほか、ゲーム感覚で知識を学べる動画の制作も検討しています。研究の結果を後世に伝えるため、論文も書いてるところです。
性に関する問題については、国を越えて、もっと多くの人に知ってもらいたいですね。特に東南アジアの国々は、急激にスマホなどのデバイスが広がり、それに伴って出会い系などの利用者が増え、性感染症などにかかるリスクが増している現状があります。そこに対しても、医療者としての観点からアプローチできればと思っています。
女性でこの年齢の私だからこそ、伝えられることがあるはず。年齢が離れた先生に言われても「なんか言ってるな」で終わっちゃうことも、あえて私のような近い世代から言うことで、響く人もいるんじゃないかと思っています。また、自分自身も貧血になったりピルを飲んだりしていた経験があるので、実体験を踏まえながらお話していきたいです。
さまざまな活動を行う中で、最近、自分の人生の先が読めないと思うようになりました。考えたところで、結局予想外のことが起きる。それなら今は、目の前のチャンスをできるだけ掴みたいと思っています。これからも、誰もやっていない領域において、自分にしかできないことに取り組んでいきたいです。来年何をしているのか、自分でも分からないけれど、そのことがすごく楽しみでもあります。
2018.08.17
山本 佳奈
やまもと かな|内科医
公益財団法人ときわ会常磐病院、ナビタスクリニックで内科医として勤務。貧血や性感染症など10~30代女性の健康問題について研究。著書『貧血大国日本 放置されてきた国民病の原因と対策』。
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