自分の中にある、島で暮らした原体験。
子ども達の心に、その種を蒔いてゆきたい。
幼少期を東京諸島の自然の中で過ごした伊藤さん。教員になるために進学するも、本当にやりたいことを見つめ直し、違うアプローチで子どもと関わることを選択します。かつて、島の子どもだった伊藤さんが、今の島の子どもに伝えたいこととは?三宅島に移住して1年が経過した今の生活についても、お話を伺いました。
伊藤 奨
いとう しょう|地域滞在型感光業、受託事業
一般社団法人アットアイランドの代表理事。
島の自然に囲まれて育った
出生地は東京の六本木ですが、1歳になる頃に伊豆大島に引越して、その後も、日野市、小笠原の父島、八丈島と、色んな場所で暮らしてきました。
人としゃべるのが得意な子どもではなかったのですが、小学2年生で父島に転校した時はすぐに友達ができました。島の子どもたちが、外から来た僕にすごく興味を持ってくれたんです。島の色んなところに連れていってくれて、すぐに仲良くなれました。
父島では、毎日海で遊んでいました。特に灯台からの飛び込みですね。飛び込んであがって飛び込んであがって、ってひたすら続けてました。島の子どもにとって、どういう技で飛び込めるかがステイタスなんですよ。勉強ができるより足が速いより、飛び込みが上手い子が一番モテるんです(笑)。
両親は2人とも海が大好きだったので、毎週末のようにイルカと一緒に泳いだり、シーカヤックで誰も行かないような浜に行ってタコをとって食べたりしていました。リアルな自然の中で遊んでいましたね。
小学6年生で八丈島に引越した時、2000年の三宅島噴火で八丈島に避難してきた子と親友になりました。三宅島の避難解除後、その子について三宅島に遊びに行ったんですが、一番印象に残ったのは噴火による景色でしたね。特に枯れた木。こんな木があるんだ、自然ってすげーって。地面も枯れてちりちりとした感じで衝撃でした。八丈島には無い景色が広がっていて、これはすごいなって単純に思いました。
高校生の時に「ドリームプロジェクト」という、伊豆諸島の大島、新島、神津島、三宅島、八丈島の高校生たちが、島の将来を考えるイベントの企画に参加しました。三宅島にも小笠原にも友達がいたので、絶対にやりたいと思ったんです。
島の魅力を発信する企画を立てて、自分たちでお金を集めてくるという内容で、僕は八丈島のメンバーの取りまとめ役をやりました。この時に、伊豆諸島の高校生の「壁」がなくなるのを感じましたね。
企画自体はずっと続く仕組みにはできなかったんですが、そのイベントのおかげで島の高校生同士が壁を越えてつながったんです。その感覚がすごく面白かったですね。
本当にやりたいことは何だ?
高校卒業後は、なんとなく保健体育の先生になろうと思って、神奈川県の大学の体育学部に進みました。運動が好きだったのと勉強ができなくもなかったのもあって、先生にすすめられるがままに進学して、「教員になるんだろうなあ」と思いながら過ごしていました。
本当に教員になりたいのか迷い始めたのは、大学3年の時です。このまま先生になっても何も教えられないんじゃないかなって感覚が強くなってきたんです。
社会のこととかお金のこととか、何もわからない。この状態で、例えば子どもの進路指導するって、何だそれ、って気持ち悪くなっちゃって。もうちょっと色々勉強してから教員になろうと思って、卒業後は大学時代にアルバイトをしていたフィットネスクラブで働くことにしました。
フィットネスクラブでは、子どもたちのスイミングスクールや、マシンジムやストレッチのクラスでインストラクターとして教えていました。そこでの仕事が結構面白かったんです。特に人とのコミュニケーションが。人と接すること、サービスすることが好きなんだなって、そこで分かりましたね。
トレーナーの仕事が合っていると思いつつ、このままではいけないなという感覚はありました。何かにチャレンジしたいけど、何をしていいか分からなくて、悶々としてたんです。自転車で東京から大阪まで行ったり、いきなりスカイツリーから水戸まで歩いてみたり、よくわからない挑戦を色々しました。
また、本当に教員になりたいのか、自分の心の中を突き詰めようと思って、色んな人に話を聞きに行きました。その中で、起業家の話を聞くことで、起業もひとつの選択肢だと教わりました。教員という職業にとらわれなくてもいいんだ、って心のレバーが切り替わりましたね。
だんだん、自分が本当にやりたいことは、島で子どもたちと関わり続けることなんだって分かってきました。島の自然とか文化とか歴史とか、そういうものを子どもにつなげていきたい。そのために自然の中で色んな経験をしてもらって、子どもたちの心に種を蒔きたかったんです。僕自信、そういう種をいっぱい蒔いてもらったことで、島への愛着に気が付くことができましたから。
きっとそれは、教員だと難しい。島の学校に行けるかは分からないし、授業は指導要領に沿って進めないといけない。それなら最初から、教員という枠から飛び出していったらいいんじゃないかって思って。
どうせやるなら子どもたちと年が近いうちに取り組むことが重要だと思ったので、色々考えた末、思い切ってフィットネスクラブを辞めることにしました。
野外教育施設職員をしながら、島への移住を考える
フィットネスクラブを辞めた後は、野外教育施設で働きました。子どもたちと自然を繋げる経験を積むためです。同時に、島で暮らすことを真剣に考えるため、東京諸島出身の友だち
を集めて、アットアイランドという任意団体を作りました。
仕事をしながら休みの日に色んな島に行ったり、その地域について調べたり、島の人と話しながら自分に何ができるか調査したり。そんなことを1年くらいやりましたね。
アットアイランドの対象エリアは東京諸島全体ですが、まず取り組む拠点はどこかの島に絞らなければなりません。それまで住んだことのある大島や小笠原、八丈島も検討したんですが、僕は三宅島に移住することにしました。
三宅島の人って、底抜けに明るくて、かつ島への想いが強い人がいっぱいいるんですよ。中学の時に見た三宅島の印象も強く残っていましたね。自然と人が一緒に歩んでいる島というか。人って自然をコントロールしたくなりがちなんですけど、三宅島では噴火っていうどうしても逆らえないものがある。それを何回も経験していて、自然と一緒にどう暮らしていくかを考えている。お祭りを大切にしていることが象徴的な例ですよね。それを見て、単純に、三宅島の人と自然ってすごいなって思ったんです。
三宅島で暮らすことに決めて、仕事として一番最初にやろうとしたのは宿泊施設です。島の外の人と中の人がつながれる拠点が欲しいと思って、ゲストハウスと寺子屋を合体したようなモデルを考えたんです。
ゲストハウスで収入を得つつ、寺子屋でワークショップとかやって教育を打ち出す。移住する前から定期的に島に来て計画を進めました。しかし、直前で物件が借りられず、計画が頓挫してしまったんです。
さすがに落ち込みましたけど、落ちこんだのは1日くらいですかね。いい失敗でした。よく考えたらフリーで島に入って自由に動き回れる若ものって、意外と求められているかもしれないって気付いたんです。とりあえず島に入って、そこで必要なことを探して組み立てて実現してくっていうのも面白いかなって。それで、お金も計画も何も無かったんですが、島に飛び込むように移住してきました。
理想は、島の個性が発揮されること
現在は、三宅島で色々な事業をやっています。メインは滞在型の感光ガイドです。観るだけではなく、感じてほしいので、あえて「感光」としています。その他は必要に応じて受託事業を請け負うこともあります。2017年7月からはゲストハウス運営を中心に回っていく予定です。
島に来て最初の頃は、早朝の運送屋の仕事や中学校の支援員の仕事をしていて、収入の最低限のベースだけを確保しました。この経験は地域のヒト・モノの流れを掴むために非常に重要な働きをしました。単なる時間の切り売りではありません。後は、長期休みに島の子ども向けキャンプや、島外の大人向けキャンプ、自然ガイドの仕事をたまにいただいたりして、とにかくできることを無我夢中でやりましたね。
僕らの事業は地域に根付いていないとやる意味がないと分かっていたので、できることと必要なことを探すために、事業以外でも青年団、消防団、商工会、地域の老人クラブ、サッカーのコーチ、地域に関わる色んなことを本当にたくさんやらせてもらいました。これは、直接収益につながるわけではないですが、ここで得た繋がりなしには今の事業はなりたたない程貴重なものでした。こういった活動は個人的に好きでもあったのが幸いです。
1年経って、やっと島の人から色んな話を聞ける状況になってきたので、これからはそれをどう具現化していけるかですね。
アットアイランドの描く理想は、三宅島だけでなく、東京諸島それぞれが個性を発揮できる島になることです。自分たちの島の魅力を住民がちゃんと分かっていて、発信できるステージに立っている、そんな状況にもっていければいいなと思っています。
その上で、東京諸島が競争しつつも連携していける、そんな未来を描きたいです。そのために僕らに何ができるかを考えて、「地域にとって必要なこと(需要)」と「やれること(実現可能性)」と「楽しいこと(ワクワク)」、その3つをかけあわせて事業ができたらいいですね。
2017年7月にはゲストハウスがオープンします。以前考えていた「ゲストハウス × 寺子屋」というものよりもっと手堅くメインターゲットを本土の若ものに絞って、収益事業として運営していくつもりです。
島で事業を続けていくために、宿としてちゃんと収益をあげて実績作ることを優先したいですね。まず、僕らが島に居続けられないと意味が無いので。以前、寺子屋のイメージで考えていた教育の部分は、長期の休みにキャンプをするという形で繋いでいきたいと考えています。
将来的には、若い人が島でちゃんと稼げるようにしたいです。若い人達が島に入ってきてやりたいことを作っていく中で、ちゃんと収入があって、それで地域が回っているっていうイメージ。アットアイランドのメンバーが各島にいるので、それぞれが情報発信しながら必要な時には助け合えるようにしたいです。
10年後、20年後、それぞれの島で暮らし頑張る若ものたちが、東京諸島を動かせるような、そんな力になる可能性があるなって思っています。
できれば、各島ごとに、その島の出身者をリーダーに据えたいですね。Uターン者は地域の人と距離がかなり近いので、島で何かやるときに色んな問題をショートカットできる。だから、できれば島に対する想いがある若ものに何かやってほしいです。ただ、特に観光の部分では外の人の目線も必要なので、僕らが一緒に事業を考えたり協力し合ったりして事業をやっていければいいですね。
事業全体を通して、とにかく関係人口とリピーターを増やし、島に対する「好き」を創っていく。まず優先してその仕組みを作ることに努力します。ゲストハウスはその入口としての機能を果たすのではないかと思います。「移住」という言葉は結果に過ぎませんので固執する必要はないと思います。
そして、このゲストハウスはただの安宿に終わってはいけない。島を感じてもらえる滞在を。何度でも来てもらえる仕掛けを。観光の次のステージは「担うこと」。次に関わってもらえるような良い意味での「隙」を常に残しておくことを意識します。なので、ゲストハウスはDIYにて多くの協力を経て創られていますが、これからも常に未完成の存在でいるということです。初来島のゲストさん、リピーター、島人が共に空間を同じくするときに、次の島への関わり方が可視化できるはずです。地道にそんなことを続けていきたいな、と思っています。
2018.07.19
伊藤 奨
いとう しょう|地域滞在型感光業、受託事業
一般社団法人アットアイランドの代表理事。
編集部おすすめ記事2019.10.11
編集部の伊藤です。秋は悩みの多い季節と言われます。例えば、ファッション。先週真夏日があったと思ったら、今週は台風到来と秋は天気が激しく変わるので、何を着るか悩みますよね。でも、そこで無難なファッションを選ぶと気分が上がらない。ファッションが心理状態に与える影響の大きさは様々な研究が示していますが、実はanother life.にもその実例があるんです。今回は、ファッションをきっかけに自分に自信がついた3名のストーリーをご紹介します。ぜひご覧ください。
寝たきりの17歳と社会を繋いだファッション。恩返しのためにパイオニアとして切り拓く道。
ファッションを通じて自信を取り戻してほしい!コンプレックスをチャームポイントに。
人生にBefore/Afterを!「短髪・体育会・ジャージが私服」だった私だからできること。