「一念岩をも通す」
オタクの厨二病的な思いが実るまで。

「大好きなアニメを汚された復讐がしたい」弁理士を目指し始めた理由は、自分自身でも「厨二病だった」と語る前渋さん。強い思いを掲げて目標を達成していくまでには、どんなストーリーがあったのでしょうか。お話を伺ってみました。

前渋 正治

まえしぶ まさはる|特許事務所パートナー・ヲタク弁理士
特許業務法人 武和国際特許事務所のパートナー・弁理士を経て、フリーランスの弁理士として活動中。
中小企業の技術を適切に評価・保護することで、企業が銀行等からの金銭的支援を得やすくするような仕組みを画策中。
個人では一般の人に著作権をわかりやすく伝えるため様々なメディアを活用している。

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アニメで就職


小学校低学年の頃から「魔神英雄伝ワタルシリーズ」がキッカケで、アニメにはまっていきました。メディアミックスの先駆け的な作品で、アニメと繋がってはいるけれど違う世界の話を小説で描いたり、色々な媒体で一貫したストーリーが展開されていたのが面白いと思ったんですよ。アニメだけではなく、ゲームや小説、ラジオやおもちゃも全て追いかけました。

この頃から、いわゆる「アニメオタク」でしたね。中高大と、サッカーやバンドなどもやっていたのですが、オタクではあり続けましたよ。

高校生くらいになると、アニメの「版権」とかに興味を持ち始めました。好きだったアニメの版権元の会社が変わり、その会社の利害によってアニメの内容がつまらなくなることもあって、版権をどこが持っているかを知っておくことはオタクにとっては大事だったんですよね。

そんな生活の中、大学3年で就職活動の時期を迎え、友人に「アニメが好きなんだから、玩具メーカーとかいいじゃん」と言われて、確かにそんな道もあると思い始めました。また、小学生の時に泣くほど感動して、大好きだったアニメがあったのですが、そのアニメを明らかに「パクった」アニメ映画がその時期に公開されて、憤慨したことがあって。著作権を行使して、なんとか「復讐」できないかと思い弁護士の道も考えたのですが、理系から転向して勉強するのも難しいと諦めていました。

そんな時、弁理士という仕事を知ったんです。弁理士は、理系だった学生が、企業に入って知財に関して実務を経験した後、資格を取得するというのが一般的だったので、まさに自分に合致していると思いました。

理系だったので、日本の技術やその保護にも関心があったことも拍車をかけ、将来弁理士になることを見据え、知財の仕事ができそうな玩具メーカーに就職することにしました。

再燃した思い


就職したものの、知財を扱える部署には配属されず、車の玩具を担当することになりました。1年目なので仕方ないし、また車メーカーから版権を取る仕事は将来活かせると感じていたので、成果を認めてもらえるように、仕事はまじめに取り組みました。

また、上司がすごく尊敬できる人だったんですよ。大人な対応ができるけれど、上司に迎合するわけではなく、自分の考えを持ち行動していて。兄貴肌でしたね。この人の下にいるのであれば、知財の仕事でなくとも良いかなと思い始め、正直、居心地もよかったので、「このまま弁理士は無理かなぁ」とも感じていました。

しかし、半年程経った時、突然異動になり、アニメの玩具を担当する事になったんです。その時には、アフレコを見学させていただいたり、アニメのシナリオ会議に出席させていただいたり、その中で好きだったアニメに携わっていた方に御挨拶させていただいたり・・・面白い仕事をさせてもらいました。

でも、新しい上司を尊敬できなかったんです。その上司は、会社にへつらうだけで、「カッコ悪い大人」という印象でした。その人の下で、しかも知財の仕事ができないのではこの会社にいる意味はないと思い、辞めることに決めました。一度は諦めかけた弁理士になるという思いが再燃してきたんです。

会社からは、知財の仕事ができる部署に異動するから続けてくれと引き止められ、辞めることを延期していたのですが、結局約束は破られてしまったので、2年目の夏前に会社を退職しました。24歳の時でした。

「身分がない」ことへの開放感


会社を辞めてからは、昼は資格の勉強をして、夜は遅くまでアルバイトをする生活を続けていました。将来への不安も多少あったのですが、それよりも開放感が強かったですね。

思い返してみると、それまで浪人も留年もなくストレートに進学し新卒で就職する、いわゆるレールの上を真っ当に歩んできた人生だったんですよね。でも、この時初めて「身分がない」という状態になったんですよ。なんだか自分の可能性が無限に開かれている感じがして、ワクワクしましたね。

次の目標としては、弁理士の勉強をするため、ある特許事務所にどうしても入りたいと思っていました。というのも、その頃の弁理士は、偉そうにして仕事をしない”先生”が多かったんですよね。

自分はそんな環境で仕事をしたくなく、志を持つ若い人が多い事務所で働きたいと考えていいて、横浜にあるその事務所の代表は企業での経験もある若い方でしたので、その事務所を目指しました。その事務所に入るため、入念に準備をしましたね。いきなり受けてもダメだと思い、勉強もしっかりしていくつか資格をとった後、その事務所を受け、無事合格することができました。

この事務所に入れたことは、自分の自信という面でも、キャリアという面でも大きなターニングポイントでしたね。本気で取り組めばなんとかなると思えたんです。

その事務所で働き始め、特許申請時の相談を受けたり、出願時の代理業務を行うといった「特許事務所の仕事」を手伝わせてもらいました。加えて知財専門のグループ会社に移ってからは、知財戦略の立案といった「企業の知財担当者の仕事」と、特許事務所の中間の様な立ち位置で、色々なことをさせてもらいました。

そうして実務を積んでいくうちに、弁理士の資格をとることができました。

善意で成り立つ創作活動


今は、弁理士事務所で経営にも携わる立場で働いていて、個人としては大きく2つのことに力を入れて活動しています。

1つ目は著作権に関して正しく知ってもらうための活動です。アニメや漫画の二次創作に関してはよくニュース等にもなり、議論に上がりやすい話題ですが、創作が活発化するためには、著作物の利用はある程度許されなければならないと思うんです。

しかし、この著作権と二次創作での利用のバランスに関しては、明確な法律が定められているとも言えず、弁理士の中でも十人十色の見解が出てくるような難しいテーマでもあるんです。さらにTVでは「著作権法」の専門家ではない人が誤った情報を伝えていることもあるし、これでは一般の人が正しい知識をつけることができないと思うんですよ。

だから、私は専門家として、一般の人に分かりやすく著作権上の課題は何かを伝え、一般の人が著作権の問題に関して、自発的に考えられるような土壌を作りたいと考えています。

一般の人が「何が問題か」を正しく認識することで、クリエイターに敬意を持ち、善意の上での二次創作活動が行われるようになると思うんです。そうすれば、秋葉原のアニメ文化が守られながら、クリエイターも稼げるようになると考えています。

2つ目は若手の育成です。私は、「大好きなアニメを汚された復讐」という、厨二病的な思いからこの分野に関わるようになりました。それからこの思いを元に、事務所に合格したり、資格をとることもできました。

最初は仕事に関するベクトルじゃなくても、思いを持ち続ければ、何かしら世の中のためになることにつながると思うんですよ。特に、失うものが何もない若いうちだからこそ、暴走するくらい思った通りに行動すれば、人生が無限大であることを実感できるはずなんです。

「一念岩をも通す」の精神でここまで来ることができた経験を通じて得たものを、若い人にも伝えていければと思います。その人の思いが、何かしら知財とか特許とかにに繋がるものであれば、ぜひ弟子として受け入れるなど、直接育成の支援をしたいと思っています。

2014.06.18

前渋 正治

まえしぶ まさはる|特許事務所パートナー・ヲタク弁理士
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中小企業の技術を適切に評価・保護することで、企業が銀行等からの金銭的支援を得やすくするような仕組みを画策中。
個人では一般の人に著作権をわかりやすく伝えるため様々なメディアを活用している。

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