飛び抜けて優秀じゃなくてもいいんです、 成功も失敗もした今思うこと。

IT企業のマーケティング支援を行う会社を経営する吉政さん。幼い頃に描いた夢を達成するため、計7度の転職・独立というキャリアを歩んできました。いくつもの成功と失敗を重ねた今、その先に何を考えているのか、お話を伺いました。

吉政 忠志

よしまさ ただし|マーケティング支援・代行
IT企業のマーケティング支援を行う、吉政創成株式会社の代表取締役を務める。
その他にも、ビジネスOSSコンソーシアム・ジャパン・理事長 、
一般社団法人PHP技術者認定機構・代表理事、Rails技術者認定試験運営員会・委員長を務める。

吉政創成株式会社
一般社団法人PHP技術者認定機構
Rails技術者認定試験運営員会

社長になって、外車に乗って、家を買う


子供の頃から、ビジネスへの関心が人一倍強かった気がします。

父親が大手メーカーの営業部長を務めており、新規営業拠点の立ち上げを行う仕事だったんですよね。新しい地域に一人で乗り込んで事業所を設立し、軌道に乗って来たら次の地域で起こすという繰り返しだったため、軽く20回は引っ越しをしました。

母親に連れられて新しいオフィスを見に行くこともよくあったのですが、すごくカッコいいなと思いましたね。典型的な頑固親父だった父は、私にとって絶対的な存在でした。

そんな父の影響から、中学高校の頃は、「俺は日本一の営業マンになる」と言っていました。好んで読んでいた三国志の諸葛孔明のように、優れた戦略を作り活躍したいなと、漠然と考えていたんです。小さい力で大きな成果をもたらすような、美しい戦略を描きたいという憧れがありましたね。

ところが、大学に入ってからは、憧れの矛先が段々と社長に向いていくようになりました。いくらいい戦略を作ったとしても、判断するのはトップだと気づき、自分がリーダーとして人を束ねて活躍する姿を妄想するようになったんです。

「社長になって、外車に乗って、家をもちたい」そんな夢をぼんやりと描いていました。

愚直な努力の成果


大学卒業後は、親に勧められて昔から決めていたIT業界で働くため、システムインテグレーターの上場企業に入社しました。

一番最初は営業に配属になったのですが、とにかく飛び込んでみるタイプの性格だったので、毎日5件のアポに向かい、真正面から突き進むような商談を繰り返していました。特段優秀だったわけではないのですが、全力で取り組むため、色々な人から教えてもらう機会を頂けることが多く、たくさんのことを吸収していきました。

ある時、イベントの名刺交換の繋がりからヘッドハンターの人と話をする機会があり、当時雑誌や新聞によく出ているような、業界内の有名人ばかりの飲み会に呼んでもらえたことがありました。とても前のめりだった私は、参加されている有名な方に、若い時にどう過ごしていたかを質問し、必死にメモを取って回ったんですよね。

皆さん親切に答えていただき、「企画をする意識をもって行動すること」「英語・プレゼンテーションはできなきゃダメ」という、貴重なフィードバックをいただいたんです。

その日から、教えていただいたことをとにかく徹底的にやるようになりました。作り方も分からぬまま、A4で20枚ほどの企画書を毎月上司に出していましたよ。

最初は全く呼んでもらえなかったんですが、熱意が伝わったのか、ある時から話しを聞いてもらえるようになり、企画書の書き方も教えてもらえるようになったんです。

そうやって愚直に続けた努力が段々と成果につながっていき、ついには大型案件の受注、社内表彰を受けるまでに至りました。なんだか、人生が花開きそうな感覚で社会人一年目を終えたんです。

夢を一つずつ叶えていく


成果が出始めてからは、若干天狗になりました。仕事を退屈に感じるようになり、自分の夢のためにもっと給料を稼げる環境を探そうと、外資系のIT企業に転職することに決めたんですよね。

転職後も変わらず企画を提案し続け、営業だけでなくマーケティングにも携わり、裁量も成果も大きくなっていきました。

そして、仕事が軌道に乗って来た頃、前職で知り合った妻と結婚し、そこから3年かけて家を買い、外車も購入しました。経済的にも裕福になり、ふと気付けば、描いていた夢のうち、「後は社長だけ」という状況になっていたんです。

会社の立ち上げはやっぱり自分の強みが活かせる、IT系のBtoBの事業でやりたいという気持ちがありましたね。当時から輸入依存の傾向が強かった日本の経済への憂いもあり、日本から海外に展開するソフトウェアのメーカーを創ろうという目標を掲げるようになっていたんです。

その後、人脈や資金を集めながら働いていた折、知人を介して、新しく立ち上げる子会社の社長に就任する話をもらいました。まさに、機は熟したという感覚でした、ついに会社経営に携われることに意気込み、人や資金集めを行いました。

ところが、登記直前でその話が頓挫してしまったんです。

もう本当にスタート直前という状況だったので、これには面食らいました。何より、メンバーの中には既に会社を辞めてしまっていた人間もいたんです。

それならば、と私はそのまま起業して自分の会社を立ち上げることに決めました。予期せぬスタートでしたが、ついに私は社長になったんです。

向いていないのかもしれない


独立当初は、とにかくなんでもやりましたね。初期は色々な人に助けてもらい、受託開発を請け負い、なんとか事業が軌道にのっていき、安定した収入が立つようになっていきました。

ところが、8人いた周りのメンバーのマネジメントは決して順調ではありませんでした。BtoB専門でやっていきたい私に対し、皆はゲームを作りたい、といった具合に方向性にすれ違いが出て来たんです。

最終的には、保有している株を譲渡し、私が会社から離れることになりました。学生時代から憧れていた「社長」になってみて、自分はまとめる立場に向いていないんだな、と感じたんですよね。

現実を受け止め、これからはサラリーマンとして、他の人の夢を応援しようと考え、会社経営からは距離を置くことに決めました。

その後はこれまでと同じく外資系のIT企業で執行役員として働いたのですが、資金ショートで会社が倒産してしまいました。それにとどまらず、紹介で転職した先でも、海外の親会社の戦略変更に紐づいた人事により、クビになってしまったんです。

その後から、明確に転職オファーの質が変わりました。7社の転職を重ねていたこともあり、望んでいたクラスのオファーが来なくなったんです。

ちょうど子供の受験等も重なり、一つの正念場だった気がします。そんな背景から、私は、もう一度起業し挑戦することに決めたんです。

自分から他人へ


二度目の独立を経て、今はマーケティングのアウトソーシングの支援の事業を行っています。人一倍色々な経験をさせていただいたからこそ、そのノウハウを提供できたらと考えているんです。今回は以前のように大きなオフィスは持たず、自宅兼仕事場を拠点として、4名のチームで楽しくやっていますよ。

周りの方の支えや自分自身の経験もあり、前回の挑戦に比べて、やっていけるという感覚は強くなりました。なにより、華美な資産に安心を求めるのではなく、小さな投資ながら、大きな成果を出していくというのが、学生時代から描いていた美しい戦略にぴったりなんです。

平坦ではありませんでしたが、若いうちに積んだ経験への感謝の気持ちが大きいです。特段優秀でもなかった中で、「とにかくやってみる」という行動をとってよかったなと思うんです。

だからこそ、これからは、自分が培ったノウハウを次の世代に伝えていきたいと思っているんです。そうすることが、結果的に自分を育んでくれた業界への恩返しにも繋がると思うんです。

自分に向いていたベクトルが、今は他人を向いている気がします。これから、少しずつ還元していければと思います。

2014.05.10

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