学校生活に慣れてくれると、先生は親身に教えてくれたし、同期も仲が良かったので、楽しく過ごしていました。毎日、釣りや素潜りなど魚捕りばかりしていましたね。

しかし、漁師になるには地域ごとの漁業組合内で「漁業権」を取ること、つまり組合員になることが必要で、基本的には家業を継ぐ道しかないことが分かりました。漁師の家庭に生まれていない僕は、漁師にはなるのはとても難しかったんです。

その事実を知り将来に悩み始めたある時、マグロ漁船に乗る研修がありました。船で太平洋沖まで何日もかけて出て行くのですが、その時見た海の景色は感動的でした。沖縄なんかだと水面から30mくらい先まで見えますが、その場所では60mくらい先まで見えるくらい海が透き通っているんです。

この時、教官からは「もう一生見られないから、よく見ておけよ」と言われました。水産高校に通う生徒は、基本的には毎日近場の海に出る沿岸漁業の仕事に就くので、大きな船に乗って遠洋漁業に出ることはないですから。

ただ、僕はもう一度この場所に戻ってきたいと思い、そのために東京にある海洋大学に進むことを決意したんです。大学に行けば遠洋漁業を行う企業に勤めたり、研究者になる道があると考えたんです。

海洋大学には全国の水産高校からの推薦枠がありました。しかし、僕の通っていた学校の漁業科から海洋大学に行く人なんていないし、それまで勉強は全くしていなかったので、先生からも進学は無理だと言われていました。

そこで、今から勉強で勝負しても勝てないだろうから、小論文と面接に全てを賭けることにしたんです。ちょうど3年生になると課題研究があったので、その研究の内容を論文と面接で熱く語ろうと。

そして、寮の近くに綺麗な川が流れていたこともあり、うなぎの生態を研究することにしました。毎朝、自作の罠を持って川にうなぎを捕りに行き、昼休みもひたすらうなぎについて勉強していました。

すると、なんと試験本番の小論文のテーマが、うなぎに関してだったんです。その瞬間、僕は誰にも負けることなく、無事に海洋大学に進学することが決まりました。