憧れ続けた漁師の世界に飛び込んで。
白紙から始めた僕だから、水産業へできること。

幼い頃から海と釣りが大好きで、漁師に憧れた仲地さん。実家が漁師ではなく漁業権を得るのが難しいこと、漁師の世界で生きていく勇気がなかなか出なかったことから、一度は漁師向けに営業を行う一般企業へ就職します。しかし、現場の漁師たちと向き合って明らかになったのは、「やっぱり漁師になりたい」という想いでした。神奈川県でしらす漁を行う「かねしち丸」に弟子入りし、漁師の世界に飛び込んだ仲地さんのその後とは?そして、これから先に描く未来とは。お話を伺いました。

仲地 慶祐

神奈川県の漁師として生きる
東京海洋大学卒業後、IT企業に就職。漁師に営業をする中で漁師になりたいという思いが募り、神奈川県でしらす漁をする親方に弟子入りした。しらす漁から加工、販売まで行うかねしち丸で修行し、漁業組合の組合員となり漁業権を獲得。独立を目指している。

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やっぱり漁師が一番楽しい


漁師になる前に不安だったのは、体力的にハードな仕事を続けられるかどうかでした。実際にやってみると、早朝から晩まで12時間働いて、ヘトヘトになる日もありましたね。

さらに、命がけの仕事であるということも実感しました。働き始めて数年経ったころ、漁の最中に網を巻き上げる機械に右腕を巻き込まれたんです。その機械は、車のタイヤを2つ重ねたような形で、中を空気で膨らませられるようになっています。たまたまその日、普段よりも空気が抜けていました。そのおかげで、腕を圧迫されることがなく、奇跡的に怪我なく済んだんです。

もし空気がパンパンだったら粉砕骨折、悪くすれば右腕を無くしていたかもしれません。仲間がいれば助けてもらえるかもしれないけれど、一人だったら助けも来ない。震度3〜4くらいの揺れが常に続く海の上で、予期せぬトラブルに対して一人で立ち向かわなければいけないのです。その時から、安全管理に対する意識が強くなりました。普段から船の上を片付けるなど、予期せぬトラブルや事故が起きないように注意を払っています。

とはいえ、ヘトヘトになっても、トラブルがあっても、漁が嫌いになったり、怖くなったりすることはありませんでした。むしろ、これまで以上に好きになりましたね。魚を獲るという行為が、ものすごく好きなんです。自分の狙った通りに魚が獲れた瞬間は最高。12時間働いてヘトヘトになった後、自分で釣りに行くくらい、漁師という仕事は楽しいと思いました。

それから、漁師は元を正すと食料を獲ってくる職業なんですよね。かねしち丸では、獲るだけでなく、しらすを自分たちで茹でて、釜揚げして、販売もしています。自分が獲った魚を食べてもらえると、獲ってきてよかったなという気持ちになります。目の前で「美味しい」と言ってもらえるのは、大きな喜びを感じると共にやりがいにも繋がります。

自分だからこそできることを


2016年に晴れて漁業組合の組合員になり、漁業権を獲得しました。自分で漁に出られるようになったのです。資金繰りやお世話になっている会社さんの状況などから、しばらくは働き続けながら、独立の準備を始めることにしました。大学を出て、教員免許も持っている、水産業界全体に友人や知人がいる自分だからこそ、できることをやろうと考えました。

全国の漁師さんや、飲食店の方々、さまざまな人に会ったり、さまざまな媒体の情報に目を通したりして情報収集しました。その中で、やりたいことが2つできたんです。

一つは漁業体験ツアー。子どもや漁業に馴染みのない一般の人に、漁業の面白さを知ってもらえる体験を提供するのです。

地引網などは観光化されていますが、実際に船に乗って漁をする体験をできるところはあまりありません。漁業の実際を知る場がない。自分自身がそういう体験をしてみたかったからこそ、僕がその場を作ろうと考えました。水産高校の生徒が漁師の仕事を学ぶ場にしたり、水産会社の人が生産現場を知れる場にしたら、もっと漁業の魅力や意義を伝えられるのではないかと思っています。

もう一つは、鮮魚や未利用魚の直販です。質の良い魚や、様々な理由で値段がつかない魚を、血抜きや加工で付加価値を付けて更に美味しく食べてもらう。そうすれば、魚を海に捨てることが少なくなり環境にも優しいですし、自分で値決めができて収入も安定します。

特に未利用魚については、店頭に並べられないからという理由で多くが捨てられている現状があります。例えば、冬に美味しいアイゴという魚は、背に毒針があり、獲ってから時間がたつと匂いもきつくなる特徴があり、市場に出回っていない。でも、生きている状態ですぐに締めてさばけば臭くならないんですよね。鮮度の良いまま魚をさばけるのは漁師ならでは。その一手間を請け負うことで、珍しい魚に付加価値をつけて販売したいと考えました。飲食店さんのニーズを聴きながら、それに合った処理をして魚を提供したいですね。

水産業を成長産業に


今は、独立を間近に控え、自分の船をつくりました。名前は「白鷹丸」。「鷹」は出身大学の船の名前に入っていたことと、知的なイメージがあることからいただき、「白」は自分自身が漁師の家系に生まれた訳ではない、真っ白なところから始める漁師だから、という意味でつけました。もうすぐ完成するので、この船で漁に出るのが楽しみですね。

昨今の水産業は、日本では衰退産業と言われますが、海外では成長産業と言われています。理由は沢山ありますが、一つとして海外ではきちんと資源管理をして、持続可能な漁業のかたちを確立していることが大きいでしょう。日本でもそのための仕組み作りや情報発信がもっと必要です。ツアーや未利用魚の直販も、そこに繋がると考えています。

僕は、漁師として生きていくのが一番楽しい。だからこそ現場から、まずは自分の周りから水産業を良くしていきたいですね。

2020.01.31

インタビュー・ライティング | 粟村 千愛
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