フィジー人に学んだ本当の「幸せ」。 子どもたちへ、幸せな大人の背中を見せる。

世界幸福度ランキング1位となった南太平洋の島国・フィジーで、教育や旅を軸に「幸せ」について発信する永崎さん。100カ国以上の国々を巡った永崎さんが、フィジーで活動を始めた理由とは?お話を伺いました。

永崎 裕麻

ながさき ゆうま|在フィジー語学学校COLORS(カラーズ)校長、旅幸家
在フィジー語学学校COLORS(カラーズ)校長。二児の父。神戸大学経営学部卒。脱サラして2年間かけて世界一周を実践。2007年からフィジー共和国へ移住。内閣府国際交流事業「世界青年の船」「東南アジア青年の船」に日本ナショナル・リーダー/教育ファシリテーターとして参画。教育関連の講演や企画を行うほか、旅ライターとしても活動。現在、フィジーと日本とデンマークの3拠点生活を実践中。

「幸せなるってもっと簡単なのでは?」というテーマで、YouTube「another life.公式チャンネル」にて音声配信中。気になる方はこちら

やりたいことのない自分


大阪市で生まれました。小さい頃は聞き分けがよく、先生に逆らわない子どもでしたね。自分の何倍も長く生きている先生の意見の質が、自分より低いわけがないと思っていたんです。

ただ、大人の言っていることに疑問を覚えることはありました。特に、みんな「勉強しなさい、もっと幸せになれるから」と言いますけど、本当にそうかな?と。幸せになることが目的だとすると、勉強して、良い大学に行って良い会社に入ってお金を得る、というプロセスを経る必要があるのかわかりませんでした。

もっと直接的に幸せを狙いにいけるんじゃないかと思ったんですよね。その方法はわかりませんでしたが、漠然と、いつも幸せだと思える考え方を入手すれば良いんじゃないか、と考えるようになりました。

小学校に入ると野球と水泳と塾を始めて、とにかく忙しい毎日。特に野球は、所属したのがすごく強いチームだったのでかなり大変でした。30人くらいいるチームの中で、8人、かなり上手い子達がいて。僕は彼らの次くらいの実力で、彼らに混じっていつも9人目の選手に選ばれていました。

でも、どんなに頑張っても彼らを超えることはないんですよね。守備は人並みにうまかったけれど、体が小さかったので打っても飛ばないんです。将来性がないとわかっていました。周りが本当に上手いので、いつも大きなプレッシャーを感じていて。野球がすごく嫌いだったけれど、一度決めたことを辞めちゃいけないと感じて、朝練、夕練、夜練と6年間続けました。

中学校に入ったら絶対やめようと決意。しかし、入学すると周りのみんなから「やるよね」と声をかけられて。結局流される形で野球部に入り、また3年間続けることになりました。卒業前になると、高校でもみんなで甲子園を目指そう、というムード。何か理由をつけないと野球を辞められないと考え、僕は野球部のない高校に行くことに決めました。

野球部がない高校なんてほとんどない中で、なんとかグラウンドが全面テニスコートの高校を探し出して受験。野球部がないなら続けなくても仕方ない、そう思ってもらえる環境に行くことで、ようやく野球を辞められました。そんなに嫌ならもっと早くやめればよかったのかもしれませんが、NOと言うことで人を傷つけるかもしれないと思うと、みんなが望まない答えを言えなかったんですよね。

9年間毎日練習してきたので、高校に入って練習をしなくていいのがすごく嬉しかったです。見る側になると、ようやく野球を好きだと思えるようになりました。

やりたくないことをやってきた反動なのか、なるべく今やりたくないことはしないようにしようと思うようになりました。じゃあ何かやりたいかと言うと、特にやりたいこともなくて。高校にはほとんど通わず、家で寝てばかりいました。

留年しないよう気をつけて、欠席ではなく遅刻になるよう、6時間目だけ登校する毎日。そんな感じだったので、2年生の終わりに悪質な遅刻とみなされ、留年の危機を告げられてしまいました。そこからは毎日休まず登校し、真面目に勉強しましたね。やりたいことはやっぱりないから、やりたくないことを消していって、消去法で家から近い、神戸の大学の経営学部へ進みました。

やりたいことに自由な海外の人々


大学ではバイトばかりしていました。タイムイズマネーだと考え、とりあえずお金を稼ごうと思ったのです。

就職活動の時期になると、家に関連の郵便物が大量に届きました。開いてみたのですが、全くワクワクしなくて。まず社会に出たくないという気持ちが先に立ちました。その時、ふと「休学」という言葉が浮かんだんです。30秒くらいで休学しようと決め、すぐに大学の事務局に行って、手続きを済ませました。

1年間休めることが決まってから、初めて何をしようか考えました。どのみち1年後には就活をしなければならず、そうなれば必ず「休学期間で何をしていたんですか」と聞かれるでしょう。その時何か言えることがなければいけません。直感的に「海外だな」と思い、エージェントを通してオーストラリアでのファームステイのプログラムに参加することにしました。農場を回って働きながら海外の暮らしを学ぶ内容です。

オーストラリアは日本と比べ、フレンドリーでのんびりしていました。童話『アリとキリギリス』でいうと、日本人が勤勉な働きアリなら、オーストラリア人はのんびり生きているキリギリスという感じです。こんな生き方もあるんだ、と初めて知りましたね。

決まった期間ごとに農場を回り、ある農家で働いていた時のことです。受け入れてくれていた農家さんが、突然「明日から、環境問題のデモのために別の街へ行かなきゃいけない。ちょっとみんな出て行ってくれないか」と言い出して。ゆるく追い出されたんです。

いやいや、受け入れ義務があるんじゃないの?と思わず突っこみたくなるほど自由でした。ただ、腹が立つ気持ちはなくて、単純に「いいな」と思ったんです。

僕はお金を求めてバイトばかりして、1時間いくらと時給換算して価値を測るようになっていて。でもその農家さんたちは、わざわざ自分たちで高い航空券代を払って、長い時間をかけて、お金が発生するわけでもないデモに参加しに行くんですよね。彼らの考え方は、僕自身の考え方と真逆でした。お金にもならないことをやりたいと思い、そのために行動できる彼らを、羨ましく感じましたし、尊敬しましたね。

僕自身、バイトばかりの日々に、どこかフラストレーションを感じていたんです。時間もエネルギーも、成長したいという気持ちもあるのに、それを向ける先がない。やりたいことがなくて、自由な時間を扱いきれないことを、バイトを入れることで誤魔化していただけなのかもしれないと気がつきました。

初めて見つけた夢、世界一周


とはいえ、やりたいことがすぐに見つかることもなく、帰国すると就職活動をし、また消去法でシステムエンジニアになることを選びました。自分が苦手な分野の、身につけておいた方がいい仕事だと感じたんです。

ただ、入ってはみたものの、苦手な分野なので頑張れど頑張れど、知識が頭に入ってきませんでした。同期にはパソコンが好きで自分で組み立てるのが趣味、という人もいて、好きで仕事をしている人には全く追いつけないと感じましたね。このまま仕事をしても、ハッピーにはなれないなと。

数年働いたころ、同期と他愛ない話をする中で、「宝くじ1億円当たったらどうする?」という話題が出ました。同期は「それは世界一周だろ」と。僕も「それはやりたいよね」と同意しました。同期はそれ以外にもどんどん、やりたいことを出してきました。でも僕は、世界一周以外はそんなに共感できなかったんですよね。

そこで初めて、「自分は世界一周をしたいのかもしれない」と気がつきました。やりたいことがほとんどない中で「やりたいかも」と感じられたことだったので、その夢がとても大事なものになり、徐々に現実味を帯びてきました。

会社では毎年9連休が取れるので、僕はそれを利用して毎年、海外旅行をしていました。海外に行くと毎回気づきがあって、自分が成長するのを実感できるんですよね。海外の9日間と会社の356日とで、成長している割合は変わらないかもしれないと感じて。それなら、365日を海外で過ごしたら、飛躍的に成長できるんじゃないか、と思ったんです。

それに、やりたいと感じた世界一周をしなかったら、死ぬときに後悔するかもしれない。そんな後悔をのこすくらいなら、今やろう。そう考え、会社をやめ、世界一周の旅に出ました。

まずはいろいろな国をみて全体を知ろうと考え、街を転々としていきました。全体を知らないと、国ごとの特徴もわからないと考えたんです。

世界地図で見ていた、ただの文字でしかなかった都市に自分が立っている、そのことに興奮しましたね。ちょうどブログサービスが出始めた頃で、せっかくだからと日記がわりにブログを書くことにしました。

脱サラして旅に出て、社会との繋がりがなくなった中で、ブログは社会との接点になりました。旅の中では孤独になることもありましたが、ブログを通して人と繋がっている感覚を得られたんです。

やりがいを感じて続けた結果、アクセスランキングで1位を獲得。すごく嬉しかったです。学生時代は前に出るタイプではなかったし、サラリーマンになっても大きな成果を出せた訳でもない、そんな自分が注目されるのはこれまでにない経験で、大きな自信になりました。

2年間で80カ国を巡り、帰国。小さな地球儀が自分の中にできた感覚がありました。ここにもあそこにも行ったことがある、あの辺りではこんなことが起きている。それがわかるようになったのです。外国人と話すときも、どこから来たか聞くと大抵行ったことのある国なので、一歩踏み出して会話できるようになりましたね。

歩くパワースポット・フィジー人


帰国すると、内閣府の国際協力事業に参加しました。世界各地の18〜30歳の青年が集まり、船内で共同生活しながら異文化対応力やコミュニケーション力を高める事業です。各都道府県から様々な人が集まる中で、大阪府の代表として参加することになったんです。

最初に、いろいろな国籍の人が集まって自己紹介する機会がありました。みんな面白いこと、明るいことをいうので僕もそうしなければと思ったのですが、緊張で頭が真っ白に。とっさに、「最近4年間付き合った彼女と別れました」なんて、明るいわけでもない、場を冷やすような話をしてしまったんです。

場が凍りかけたとき、フィジー人の女性が声をあげて笑い出しました。それにつられて、みんなも笑ってくれて。ホッとしたのと、フィジー人は笑いのポイントが違うのか?と気になって、あとで声をかけました。

すると彼女は、「全然面白くなかったよ」とバッサリ。でも、「面白くないけど、不幸な時ほど笑えばいいよね」と言ってくれて。辛い時ほど笑うんだ、と頭ではわかっているものの、それを実践できているのが本当にすごいなと思いました。

この子の性格なんだろうか、と思いながら見ていると、船に乗っている他のフィジー人も同じ感じなんですよね。船にはコミュニティのリーダーをしているような人たちが乗っていて、みんなプレゼンなどの成果を競い合うので、上手い人と自分を比べて、落ち込んでいる人が多くいました。でも、そんな中でフィジー人は競争と無縁で、いつも楽しそうにしていて。彼らと話すと癒されたんです。歩くパワースポットみたいでしたね。

世界のいろいろな国を見てきたけれど、そのどの国の人たちよりも、彼らは幸せそうに見えました。そのうち、この人たちと一緒にいたら幸せになれるんじゃないか、と感じたんです。自分にないものを持っている彼らに、幸せになるコツを学びに行こうと思いました。

ふと、世界一周したときのように、「フィジーに移住する」というアイデアが浮かんで。ここでも、やらなかったら後悔するだろうと直感しました。それで、フィジーに住むことを決意。移住して、英語学校のマネージャーとして働き始めました。

フィジーで幸せを考える


フィジー人たちは、とても好奇心が強くて、例えば道を歩いていると特に意味もなく話しかけてきます。他の国でもお金目当てで声をかけられることがあったので、最初は同じかと思っていました。でも、話していると、どうやらそんな感じでもない。本当に、特に意味なく話しかけてくるんです。彼らはお金よりも人とのつながりを大事にしているとわかりました。人間関係を築くためのコミュニケーションとして話しかけてくるんです。

好奇心が強い一方、向上心はあまりなく、仕事は進みませんでしたね(笑)。でも、仕事を頑張らなくても、お金がなくても、彼らは幸せになれるんです。日本でよく言われていた、「勉強して仕事をしてお金を稼いで幸せになれる」という考え方と、彼らの生き方は真逆でした。

子どもの頃感じていた、幸せへのプロセスに対する疑問。いつも幸せそうな彼らはその答えを知っているように思えました。なんで彼らは幸せなんだろう?と考え、研究するような気持ちでフィジー人たちを見つめるようになりました。

そして、移住して4年が経った頃、フィジーが世界幸福度ランキングで1位に選ばれたんです。自分の感覚は間違っていなかったと思いましたね。そして僕自身も、フィジー人たちと4年間暮らす中で、幸せとは何か、自分なりに解釈できるようになっていました。

僕にとっての幸せとは、ほぼイコールで「感謝」。世の中の様々なものに「ありがとう」と思えていることが、幸せなのだとわかったんです。「有難い」の反対は「当たり前」ですよね。ありがとうの多い人生と、当たり前が多い人生なら、ありがとうが多い方が幸せ。だからなるべく当たり前を減らし、ありがとうと思えるシーンを増やすことが重要だと考えるようになりました。

ある心理学者は「成功するから幸せになるんじゃなくて、幸せだから成功するんだ」と述べています。この考え方もとても印象に残り、幸せとは目的ではなく手段だと考えるようになりました。お金や時間やガソリンと同じように、日々の生活に必要なものなんです。幸せは目指すものではなく、そこら中に溢れている。それに気づくことさえできれば、幸せになれるんです。フィジー人たちが、自然とそうしているように。

そんな風に、フィジーで感じたことをまとめ、日本に向けて発信するようになりました。勉強して良い大学、会社に入って、お金を得て幸せになる、という考え方が根強く残る日本に、他の幸せのあり方を伝えたいと考えたからです。本を出版することも決まり、学校で働くかたわら、「旅幸家」として活動するようになりました。

40歳定年と育休で、子育てを模索


フィジーと日本を行き来しながら暮らす中で、結婚し、子どもにも恵まれました。2人目が生まれた40歳の時、仕事をやめて、子育てにフルコミットすることに決めました。ある東大教授が提唱している「40歳定年制」という考え方を知り、実践してみようと思ったんです。40歳定年制とは、40歳でリタイアするという意味に捉えられがちですが、生き生き働くために一度区切りをつける、という意味だそうです。

やってみると、毎日の子育ては本当に大変でした。これまでも子育てには関わってきたつもりでしたが、断片的に関わるのと全体像をみるのって全く違うんですよね。遊ぶにしても、週末だけ遊ぶなら楽しいけれど、毎日となると飽きない工夫が求められます。世の中のママさんたちはこれをやっているのかと思うと、帽子をとって敬礼したくなるような尊敬の念が湧きました。

2拠点生活をする中で、日本に帰るときは子どもを児童館に連れて行きました。そんなとき、近所のママさんたちの子どもを預かって見ていると、すごく喜ばれるんですよね。僕はただ見ているだけなのに、投下している労力に見合わないほど感謝してくれて。

ママさんたちはワンオペ育児の方も多く、睡眠時間が取れず、たったの2、3時間、一人でコーヒーを飲めるくらいの時間を切望していました。そんな状況を見るにつれ、ママさんたちをサポートできないかという思いが生まれました。自分の新しい柱が見つかった気がしましたね。

例えばフィジーでは、母親だけでなく地域のコミュニティで子育てをしています。日本でも、悩みを共有したり、承認や共感のあるコミュニティが重要だと考え、160人ほどのメンバーがいる育休コミュニティに所属し始めました。加えて、教育機関での講演や、メディアでの発信を通して、子育てを含め、働き方や生き方に対しての自分の考えを伝えるようになったんです。

感謝×変化で幸せを生み、広げる


今は、育休期間が明けて再び仕事を始め、フィジーにある語学学校、COLORSの校長を務めています。主に日本の留学生に向け、英語を教える学校ですね。語学だけではなく、フィジーならではの価値観を学ぶ場を作っています。例えば一緒に街を歩き、フィジーの人たちが何を考えコミュニケーションしているか、文化通訳をしたり。

幸せとは、勉強して仕事をしてお金を稼いだ先以外にも見つけることができる、と僕自身が気づいたように、外の価値観を伝えることで、日本人の価値観をアップデートしたいと考えています。その活動の一環として、ライターや講演活動も行っています。

今、取り組んでいるのは「家族総幸福」ですね。ブータンが国民総幸福を掲げたようなことを、家族でやっていきたいと思っています。家族の幸せを考えていくと、相応の時間を割いていない部分があると感じたので、仕事をセーブしてしっかり家族に時間をかけられる状態にしています。

また、「ありがとう」と言える状態であるために、日々に変化をつけることも大事にしています。例えば旅行に行くと、熱いシャワーが出ない場所もあるじゃないですか。そうすると、家で毎日熱いシャワーが出るって、ハッピーなことなんだとわかりますよね。日本で暮らしていると、熱いシャワーは当たり前で、湯船が欲しいとかどんどん満足できなくなりがちです。日常が当たり前じゃないんだと気づく、仕組みがいるのではないかと思っています。

変化をつけることに加えて、いろいろな幸せのサンプルを知るために、「幸せ」を軸にした多拠点生活をしようとしています。世界幸福度ランキングで毎年上位のデンマーク、子どもが世界一幸せな国と言われているオランダ、地球環境を加味した上での幸福度が世界1位のコスタリカ。幸せは十人十色、人によって定義が違うので、こういった国に拠点を作ることで子どもにいろいろなパターンを見せてあげたいですね。そして自分自身が幸せに生きる背中を見せることで、「大人になるって楽しそう」と希望を持てるような教育ができたらと思っています。

僕は、幸せは感染すると考えています。まず自分自身が、そして家族がハッピーであることで、僕らが関わる範囲に幸せが広がっていく。そんな幸せの輪の範囲を、無理なく広げていきたいですね。

2020.12.14

インタビュー・ライティング | 粟村 千愛
ライフストーリーをさがす
fbtw

お気に入りを利用するにはログインしてください

another life.にログイン(無料)すると、お気に入りの記事を保存して、マイページからいつでも見ることができます。

※携帯電話キャリアのアドレスの場合メールが届かない場合がございます

感想メッセージはanother life.編集部で確認いたします。掲載者の方に内容をお伝えする場合もございます。誹謗中傷や営業、勧誘、個人への問い合わせ等はお送りいたしませんのでご了承ください。また、返信をお約束するものでもございません。

共感や応援の気持ちをSNSでシェアしませんか?