3人の師が教えてくれた、僕の生き方。 食を楽しくすることで、人の役に立ち続けたい。

株式会社フーディソンの代表として、「世界の“食”をもっと楽しく」をミッションに掲げる山本さん。幼い頃の死に向き合う体験や、大学・会社員時代の「3人の師 」との出会いをとおして、「後悔のない自分らしい人生」を望むようになりました。山本さんが自分らしくいるために、大切にしている基準とは何なのか。お話を伺いました。

山本 徹

やまもと とおる|株式会社フーディソン代表取締役CEO
埼玉県本庄市生まれ。大学卒業後、不動産会社での営業職を経て、介護領域のベンチャー企業の創業メンバーとして、事業の立ち上げ、マネジメント、事業開発などを経験。2013年に株式会社フーディソンを立ち上げ、代表取締役CEOを務める。

「死」を認識した子ども時代


埼玉県本庄市に産まれました。オムツもとれないうちから目立つことが好きで、床に転がってみたり、大皿料理のパセリばかりを食べたりと、変なことばかりして周囲を笑わせていました。

幼稚園、小学生とそんな感じで、通信簿や文集でも「ひょうきん」「変な人」なんて書かれるくらい。本当は自分に自信がなくて、人と違うことをして笑ってもらうことで、安心感を得ていたんです。

小学4年生の頃、父と北アルプスの登山に行きました。父は、富士山測候所で勤務していて、数カ月家に帰って来れない環境で仕事するくらい山が好きな人でした。父がしょっちゅう山登りをする おかげで僕も、日本の高い山はだいたい制覇していました。だから登山はある程度慣れていたのですが、その日の下山途中に僕が足を滑らせて、崖 から転げ落ちたんです。草原を3、4回転して雪渓の直前、落ちるギリギリのところで なんとか止まりました。

父に崖の上に引き上げられて下を覗き込むと、自分が滑り落ちていく残像が見えた気がしました。「このまま落ちてたら、まじで終わってたな」と思いましたね。この経験から「命はなくなるもの。生きてるだけでラッキーなんだ」と考えるようになり、後悔のないよう生きて行きたいと思うようになりました。

1人目の師に教わった、見返りを求めない優しさ


中学校では相変わらず、「人と違う」と思われることを好んでいましたが、高校では成績を伸ばすことの方が重要になりました。第一志望の高校受験に失敗して、365日勉強漬けの地元の私立高校に入学することになり、勉強せざるを得なくなりました。しかも、入学すぐのテストで、クラスの人たちに比べて点数が悪くて。この調子じゃ大学に行くのも無理なんじゃないかと本気で心配し、人並みにならなきゃと奮起して、勉強するようになりました。

大学は、北海道の国立大学の工学部を受験することにしました。僕は適当なところがあって、北海道で受験するのにギリギリまでホテルを予約していませんでした。直前で予約しようとしたら、受験会場から公共交通機関で1時間半もかかる、ラブホテルみたいな宿しか空いていなくて。しかも朝食は10時。さすがに朝食もとらず受験に挑むのは厳しいと思い、チェックインの後に、近所で朝食を食べられそうな店を探していたんです。

歩いていると、道端で70歳の男性が除雪作業をしていました。積もった雪が邪魔にならないようどける姿や顔立ちからは、優しさが溢れていて。思わず「すいません、明日大学の受験なんですが、このあたりで朝食を食べられるお店知りませんか?」と話しかけていました。すると、その人が「家に来い」って言うんです。ついて行ったら、まず栄養ドリンクを飲ませてくれて、「1人で大変だったろう。夕食も朝食も、家で食べて行きな。受験会場にも俺ら夫婦で送っていってやるから安心しろ」と言ってくれたんです。

僕、その瞬間にボロ泣きしちゃって。「絶対に受かるんだ」と頑張って、無事にその大学に合格しました。

その後、合格の連絡をしたら、「こっちでの面倒は俺たちが見てやるからな」と言って、家具一式を全部買ってくれました。質素な生活をしている方でしたが、「困っている人がいたら、手伝ってあげなさい。食べ物に困っている人がいたら、食べさせてあげなさい」という育てられ方をしたそうで、本当にお世話になりました。

定期的に食材を届けてくれて、引っ越しのときは手伝ってくれて。僕の友達まで家に招いてご飯を食べさせてくれるんです。まるで実の親子みたいでした。「何の見返りも求めない優しさ」を教えてくれた彼のことを、師と仰ぐようになりました。

2番目の師に教わった、世の中を切り抜く力


大学では学校近くの定食屋によく通っていました。そこのマスターが、行く度にビールを奢ってくれて、次第に仲良くなりアルバイトをするようになりました。

マスターは、戦後の動乱をひたすらビジネスで生き抜いた人で、時に10億円の借金を抱えながらも返済し、定食屋にはじまり、居酒屋、焼肉のチェーン店、不動産事業とチャレンジし、事業を拡大しているところでした。70歳くらいなのにエネルギーに満ちあふれていて、時に「お前なんて、大学を出ても使い物にならない」と厳しい言葉も投げつけられました。

でも、それは僕の未来を真剣に考えてくれていたから。「大手に行って、大手の名前に支えられるんじゃなく、自分の力で世の中を切り抜いて行く時代だ」と、教えてくれたんです。

僕は工学部に通っていたので、何も考えずに鉄鋼系の企業へ就職しようと考えていましたが、その言葉に感銘を受けて一転。マスターが若い頃に経験したという不動産の営業を目指し、内定をとりました。

僕のなかでマスターは、生き抜く力を教えてくれた、2番目の師になりました。

3番目の師に教わった、仕事のすべてと自立


不動産会社の営業として就職した僕は、おもしろい先輩と出会いました。同じ営業マンながら、実は会社を立ち上げたいという目標に向かって頑張っていたんです。先輩が起業するタイミングで僕も不動産会社をやめ、立ち上げから手伝いました。

先輩からはビジネスの礼儀やノウハウはもちろん、営業マンが経営者に変わるための全ての工程を、すぐ傍で学ばせてもらいました。ビジネスマンとして、そして経営者の卵として育て上げてもらいましたね。先輩は3番目の師と呼べる人になりました。

そうして起業から8年ほど。上場も経験し、会社は大きくなりました。それと一緒に僕のなかで大きくなっていったのが、「なんのために生きているんだっけ?」という疑問でした。会社が日々成長して行くのはとても楽しかったし、僕は何より先輩が大好きで、彼と一緒に仕事がしたかった。でも、組織が大きくなるなかで仕組み化が進み、「先輩と仕事をしている」という感覚はどんどん薄れていきました。

そのときに、山から転げ落ちてからずっと心に抱いていた「生きていることは、当たり前じゃない」という感覚を強く思い出し、「自分が人生をかけてやりたいこと」を考えるようになりました。共に立ち上げた会社をやめ、自立、つまり自分で起業することを決めたんです。自分で組織をつくり、回していく経験を積んだ方が、より先輩に近付けるのではという気持ちもありました。

もうひとつ僕を後押ししてくれたのが、1人目の師が亡くなったことです。社会人になって、「今度は僕にご馳走させてくれ」と何度も言いましたが、師は結局ご馳走させてくれませんでした。そうしているうちに僕の結婚が決まって、やっと少しだけ恩返しできると思ったんです。お金では返せないから、自分が大人になったことを見せることが、唯一の恩返しになるのではないか、と。でも、招待状の返事がなかなかきません。式の2週間前になって電話したら、1人目の師は病気で亡くなっていました。結婚式を終えて挨拶に行ったら、ご祝儀が用意されていました。「人間て、こんなことができるんだ…」と心が震えました。

1人目の師からは「何の見返りも求めない優しさ」や「人間としての豊かさ」を教えてもらうと共に、「次の世代のために自分が何をできるのか」を改めて考えるきっかけをもらいました。

世の中の役に立てるサービスを


「何の事業で起業するか」。これを決めずに会社をやめたので、まずはテーマをひたすら考えました。そのなかで基準としたのは、「世の中の役に立てるサービスかどうか」でした。1人目の師の影響かもしれませんが、僕は「売上を上げたい」という気持ちよりも、「世の中と接点を持ちたい。世の中の役に立ちたい」という想いがモチベーションなんです。

だから、多くの人の役に立てる領域ということで、まずは「衣・食・住」に絞りました。でも、マーケットが大きいからプレイヤーも山ほどいて。何か思い付いて市場調査をするたびに、難しい要素が見えてきたり、もっと良さそうな事業に目移りしたりの連続でした。

そんなとき、偶然1人の漁師さんに出会ったんです。魚の流通の話を聞かせてもらううちに、鮮魚流通の課題が見えてきました。「魚は大きなマーケットなのに、新しいテクノロジーが活用されていない。変えていける余地のある業界なんじゃないか」。そう思ったんです。そして何より、目の前に当事者がいて、リアルに困っている。それが、これまで考えた他のアイデアとの、絶対的な差分でした。

世の中にはいろいろな課題があって、世界の裏側でもいろいろなことが起きている。でも、社会問題を解決するのに、人生は短すぎますよね。人が人生をかけて本当にコミットできるテーマ は、運が良くて1〜2個くらいしかありません。だったら、その時に選択できるものの中で、自分が最良と思えるものを選ぶしかない。そう思って、「鮮魚の流通」にテーマを決めました。2012年の12月、34歳のことでした。

生鮮流通プラットフォームが、未来をつくる


2013年の4月に立ち上げた会社の名前は、株式会社フーディソン。会社のミッションは「世界の“食”をもっと楽しく」です。人が生きていく限り必ず必要となる“食”の領域で、僕が死んだ後も100年、200年と、ずっと人の役に立ち続ける会社であってほしいと思い事業を作っていきました。

具体的に取り組んだことは3つ。「魚ポチ(うおぽち)」という飲食店向けの仕入れサービスと、「sakana bacca(サカナバッカ)」というエンドユーザー向けの魚屋、そして「フード人材バンク」というフード業界に特化した人材紹介サービスです。

多くの業界でインターネットによる情報のやり取りが当たり前になるなか、生鮮はいまだ電話・FAXのやり取りが中心です。そのため、産地では当たり前の「こういう食べ方が美味しい」という情報が届かず、エンドユーザーの手元では魚が「ただの切り身になっている」なんてことが日常茶飯事。これはとても残念なことです。そのため、特に飲食店向けの仕入れサービス「魚ポチ」を通して、情報の非対称を解消し、生鮮流通のデジタル化を推進しています。これによって「生鮮流通のプラットフォーム」をつくり、生鮮流通に新しい循環を創り出そうとしています。

まずインターネットの力で生鮮流通のプラットフォームをしっかりと築き、情報と美味しい生鮮食品を流通させる。そのうえに、更に派生するサービス、例えば人材紹介や不動産など、食にまつわるサービスをどんどん乗せて、多くの課題を解決していきたいと思います。

僕らしく生きていく


現在は、株式会社フーディソンの代表取締役CEOを務め、事業を推進しています。加えて、「実の親との関係性の再構築」に取り組んでいます。

僕は 3人もの師に恵まれて、血は繋がっていなくてもまるで父親のように、本当に多くを教えてもらいました。でも実の父は、幼少期に単身赴任が続いて一緒に過ごせない期間もあり、コミュニケーションが十分に取れていない部分もありました。自分にとっては厳しい印象の父でしたが、1人目、2人目の師は、父とは会ったこともないのに「あなたのお父さんは本当に立派な人だ」と言ってくれていたんですよね。人から親を褒められたのは初めてで、改めて親という存在を意識し始めたんです。師の影響や、そして何より自分自身に子どもが産まれたことをきっかけに、「親としっかり向き合いたい」と強く思うようになりました。

親に対して素直になるって、めちゃくちゃ難しい。でも、1番目の師が亡くなったことを思うと、絶対にそういう日は来てしまうので、なるべく一緒の時間を持ちたいと思うんです。まずは緊張感なく話せる場をつくろうと、実の父が好きなマラソンをはじめました。母とも一緒に料理をするようになりましたね。

それから、親戚のおばちゃんに、親の若い頃や、僕が産まれた頃の話をしてもらったら、すごくおもしろかったですね。親のことって、わかっているつもりでも、勝手なバイアスを持って見てしまっていると思うんです。「きっと親はこう思ってる。どうせこうだな」って。でも、第三者に協力してもらって親を1人の人間としてみると、いろいろなものが見えてきます。親だって大変なことがたくさんあるのに、そういうことを一切見せないでいてくれる。それに対して勝手に「理想の父でいてくれよ」って要求するのは、あまりに辛いじゃないですか。そもそも理想の父親像自体、無い物ねだりの産物です。

自分のことを知る意味でも、「自分という人間を形成した親」と向き合ったことは、とても意義があると思っています。3人の師を含め、多くの友人や知人との出会いも、自分の人格のベースを創ってくれた、親のおかげであると素直に受け入れることができています。

僕は、山から転げ落ちてからずっと心の奥底で「死」を意識してきましたが、最近はじめて「死ぬのが恐い」と思うようになりました。それは、いま生きていることが楽しいから。日々たくさんの学びがあって、どんどん世界が広がっていく。でも、死んだらこれがゼロになっちゃうんだなって。

しかし、焦ろうとは思いません。以前は、特に仕事において、速ければ速いほど良いと思っていました。でも、自分のペースに無理やり周りを合わせるよりも、「一緒に仕事がしたい人、一緒にいたい人」にちゃんと向き合って雰囲気や文化をつくり上げていくことの方が大切なんじゃないかと思うようになったんです。もちろん局面によって変化は必要ですが。

仕事で関わる人たちにも、友達にも、家族にも、ちゃんと向き合って時間を使っていきたいと思います。過剰にやりすぎて、何かを断絶させてしまわないように、バランスを崩さないように、日常をちゃんと過ごしていく。プレーンでいながら、大切なものを織り込んで、僕らしく生きていきたいです。

2020.04.13

インタビュー・ライティング | 中川 めぐみ
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