東京都目黒区で生まれました。小さい頃はよく親にキャンプに連れて行ってもらい、魚の釣り方を教わりました。釣りが大好きになりましたね。小学生になると弟と一緒に始発の電車に乗って遠くの海岸まで行って、ボートを借りて釣りをしていました。

ある程度、釣りが上達してくると、毎年家で作っているおせち料理に入れるハゼを釣ってくるよう、両親から頼まれるようになりました。毎年夏休みになると、朝ラジオ体操をしたあと自転車で近くの運河まで行って、ハゼを釣るのが日課でした。釣ったハゼは焼き干しして取っておいて、おせちの時に甘露煮にするんです。毎年100匹ほどは釣っていましたね。

小学校卒業後は地元の中学に進学しました。高校受験の時期になあると、成績が比較的よい方だったことから周りに勧められるまま、都内の進学校を受験しました。

無事に合格できましたが、通学するときの満員電車に耐えられなくて、よく学校をサボるようになりました。学校に行くと言って出かけ、違う場所で本を読んでたりしましたね。好きな作家の出身地に夜行列車で出かけたりしていました。人混みは嫌いで、静かに過ごすのが好きだったんですよね。

進路選択の時期になると、周りの友人たちと同じ道に進むのに違和感を覚えるようにもなりました。特に街で見かけるくたびれた顔のおじさんたちを見ると、「このまま勉強を続けて大学に行って、自分もこうなるのは嫌だな」と抵抗を感じたんです。

そんな中、たまたま読んだ本で、海員学校というものが存在することを知りました。魚が好きで、海も好きだった自分にはぴったりの学校だと思いました。調べたところ、座学だけではなく、日本を一周しながら実際に船の操縦などを学べると知り、実践から学べる教育方針にも興味を持ちました。

また、卒業まで1年間しかなく、合わなきゃやめればいいかと思ったことも後押しとなりました。そこで、高校卒業後は周りの友人たちと同じように大学を受験するのではなく、その海員学校に通うことにしました。

海員学校卒業後は、就職先が見つからなかったので、一度実家に帰りました。実家で、働き先の情報を集めていると「北海道の自然の中で酪農の仕事をしながら半日気球に乗って、余暇を楽しみませんか」という広告を見つけ、とりあえずやってみるかと応募しました。とにかく都会から離れたかったんですよね。

それから1年間の期限つきで酪農の仕事をしました。過酷な労働環境で、朝は5時に起きて夜8時まで働いて、休日は1カ月のうち1日だけ。お給料は1カ月8万円でした。それでも、めちゃくちゃやりがいを感じながら働いてましたね。なんでも自分たちでやってしまう酪農家さんたちの姿を見て、都会では感じられなかった人の生きる力みたいなものに触れて、すごく刺激をもらいました。

あっという間に雇用期限である1年間が経ち、次の働き口を考えなくてはいけなくなりました。そこで、子どもの頃から魚釣りが好きだったので、漁師になろうと思いました。

漁師になるなら、大きな船に乗るよりも小さな漁船に乗りたいなと思いました。何でもかんでも自分たちでやってしまう酪農家さんたちの姿に憧れ、自分も、身の丈にあった何でも自分たちでやる暮らしがしたいと思っていたからです。ただ、そんな求人はどこにも載っておらず、どうやって探したらいいのかもわかりませんでした。

港の近くで歩いていれば誰かが声かけてくれて、雇ってくれるんじゃないかと思って、リュックサックとテントを持って、2カ月かけてずっと海岸沿いを歩いて回りました。なかなか雇ってくれる人が見つからず、唯一興味を持って声かけてくれた漁師さんも、しばらくすると「何かあったら責任が取れないから」という理由でやっぱり雇えない、と連絡を入れてきました。

他に当てはなく、断られたらもう後がないと思っていたので、なんとか説得しなければと必死で食らいつきました。その漁師さんが漁に出ないときは近くでアルバイトをしているという話を聞いて、同じところでアルバイトをはじめました。住み込みで働かせてもらいつつ、何度も漁師さんの家に通って、働かせてくださいとお願いしました。

すると、そんな僕の様子を見ていた周りの漁師さんたちが興味を持ってくれて、よく話すようになりました。周りに漁師友達ができた僕を見て、働かせて欲しいとお願いしていた漁師さんはとうとう折れ「春先になったら船に乗せてやる」と約束してくれました。住み込みのバイトを続けながら春が来るのを待ちました。

春になると約束どおり漁に連れて行ってもらえるようになり、ようやく念願だった漁師になれました。順調に仕事をこなし、経験を積んでいきました。