両親への恩返しと第三の人生を、江島で。
人口100人の島で始める、新しい挑戦。

長崎県西海市にある江島で、民泊を経営する福田さん。大阪で生まれ、都会で暮らしていた福田さんは、なぜ父の故郷に移住することに決めたのか。チャレンジ精神を持ち続け、50歳を過ぎてから新たな挑戦を始めた福田さんにお話を伺いました。
結婚するのが女の幸せ
大阪で生まれ、小学生の頃まで暮らしました。小さい頃は人見知りでした。お転婆な一面もあったのですが、声は小さいし、人前で話すのが苦手だったんです。授業中に発言すると、顔が真っ赤になってよく男子からからかわれていました。体も小さくて、あまり丈夫ではなかったですね。
父は、長崎県にある離島、江島(えのしま)の出身で、毎年夏休みは江島で過ごしました。綺麗な海と都会にはない素朴な田舎の生活は、他の友達にはない贅沢な体験で、毎年遊びにいくのが楽しみでしたね。私の宝物でした。
中学生になる頃、福岡に引っ越しました。長崎に近くなったのですが、この頃から江島には行かなくなりました。勉強が忙しかったんです。
厳格な父の元、自由はあまりなかったですね。本当は運動部に入りたかったんですけど、体も丈夫でなかったし、運動より勉強をするように言われて、逆らえなかったんです。
その反動もあり、高校ではテニス部に入りました。父は反対しましたが、反抗期だったんですね。
一生懸命運動に打ち込むことで、性格は明るくなりましたし、体も丈夫になったように思います。強くはなかったんですけど、テニスは楽しかったですね。
将来は、早く結婚したいと思っていましたね。女性の幸せは結婚にあると考えられていた時代です。両親もそう願っていましたし、私も何の疑いも持っていませんでした。結婚して、子どもを産んで育てて、習い事でもしながら過ごすことが幸せだと思っていたんです。
それで、学校を卒業してから5年ほど大阪で働き、寿退社しました。
夫の実家は酒屋を経営していて、私たち夫婦も暖簾分けするようなかたちでお店を始めました。酒屋兼コンビニの業態にして、私も毎日お店にでました。
商売なんて初めてのこと。子育ても、家のことも、お店のことも、全部やるのは大変でした。お店は自分がやりたかったわけでもありませんし。それでも、接客・商売のいろはなど、いろんなことを身につけさせてもらいました。