ビジネスとは人の心理を追求すること。豊かさの先にある、理想の実現。

自身を捻くれ者と揶揄するも、時には泥臭く、時には身を削りながら、しっかりと自分の頭で考えて行動し、人生を突き動かしてきた林さん。彼の目指す次のステージはいったいどこにあるのでしょう。お話を伺いました。

林 勇輝

はやし ゆうき|インターネット企業の経営
広告代理、WEB制作を中心としたインターネット事業を運営する株式会社フォースリー代表取締役社長を務める。

自分の頭で考えて動く子供


東京都葛飾区の立石で生まれました。下町情緒の残る、とても庶民的な街です。そんな立石で、父親は工務店を経営していました。ですから私もある意味、自立心の強い子供でしたね。理由もはっきりしないのに、ただ言われたことをやる、というのが苦手だったんです。

たとえば小学校で「ここをテストに出すから全部暗記してきなさい」なんて言われると「それで何の意味があるんだろう」と考え、一人もやもやしているような子供でした。結局、白紙で出して、ひどく怒られましたけど。

小学生の時、野球を始めたのは、周りがみんなやっていて、土日になると遊び友達がいなくなるからでした。それが寂しかったからというよりも、どちらかというと、みんなが経験していることを自分が経験していないのが、どこか悔しかったんですね。親からはいつも「自分で考えなさい」と言われていました。だから子供の時から、常に自分の行動には理由がありましたし、ない時は自分で作り出していたと思います。かわいげのない、面倒くさい子供ですけど。

中学受験は自分から言いだしました。性格は捻くれてましたけど、基本真面目なんです。親から「勉強しろ」なんてほとんど言われたことなかったですから。学校が休みの日は、自分で弁当を作って塾に通ってましたよ。

日大付属中に見事合格し入学してからは、とにかくバスケ三昧の毎日。中学生なのに、高校生のチームに混ざって活躍していました。その時すでに、身長も173cmあり、ジャンプ力も1mくらいありましたから。野球も得意でしたけど、この体格もあって、バスケで自分の身体能力が開花した感がありますね。

「金持ち父さん、貧乏父さん」に衝撃


結局そのまま日大付属高校へ進んだのですが、高校時代から、早く大人になりたいというか、早くお金を稼ぎたいという気持ちがありました。そのためには、早いスパンで成長していかなくてはなりません。進路を自分の頭でしっかり考え、これから先も極力、時間を無駄にしないように生きていかなくては、と思いました。

ですから大学進学を強く望んだわけではありません。どちらかというと、美容師を目指すなりして、手に職をつけたほうがいいんじゃないかと思ったのですが、ただそれが本当に自分のやりたいことなのかどうか確信は持てませんでした。

すると両親から「学費のことは何とかするから、大学へ行ってその4年間で、自分がこの先何をやりたいのか、じっくり考えてみなさい」と言われたんです。私はその言葉に感謝し、じゃあ医学部か商学部か経済学部だな、と考えました。イメージにぴったり合うのは何となく商学部だったので、そんな理由で商学部へ進むことを選びました。

大学生時代は、振り返ってみるとアルバイトばかりしていましたね。ただ問題は通学時間。実家のある立石から日大商学部のある祖師ヶ谷大蔵までは、電車で1時間半もあります。単に電車に揺られるだけでは時間の無駄だと思ったので、本を読むことにしました。お金もなかったので毎日古本屋に寄り、ビジネス書を。中心に読んでましたね。

その中でも自分に深い衝撃をもたらしたのは、ロバート・キヨサキの『金持ち父さん貧乏父さん』です。これを読んで、普段何気なく手にしていたお金のことを、改めて考え直しましたね。そして思い知ったのは、結局、世の中、ルールを作ったやつが一番得をするんだ、ということ。ルールというのは、世の中の仕組みも含めてです。

同時に、日本の教育システムにも不満が出てきました。お金って生きていくのに絶対に必要なものなのに、よくよく考えると日本では「お金の教育」って学校では全然しないんですよね。であれば、自らお金について学び、お金と正しく接していかなくてはいけない。人が作ったルールや企業の中だけで生き、そこを自分の限界と思ってはいけないな、と思いました。

私はこの先の人生、「お金のためだけに時間を使うのをやめよう」と決意しました。目標としては、会社を28歳で設立し、35歳までに年商10億、45歳までには100億にして、お金のために人生の多くの時間を使うことをやめようと考えたのです。

3年生になり、職業選択の時期。私にとっての大学生活というのは、やりたいことを探す時期だったんですが、いまいちはっきり見えてきませんでした。とは言うものの、実家が自営業をやっていて、勤め人をしている親の姿を見たことがないので、と自分が会社に勤めるというイメージが沸きませんでした。

それに採用する会社の立場を考えても「新卒は何にもできないのはずなのに、会社はなぜそんな人材を雇い入れるのか」「学生は学生で、みんななぜどこかに所属することばかり考え、何かを残すということにフォーカスしないのか」そういったことが不思議でなりませんでした。

また私は大学時代大手町でアルバイトをしていたんですが、周囲の社会人から聞こえてくるのはいつも愚痴ばかり。みんなどうして働いているのか、理解ができませんでしたね。それでも、自分だけ就職活動を経験できないのは嫌なので、渋々、就職活動を進めました。結果、数社内定をもらい、その中で一番やりたくないと思った営業を選択しました。もうどうせなら嫌なことをトコトンやってやろうじゃないか、と思ったんです。

捻くれていた頭がまっすぐに


私が選んだ就職先は、ダイビングの会社。街頭でよくやってますよね、スクラッチがついていて、あなたは当たりましたよ、ちょっとお店まで来てください、というやつ。あれをやっていたんですね、私。そしてお店に連れて行くと「ダイビングクラブの契約料80万〜100万です」と言って契約を迫るのです。

これ実は、公共の相談センターの常連でもあります。入社当初はまったく話ができませんで、契約部分ではなく、お客様を店へお連れする役割をやっていました。

ただ、それをする場所が池袋や新宿、渋谷等の駅前近隣。どう考えてもダイビングに興味を持っていて、さらに多額の契約金を払えるような人たちが、少なそうな所です。そこで私は会社に「大手町とかのほうが効率がいいんじゃないでしょうか」と提案したんです。すると周囲から「たかが兵隊営業ごときが生意気だ」とぼこぼこに罵られました。「もうお前みたいな奴はいらない」とまで。

ただありがたいことに、社内に「いらないなら俺のところに異動させて」と言ってくれる上司がいたんです。それは静岡の沼津にいる役員の方でした。私は沼津に異動し、そこで営業のイロハや、どうやったら人の心にメッセージを届けられるか、といったことを丁寧に教わりました。

それを実践すると、これまでが嘘のように、みるみる売れるようになりました。捻くれていた頭もまっすぐになりました。だって、言った通りにしてみると本当によく売れたものですから。ですが、その会社もそれから2年の後に倒産し、なくなってしまいました。

大学時の決意を思い出し、独立


その後、1年ほど、スーパーの店頭でインターネット回線契約のアルバイトをしていましたが、自分の経験を踏まえ「集客さえできればお金になる」ということが分かっていましたので、何とか自分の集客スキルを仕事に活かせないかと考えていました。そんな時にご縁を頂いたのが、当時、非常に伸びていた某IT広告会社です。

最初、仕事は電話営業から入りました。売れるものは何でも売っていた感じですね。いろんな種類のインターネット教材を。ダイビングの営業では即決受注が基本だったので、そこで馴らした私にとってはさほど難しい仕事ではなく、どんどん契約が取れていきました。電話営業だけではなく時には日本各地を飛び回り、四国の山間部のほうにまで足を運んで契約を取ることもありましたよ。

仕事は至って順調でしたが、ふとそんな中、大学時代にした自分の決意を思い出したんです。それは「お金のために人生の多くの時間を費やしてはいけない」ということ。そうだ、そろそろ決断しなければ、と思いました。

そして、28歳になる誕生日の1日前に独立を果たしました。仕事としてはそれまでやっていた会社の仕事と同じで、インターネット広告の販売が中心。やはりその分野の知識なら自信がありましたので。

ですが、大きな看板を失うとなかなか思うようにいかないものですね。最初のうちはまったくうまくいかず、元の会社の業務委託もやっていましたが、生活費もままならない時がありました。

ですから、食べるためにやれることは本当に何でもやっていて、時には危ない橋も渡りましたので、いろいろな社会の方とトラブルに巻き込まれることもありました。精神的にも追い詰められて、体調も崩してしまい、夜も眠れないことが度々ありました。

多くの社員や仲間と理想を実現していきたい


それから徐々に事業は軌道に乗り、現在は何とか経営も安定しています。ですがそんな毎日の中で、ふと虚無感に襲われることがあります。そこで考えるようになったんです、じゃあ私が次に目指すべきステージはどこだろう、と。

そこで自問自答を繰り返し、ようやく見えてきたのは「人の心理を追求してみたい」という気持ちでした。自分は豊かになったが、世の中を見渡すと、ある所ではいじめや差別の苦しむ人もいて、地球のどこかではいつも宗教戦争が繰り広げられたりしています。人がもっと他人に対してやさしい気持ちを持ち、お互いをいたわり合うために、一定の豊かさとは、やはり必要条件なのです。私は会社経営を通し、豊かになることで見えてくる新しい世界があるんだ、ということを多くの人に伝えたいと思います。

経営やビジネスというのは、結局のところ「人の心理を追求する」ということです。私自身もまだまだ未熟なのですが、これまで私自身が数々の経験の中で見てきたこと、感じたことが、今の私の血肉となり、アイデンティティを支えています。私と全く同じ経験をみんなにして欲しいとは思いません。しかし今こうした立場にある私が、これから社会に挑戦していく若い人たちに提供できるものが必ずあるはず。私にとって社員とは、言わば、一緒に人の心理を追求していく仲間のような存在です。

現在、当社では、社員にとってこの会社で働いたことがアイデンティティだと思えるような、そんな環境作りに力を入れています。うちは未経験者の採用に対して、非常に積極的です。私みたいに人生のタイミングと歯車がうまく噛み合わなず、思った通りのレールに乗れなかった人に、決して人生はそこで終わりではない、ということを伝えていきたいからです。

ビジネスは「人を集めることさえできれば、どんなことでも商売できる」と思っています。ですから将来的には、様々な業種で子会社を作っていきたいと考えています。インターネットは人の欲望が集まっていると同時に、無限の可能性を秘めていますから。

様々な業種を取り揃えて、それらを掛け合わせてさらなる相乗効果を生むような、そんな循環が生まれたら素晴らしいですね。芸能事務所をやるのも面白いですし、クリーニング事業をやっても面白そうです。ゼロ円ホテル、なんてのもいいですね。アイデアはいくらでも出てきます。

しかし何でもそうですが、「志」がなければ、人に対して何も届けることはできません。私は社員には常々、「まずは自身の夢ややりたい事を一つでも多く実現しよう。」と言っています。自分のもらう給料分の収益は上げてもらうように。自分さえ満たすことができないのに、他人へ価値なんて提供できませんからね。これからも社員、クライアント、取引先を始め、弊社に関わって頂く多くの方々の「意思」を実現できる環境を、整えていきたいと思っています。

※インタビュー:松岡 佑季

2016.08.31

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