母国と何も変わらぬ生活を、異国の地でも。外国人のインフラ、「ビザ」に込めた想い。

【日本アイ・ビー・エム提供:オープン・イノベーションを生み出すエコシステム特集】在日外国人に向けたビザの申請書類作成・代理申請サービスを運営する岡村さん。日本とペルーのハーフとしてペルーに生まれ、幼少期から日本で暮らすことに。大学卒業後、入国管理局の現場責任者として働いていた岡村さんが、ビザを取り巻く問題を解決しようと独立を決めた背景とは。

岡村 アルベルト

おかむら あるべると|ビザの申請書類作成・代理申請サービス
株式会社Residenceの代表取締役を務める。
Residence
※この特集は、日本アイ・ビー・エム株式会社の提供でお届けしました。

ペルーから日本へ


ペルーのアレキパという街で生まれました。日本でいう大阪のような、ペルー第二の都市です。父が日本人、母がペルー人で、幼少期に日本に引っ越しました。

初めての日本はすごく新鮮でした。大きなおもちゃ屋さんが家の近くにあって、衝撃を受けました。建物が丸々1棟おもちゃ屋なんて、南米ではありえないので、ワクワクしましたね。

住んでいたのは大阪の下町で、僕たち以外に外国人はいませんでした。孤独でしたね。初めて小学校に行った時、『タイタニック』のレオナルド・ディカプリオのようなオールバックの髪型で登校したんです。南米の小学校ではみんな同じような髪型だったので、僕はそれが当たり前だと思っていました。でも、日本の小学校ではそんな髪型の子はいない。しばらくその髪型を続けていたんですけど、段々僕だけ違うのは嫌だなと思うようになり、やめました。そもそも周りの子で櫛を使っている人すらいなかったので、「なんでみんな櫛で髪をとかないんだろう」と不思議でしたね。細かいことですが、至る所でそういうペルーと日本の違いに対する違和感がいっぱいあったんですよ。時にはいじめられたり喧嘩をしたりすることもありました。

日本に来て以来、外国で暮らす大変さをよく感じました。特に大変だったのがビザの手続きです。両親が色々な書類を集めて、僕も一緒に入国管理局に行って、長時間かけて手続きをするんですよね。子供の頃からそれを見ていて、大変そうだなと思っていました。

周りでもビザで悩む人は多くいましたね。小学校の時に親ぐるみで仲が良かった子がいて、すごい僕に似てる子だったんですよ。双子みたいに見た目がすごく似ていて。彼の両親は両方ペルー人で、同じ国籍ということもあって結構仲良くしていました。

ある日、その友達に最近会わないなと思って僕のお母さんに聞いてみると、「ビザが継続できなかったみたいで、南米に帰っちゃったんだよね」と言われました。僕たちが遊んでいた時も、入国管理局とのやりとりでそれなりに苦労していたようでした。

最初は、「仲が良い友達がいなくなっちゃった。せっかく頑張って作ったのに」という気持ちが強かったですが、中学高校と年齢が上がるにつれて、もしその時僕にビザの知識があったら、彼らが日本で暮らし続けることが出来たんじゃないかなと思い返すようになりました。自分の中にモヤモヤした思いが残りました。

高校生の時、日本に帰化しました。母方の家系に経営者が多く、父も独立していたため、自分も将来は自分で何か事業をしたいと考えていました。卒業後地元の神戸にある私大に進みました。少人数制で実践的なカリキュラムの大学でしたね。

就職活動での運命の出会い


大学時代は勉強に力を注ぎました。毎日大量の宿題が出て、みんな夜11時まで学校で勉強するような環境で、大変でしたね。産学連携の一環で、企業の課題に対して生徒がソリューションを考えてビジネスプランを提案する、という形式の授業も多くありました。色々なビジネスプランを考えながら、並行して将来自分がどんな事業をするか考えていきました。

その中で、飲食店のメニューを無料で英語・中国語・韓国語に翻訳するビジネスプランを思いつき、卒業論文のテーマとしました。卒業後はそのプランを実際のビジネスでも実現したいと思い、就職活動を通じて、様々な企業に新規事業として提案して回りました。独立の前に、まずはどこかの会社で色々と知見を吸収しながら資金を貯めようと考えていました。

その中で、ある会社からビジネスプランを面白いと言ってもらい、内定をもらいました。待遇も環境も良く、その会社で働こうと決めました。

そんな時、ふとしたきっかけから求人サイトで「スペイン語」と検索した時に、入国管理局の業務を担当している企業の新卒採用ページを見つけました。

運命を感じましたね。まず、入国管理局の運営母体が公共から民間に移行したことに驚きました。すごく可能性を感じたんです。以前は公務員の方が窓口対応をするので、日本語でしか相談ができませんでした。もし民間運営になったら、他言語に対応できる社員が採用され、外国人が母国語で相談できるかもしれない。他にも、民間だからこそ色々なチャレンジができるんじゃないかと思ったんですね。入国管理局で働くチャンスがあれば、そこで学んだことを活かして、ビザの問題に何かしらの形で変化を起こせるかもしれないと思いました。

取り組むなら今だと思い、すぐに選考を受け、内定をもらいました。

先に内定をもらっていた会社とどちらに行くか悩みましたが、最終的には入国管理局で働くことに決めました。入国管理局でビザの環境改善に関わった方が、この数年で自分が社会に対して起こせる変化が大きいし、自分の個性が生きる感覚もありました。

ビジネスでは似たサービスが沢山出てくるので、一番の競争優位性は他社に真似できない部分にあります。じゃあそれは何かというと、創業者の想いとか、何故やるのかという背景だと思うんです。僕が卒論で書いたサービスと、ビザに関する事業を比較した時に、ビザのほうが絶対に自分の想いが乗せられると感じたんです。

入国管理局で感じた課題


入社後、品川の入国管理局で働きました。最初に窓口に立った時は何も分かりませんでした。外国人の方が苦労して記入した書類を確認する、責任の重い仕事。不安を越えて恐怖に近かったです。毎日必死に勉強しました。

働き始めてみて、ビザの手続きがすごくアナログなこと、つまり手作業が多いことに課題を感じました。「ここをもっとこうしたら全然受理スピード上がるのに、なんでしないんだろう」ということが沢山あって。ちゃんと取り組めば、改善の余地しかないのに何で実行しないんだ、という怒りに近かったです。色々提案もしましたが、全部却下されて、すごく悔しかったですね。

そんな悔しさの一方で、受理した後に、外国人の方から「ありがとう」と言われることは大きなやりがいでした。

入社後4ヶ月で受付窓口の現場責任者になりました。新卒1年目で、現場の年上の部下をまとめることに苦労しましたが、責任者の会議にも参加するようになり、ビザについて深く理解できるようになっていきました。

入社後1年程働いたタイミングで、独立を決めました。入国管理局に入社した頃は、漠然と「簡単にビザを取れるサービス」を作ろうと考えていたのですが、1年働き色々と現場で経験する中で、課題が明確になりました。

入国管理局の手続きでは、書類が不備なく作成できていれば、入国管理局窓口での確認は1分もかかりません。ですが、そもそも外国人の方が不備なく申請書類を作るのは大変です。

日本語で書類を作るという難しさに加えて、例えば、アルバイトを「資格外活動」と記載しなければいけない、というお役所的な表現に苦しむ人が多いんです。

公文書なので、記載する形式は簡単に変えられません。ただ、書類の記載方法についての説明文はいくらでも変えることができます。web上で、外国人居住者の母国語で、簡単に申請書類の作成ができるサービスを作ろうと決めました。

入国管理局で働く中で、僕が想像していたよりずっと多くの人がビザの取得手続きで困っているのを目の当たりにしたことで、独立のタイミングが早まりました。記載方法を理解できずに必要な書類を作れない。書類を作れないがために、母国に帰らなければいけない人がたくさんいました。

今後、日本で暮らす外国人の方はすごい速度で増えていく。ビザの手続きで困る人がもっともっと増えてくる。今しかないなと感じましたね。

母国と変わらぬ生活を異国でも


2015年9月に株式会社Residenceを立ち上げ、現在は、ビザの申請書類をwebで簡単に制作できるサービス『Residence』を運営しています。

『Residence』を使っていただくと、web上で、母国語で書類を作成でき、これまで6時間ほどかかっていた申請作業を最短約10分に短縮できます。

費用も、行政書士に手続き代行を依頼すると10万円ほどかかるのに対し、『Residence』では利用料の3千円〜です。既に500名以上の外国人の方にご利用いただき、法人契約は30社を越えました。

日本に暮らす外国人の数は急速に増えています。6年後には、働き盛りの世代の30人に1人は外国人になると言われています。ビザの申請書類作成・代理申請サービスを通じて得られるユーザーの情報をもとにして、収益性の高い他のサービスも提供していきます。直近では、外国人の方に向けたお仕事紹介の事業を始めます。

自分自身の個人的な感情として、ビザの申請書類作成や代理申請サービス単体では儲けてはいけないという気持ちが強いです。

外国人の方は、従来であればビザの申請代行に対して10万円もの高額を払っています。ただ、僕の中での適正価格は3千円程度なんです。書類を集めて出すだけであれば交通費くらいが妥当だろうと思うし、ビザは外国人にとってのインフラのようなもので、日本人で言うと光熱費と一緒なんですよ。水道代に毎月十万円なんて払わないですよね。生活するために必要なものなのに、申請代行でそんな高額をもらうのはちょっと僕は間違っていると思っていて。別に嗜好品じゃないんだから、個人的な楽しみのために払うものでもない。インフラとして払える費用の水準まで価格を落とす必要があるなと思っています。ビザの種類によっては3千円まで価格を落とせていない種類もあるため、これらのビザをいかに効率よくし、値段を抑えれるかがこれからの課題だと思っています。

僕のサービスを使って実際にビザが取れた時に、けっこう皆さん感謝をしてくれるんです。それが素直に嬉しいです。オーバーに言うと、彼らが日本にいる権利を与えているみたいなところがあるじゃないですか。そのことを感謝してもらえて、頑張れている気がします。

将来、僕はアジアをEUみたいにしたいと思っています。EUには国境という形はありますが、どこに行くのにもどこで働くのにも、何の申請もいりません。それって自由ですごくグローバルで、素敵な仕組みだと思うんです。

政治上の観点も含めてアジアでEUのような仕組みを短期的に築くのは難しいと思いますが、この『Residence』を通じて近い環境を作れると思っています。

例えば、電車の切符のように、お金を入れてボタンを押したらビザが取得できる。自分の個人情報を入力するだけで、行ける国が全部PCの画面に出てくる。その国に移住した場合の自分たちのステータスが一目で分かる。母国でいるのと何も変わらない生活を異国で送ることができる。

そんな環境を実現できたら、幸せだなと思います。

2016.04.13

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