「時代を越えて残る」ものづくりを。面白いと思うことを信じて、再スタート。

【日本アイ・ビー・エム提供:オープン・イノベーションを生み出すエコシステム特集】オートバイの運転中に視界に地図を表示したり、天気の変化を通知したりできるデバイスの開発を行う勝呂さん。高校卒業後、2年間のフリーターを経て、アメリカの大学に留学。 日本での就職、35歳での独立を経て目指す、時代を越えて残るものづくりとは。

勝呂 裕邦

すぐろ ひろくに|オートバイのヘルメットに装着するスマートデバイスの開発
トライミール株式会社の代表取締役を務める。
TRi-Meal
※この特集は、日本アイ・ビー・エム株式会社の提供でお届けしました。

高卒フリーターからのアメリカ大学留学


東京都板橋区で育ちました。小さい頃から自動車やオートバイに興味がありました。ミニカーで遊ぶのが好きで、将来は車やオートバイに関わる仕事がしたいと思っていました。子供心にかっこいいなと、純粋に憧れていました。

地元の中高に通い、高校の頃はアルバイトに夢中でした。勉強はあまり熱心ではなく、アルバイトが楽しくてコンビニやファストフード店で働きました。高校卒業後はアメリカに留学しようと決めていました。8歳上の兄がアメリカのカリフォルニア大学バークレー校に留学していた影響があります。兄からは「自動車に関わる工学部に行きたいなら、カリフォルニア大学はいい大学だよ」と言われていました。親が日本で外国人留学生向けの語学学校を経営していて、小さい頃から身近に留学生が多く、留学は自分にとってありふれた選択肢の一つでした。

「高校を卒業したら俺はアメリカにいく」と親に伝えると、うちにそんなお金はないと言われ、フリーターになって、アルバイトで貯金してから留学することに決めました。フリーターになることに抵抗はありませんでしたね。どうにかするか、諦めるかの二つしか選択肢がない。諦めたくないから、自分でどうにかしようという感じです。

高校を卒業してから2年間、朝から晩までアルバイトをして留学資金を貯めました。2年は長かったですが、自分にとってはそれが当然の道でした。自分で決めた目標のために必要なことだから。決めた以上は進むしかない。迷うんだったら最初からやらない。そう考えていました。

資金が出来てカリフォルニア州の地方都市に渡り、ホームステイをしながら現地の語学学校に通いました。日本で英語を全く勉強せずに留学したので、話す英語は意味不明な「I am a pen.」の状態です。最初にホームステイ先に行った時に、ホストファミリーの英語が全く理解できず、「こんなん絶対わかんねえよ」って思いましたよ。何言ってるか分かんねえよって。笑っちゃうくらい何も分からなかったです。その時は、十年経っても英語なんか絶対分かんないだろうなって思いました。インターネットもまだあまり普及しておらず、海外で右も左もわからない。英語の参考書もなく、薄い辞書2冊とノートと着替えだけで、ボストンバッグ一つで行ったんですよ。どうにかなるだろうと思って。現地に着いて、あれ、失敗したかなと思いましたが(笑)。

留学した当初の心境としては、興奮状態に近いですね。おお来ちゃった来ちゃった、でも英語も話せないし帰れねえや、どうにかしなきゃって。前に進むしかない。止まっていても生きていけない。

悩んだり落ち込んだりして状況が改善するのであれば、いくらでも悩む。でも、止まっていても何も改善しない。そしたらもう、どこかでパッと切り替えるしかない。じゃないと何も変わらない。

中学英語すらままならない状態からカリフォルニア大学バークレー校への入学を目指して勉強を始めました。

アメリカでの挑戦と失敗


語学学校から地元のカレッジに入学し、編入という形でカリフォルニア大学バークレー校を目指すことに決めました。工学部を志望していたので、数学や物理の成績はオールAが求められます。とにかく必死で勉強しました。高校であまり勉強しなかった分、かなり大変でした。英語が出来なくて友達も少ないし、お金もない。やることがないから勉強に打ち込む、というところもありましたが。

カリフォルニア大学への編入に関わる授業では、なんとか全てAを収めることができました。エッセイやTOEFL等の選考も通過し、編入試験に合格することができました。「おお、まじかまじか!」と嬉しかったですね。ただ、その後しばらくして、カレッジの最終学期の成績を提出してほしいという連絡が来ました。英文学、歴史等の一般教養など、興味がなくて苦手な教科は最終学期に回していたため、ほとんどC評価で、単位取得の最低ラインの成績だったので焦りました。不安に感じながら成績書類を提出すると、入学2週間前のタイミングで「合格取り消し」の通知が来ました。

「おお、やってもうたな」という感じでしたね。本当に「やってもうた」です。単位は一回取ったら取り直しができません。単位を落としてしまった訳でもありません。成績(GPA)が確定してしまうので、浪人して再チャレンジ、という制度もない訳です。その時点でカリフォルニア大学に入るというチャンスはおしまいなんですよね。一発勝負に失敗してしまい、「ああやってもうたな」と。

結局、カレッジを卒業して住んでいた地元の四年制大学に進みました。ただ、どうしてもその学校が好きになれず、1学期で別の大学への編入を決意しました。そこはどちらかというと工学部よりも農学部が強い大学だったからです。

春学期からは、シリコンバレーのサンノゼにあり、工学部に力を入れているサンノゼ州立大学に通いました。新学期開始前の3日前に工学部の学部長にアポをとって直談判し、登録もないまま授業に潜り込み、特別に後から編入学手続きを経て入らせてもらいました。はじめは家も借りられない状態だったので、モーテルで暮らしながら学校に通いました。シリコンバレーは最初の地方都市とは全く環境が違いましたね。周りには創業間もないグーグルやアップルのオフィスがあり、刺激的な雰囲気がありました。

日本での就職を経て35歳で起業


大学を卒業した後は、日本に戻り就職することに決めました。2002年のシリコンバレーのITバブルが弾けたタイミングで、市況的にシリコンバレーで働くには博士号か数年の職務経歴が必要でした。既に27歳になっていたので、大学院に進んで29歳まで学生を続けることに抵抗もあり、日本で仕事を探しました。

日本での就職活動は楽ではなかったです。27歳既卒ではほとんどの会社で応募すらできず、中々決まりませんでした。若干の焦りを感じつつも開き直り、就職活動と並行して1年間警備員などでアルバイトをした後、自動車の試験機を設計製作している会社に就職しました。

設計開発のエンジニアとして働きました。仕事は本当に面白かったですね。自分たちがゼロから開発したものが動くことにすごく感動しました。スタートが遅かった分、同期新卒の3倍のスピードで仕事を吸収しようと心掛けていました。会社に泊まり徹夜で仕事をする事もありました。また、個人の裁量がかなり大きい会社で、ものづくりに幅広く携われ、色々と経験できるのも良かったです。

ただ、ずっと同じ会社に勤めるイメージは持てず、将来はどこかで起業しようと考えていました。親が自分で事業をしていたので、起業は自然な選択肢でした。将来の起業のためにもう1社違う環境を見てみようと思い、今度はドイツ系外資の、車のトランスミッションメーカーに転職しました。

そこは従業員が全世界で10万人いるような大企業で、仕事は前の会社とは違い細分化されていました。個人としてもスペシャリストを志向して働くようになりました。起業に向け、この会社が最後だろうなと感じました。仕事をしながらビジネスモデルを考え始め、転職して4年経った35歳のタイミングで事業内容を固めて独立を決めました。

働きながらどういう事業をやるか色々考え、料理の献立作成サービスに決めました。毎日の献立に悩む主婦をターゲットにした、人数・予算・好みの条件等をもとに、簡単にオリジナルの献立を作成できるサービスで、『献シェルジュ』と名づけました。

キッカケはちょっとしたひらめきでした。外食が多かったんですが、同じ料理でも店が違うと味が違う。それが面白いなと。

グーグルやクックパッドで献立を検索する時、同じ検索キーワードで調べると、出てくるレシピは毎回同じです。ただ、食べ物って毎回違うものが食べたいんじゃないかと思ったんです。前回と違うレシピを探すにはユーザーの方で検索の仕方を工夫しなければいけない。じゃあ、前回と同じ検索キーワードなのに、違うレシピを表示したらどうなるだろう、と考えたのがサービス開発のキッカケでした。

自分自身をターゲットに再スタート


会社を始めてみて、資金や人材の問題に苦しみました。webサービスを作るためのエンジニアの採用や、献立のコンテンツ制作にお金がかかります。著作権の帰属先など、取り組んで初めて見つかる課題もありました。苦しむだろうなと思いながら独立して、想像通り、めちゃくちゃ苦しみましたね。

ターゲットとなる主婦が日々何を考えているかを掴むのにも苦戦しました。「人」って難しいなと思いましたね。僕が設計開発のエンジニアになった時に、最初に上司から言われたのが、「技術者は感覚で動くな」ということ。技術者は全ての行動に理由を付けろ。全ての物事には理由があると叩き込まれたんです。

ただ、それがBtoCのウェブサービスになると、相手が人間なんで、生ものなので、全てがきっちりとした論理で説明できないんですよね。ものと違って、人は、それこそみなさん環境が違えば考え方も違うじゃないですか。色々なアンケートのデータをとって、手をかけてどういう心の動きをしているか調べてみても、結局は表面的なデータなんですよね。主婦の方々が何を考えているか深く知ることはすごく難しいなって思いました。

2年ほど事業を続けたタイミングで、今後の方針を考え直しました。

開発費や、献立のコンテンツ制作やらで、お金がどんどん毎月なくなる。コンテンツが十分揃うまで予想以上の資金が必要でした。このままずっと開発を続けながら会社を運営していけるだけの資金がある訳でもないですし、企業に広告などの営業を仕掛けるにしても、利用者が多くない状態では成約は厳しい。じゃあどうしようかなという時に、この事業を続けるのがいいのか、それとも別の事業に変えるのがいいのか迷いましたね。やっぱり仲間と一緒に時間とお金をかけて立ち上げた事業ですから、今までのようにスパッと割り切れなかったです。散々悩みましたが、最終的には『献シェルジュ』を一度停止して、他の事業に取り組むことに決めました。

その時点では次に何をしようか、具体的には決まってませんでした。ただ、今度は、前と違い自分に近いユーザー層を想定しようと思いました。前は自分から遠い「主婦」のためを考えていましたが、次は自分自身をターゲットユーザーとし、純粋に自分が欲しいと思うものを作ろうと思いました。自分が欲しいんだったら、自分と同じような属性の人も欲しいだろうと。

次のテーマに選んだのはオートバイでした。小さい頃から好きだったオートバイの領域で、ものづくりの経験と技術を活かした新しい製品を作ろうと決めました。

次の世代に残る何かを


現在は、トライミール株式会社の代表取締役として、オートバイの領域での新規事業を開発しています。現在取り組んでいるのは、スマートヘルメットキットという新製品の開発です。既存のオートバイ用ヘルメットをスマートヘルメットに拡張するキットとなります。これはスマートフォンと連動しており、ヘルメットに装着することで、オートバイに乗りながらインターネット通信を行うことができます。

オートバイに乗っている時に、道に迷うことがあります。従来は、一旦バイクを止めて、地図を確認しなければいけませんでした。我々が開発する製品を使えば、ヘルメットの中につけた小型ディスプレイで、運転中でも、視界の右下に地図の映像を表示させることができます。

他にも、雨雲を予測して急な雨に備えたり、運転中も複数人で会話ができる機能なども準備しています。現在はプロトタイプの開発中で、年内には製品の販売を開始するのが目標です。

新しい事業を始めて、以前と考え方が大きく変わりました。今までのような細かいリサーチに費やす時間が減りました。自分から遠いユーザーの「誰か」ではなく、「自分」がどういった機能が欲しいか、逆にどういった機能がいらないかを大切にしています。今までは、擬似的に自分とは違う利用者の立場になって色々考えたり、ユーザーアンケートのデータから分析をしていました。

前の事業では色々なマーケティング会社のデータを片っ端から全部見ていたんですけど、今回は、競合や類似製品があるかどうかを調べたくらいです。どんなプロダクトを作るかは、各種のデータよりも自分の感覚により比重を置いている感じですね。

自分がおもしろいと思うことは大切だと思います、何よりも。今までは「ビジネス」を作ろうと考えていたんですが、今は純粋に自分が欲しいものとか、自分が面白いと思うものを作ろうと考えるようになりました。それでも技術畑上がりなので、「これはなぜ面白いのか、なぜ必要なのか」と頭の中で自然に理由を考えてしまいますね。自分が楽しいと思うことは、何よりのモチベーションになります。この楽しさが製品を通じて他の人へ伝われば、と思います。

これからもずっと、何かを作り続けていきたいです。作ったものを今すぐにでもヒットさせたい、というよりは、作ったものが次の世代を前に進めるキッカケになればいいなと思います。人ってどんなに頑張ったって100歳そこそこしか生きられない。でも、人が作ったものは時代を越えて残るわけですよね。自分が有名になるとかじゃなくて、自分の作ったものがキッカケとなり、社会がどんどん進化していく。

一番素晴らしいのは、未来に何かを残すことだと思うんですよね。自分が生きていた証拠として、時代を越えて残るものを作る。何か大きな偉業を達成して歴史に名を残すというよりか、次の人たちのために小さくても何かを残すほうが素晴らしいなと思います。

イメージしているものとしては、例えば、ネジが分かりやすい例です。歴史上、誰がネジを発明したのかはっきりとは判明していないんですよ。でも、ネジがないと今の世の中何も成り立たないんです。パソコンだってスマホだって、車も飛行機もロケットも、どの製品も全て成り立たない。誰が作ったのか、いつ生まれたのかも正確にはわからないですが、最初に作った人は最高にカッコいいなと思いますね。

「自分が面白いと思うものづくり」を続けて、そんな風に時代を超えて次の世代に残るものをいつか生み出せたら、光栄というか最高に名誉なことですよね。

2016.04.12

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