「地方」から、スマート農業の実現を。農業嫌いだった僕の、農業ITでの挑戦。

【日本アイ・ビー・エム提供:オープン・イノベーションを生み出すエコシステム特集】農業にITを取り入れ、「スマート農業」の実現を目指す下村さん。米農家の長男として生まれながら、農業は大嫌い。IT業界で働いていた下村さんが、なぜ農業に戻ってきたのか。お話を伺いました。

下村 豪徳

しもむら かつのり|農業ITの普及
株式会社笑農和の代表取締役を務める。
株式会社笑農和
※この特集は、日本アイ・ビー・エム株式会社の提供でお届けしました。

米農家にゴールデンウィークはない


富山県の中新川郡立山町で生まれました。立山連峰の麓の町です。おとなしい性格で、テレビゲームが好きな子どもでした。

家が米農家だったので、休みの日は田んぼに借り出されていました。特に、5月のゴールデンウィークは田植え真っ盛りの時期なので、毎年、友達が遊んでいるのを横目に、農作業の手伝いをしていました。文句はありつつも、そういうものと思っていましたね。

それが、小学校3年生か4年生の頃に、友達に家にネズミが出ることを馬鹿にされてからは、農業がすっかり嫌いになってしまいました。昔は、田んぼの周りはもちろん舗装されていないですし、家の前の道路もアスファルトじゃなかったんです。普通に、もぐらとか亀が田んぼの中から出てきていましたし、ネズミもいました。米があるところにネズミは必ず出ます。

家にネズミが出ることを友達に話したら、「お前んちネズミいるの。ダサい」と馬鹿にされたんですよね。その時、他の家にはネズミはいないんだと初めて知って、驚きましたね。ダサいと言われたのが嫌で、なんでうちには田んぼがあるんだろうとか、田植えを手伝ってゴールデンウィークも遊べないとか、不満が募っていきました。

中学2年生の時に、漫画のキャラクターの影響で、エレキギターを始めました。独学で学んでいたのですが、3年生の時に初めてバンドを組んで、自分はギターを全く弾けていなかったことが分かりました。音がちゃんと出ているかも分からず、何となく弾いていただけだったんですね(笑)。ちゃんと弾けるようになりたい。そう思い、高校生になってからはギタースクールに通いました。

頭の中にあるものを形にする楽しさ


高校生活はバンド一色で、ギターの練習に明け暮れていました。ひとつのことを始めると夢中になるタイプで、長い時には1日10時間位ギターを弾いていましたね。

18歳の時に、バンドコンテストで全国大会に出場しました。富山大会を勝ち抜き、県代表として全国大会に出たことで、大きな自信になりましたね。

高校卒業後は音楽スクールに行こうと思いましたが、実際に学校に見学に行った時に違和感を感じてしまいました。毎日の授業がびっしり組まれたカリキュラムを見て、「音楽って、本来決まった形があるものじゃないよな」と疑問を持ちました。かっちりと練習して、音楽を職業にすることがピンとこなかったんですよね。

音楽は趣味で続けることにして、地元の短大に進学しました。学科は「情報専門学科」です。名前に惹かれて入りました。入学前は何を勉強するのか全く知らなかったのですが、プログラミングを始めると、すぐにハマりました。

数行のコードを書くだけで頭の中で描いたものを形にできるのが楽しくて。こんなに面白いものはないと思いましたね。世の中で広がり始めたばかりのインターネットにも夢中になりました。

卒業後は、富山のIT企業に入りました。プログラマーとして働きましたが、すぐに窮屈さを感じました。学校では比較的新しい技術を習っていたんですけど、会社の仕事は製造業向けのシステム開発だったこともあって、昔ながらの古い技術が使われていたんです。できることが少ない上に、先輩から書き方も細かく指示されてしまって。プログラミング自体は楽しかったんですが、制限があるのは窮屈で、淡々と仕事をこなしていました。

数年経つと、プログラマーからシステムエンジニア(以下:SE)になりました。SEになるとお客さんと話すことが増え、お客さんが求めているものを作れていると肌で感じられて、仕事が楽しくなりました。

ある時、お客さんから、会社ではやっていない仕事を個人で受けて、簡単なWEBシステムを作りました。本当に簡単なCGIシステムを納品しただけなんですけど、すごく喜んでもらえて。会社の仕事よりも、個人の仕事の方が、お客さんからの感謝がダイレクトに伝わる。嬉しくて、会社で働きながら、個人事業でシステム開発の受託もするようになりました。

ちょうど、「週末起業」が流行っていた時代でした。社会の雰囲気に影響を受けたこともあって、いつか起業したいと考えるようになりました。

1年8ヶ月続いた売上ゼロ期間


7年程SEとして働いた後、営業に異動になりました。「ソリューション営業」という言葉が流行り始めていて、技術の分かる営業担当者が求められ始めたんです。他社が開発したシステムのパッケージを、お客さんのニーズに合わせた形で導入する仕事でした。

在庫削減シミュレーションのシステムを担当したのですが、1年経っても全く売れませんでした。「そもそも技術者に営業なんて無理だ。早くSEに戻りたい」と思っていましたね。

営業になって2年目の時に、調達管理システム(SCM、WebE-EDI等)に担当を変更しました。営業に来る前の数年間、自社の調達部の業務システムを担当していたので、調達業務の内容やシステムはよく知っていました。自分が知っている業務ということもあって、営業を始める前に、パッケージについて、メーカーに細かく質問したんですよね。結果、かゆいところまで手が届く良い製品だと分かりました。

商品の良いポイントをお客さんに説明できることがプラスに働いて、成約につながりました。1個目が売れるまでに8ヶ月ほどかかったのですが、ひとつ売れたら導入事例ができます。事例を話せるようになると話が早くて、どんどん売れるようになりました。

技術的なことが分かるので、営業先で出てくるマニアックな質問にもその場で答えられます。また、カスタマイズした時の費用感も分かるので、コスト追加が見合わないと思えば、既存のパッケージでできる運用を提案しました。お客さんは余計なコストを支払わずに済むので、喜んでくれました。

売れるコツが分かり、営業に来て4年目には、10人ほどいたメンバーの中でトップになりました。2年目までほとんど売れなかった分の負債を、何とか返せたかな、という気持ちでした。

自信がつき、別の商品の販売も始めようとしていた矢先、リーマンショックが起きました。私が勤めていた会社は、大手製造会社の子会社でした。リーマンショックによる環境悪化を受けて、親会社がリストラを行い、私のいたシステム会社をたたんで、本社の電算部門に吸収する可能性が出てきました。

私たちは、親会社のシステム開発だけでなく、外部のお客さんを相手に商売をしていました。会社が潰れてしまったら困るのはお客さんです。お客さんへの責任を果たすため、私も含めて外部顧客の営業チームは、別の会社を作ることにしました。

自立した農業経営のために


新しい会社では、引き続きパッケージシステムの営業をしつつ、新規事業開発もやりました。当時先駆けだった3Dプリンタ関連の事業を検討しましたが、なかなかうまくいきませんでした。収益を支えていた既存事業も縮小していき、結局、会社は解散となりました。

会社の解散が決まった時、独立することに決めました。昔から独立願望はありましたし、挑戦するならこのタイミングだと思ったんです。不安もありましたが、漠然とながら自信もありました。

IT分野の中で、どんな事業をするかを考えました。経験のないゲームやWEB系のビジネスではなく、それまでやってきた仕事と同じ、現場に近い所で業務改革をするビジネスを検討しました。

どんな業種かを考えた時に、農業に目が向きました。実家の農家は弟が継いでいたのですが、お金周りの管理を手伝っていたので、商売がうまくいっていないのを肌で感じていました。農業の分野で何かできることがないか。実家の課題だけでなく、農業全体を一度客観的に見てみることにしました。

業界の構造を調べるうちに、農業全体の中でも、流通に課題があることを目の当たりにしました。収穫した米をJAに販売して流通に乗せてもらうだけでなく、農家自ら消費者に売ること、直売をしなければと感じました。

消費者や小売への販売をJAに依存している限り、経営権をJAに渡しているのと一緒なんですよね。農家で作れる米の量は決まっているので、JAが米の値段を決めた瞬間に、その年の売上が決まるわけですよ。売上をJAにコントロールされているのと変わりません。

また、全てをJAに販売していたら、米の品質が農家の売上には関係なくなってしまいます。自分が作ったお米がどういったお客さんに届いているか分からず、お客さんの喜ぶ顔が見えないので、売れることがモチベーションに繋がりません。

農業には、色々とメスを入れられそうだと感じました。しかも、「食」は絶対になくなりません。流通から始めて、農業をIT化する事業に取り組もうと決めました。

最初は、直販するための顧客管理システムが必要だろうと、システムの営業をやりました。ところが、農家さんにシステムを営業するのは、難しいことでした。想像していたよりもさらにITに疎くて、営業に行っても、「パソコンを売りに来た」と思われるんですよね。

システムを導入できるほど利益が出ていない農家さんも多く、システム導入よりも、まずは販路を作って利益を拡大することが求められていました。米の直販をしている実家のノウハウを活かして、直販の代行を始めました。販売面で農家さんとの接点を作った上で、IT活用のセミナーや講習をするようになりました。

4時間を5分に短縮する仕組み


現在、私の経営する株式会社笑農和では、農家の販売支援、IT支援などを行っています。富山の農家のほとんどは米農家で、お米の直販支援が中心です。

お米は、商品ごとの個性が出にくく、差別化しづらい商品です。商品だけでなく、商品に込めた作り手の想いや、商品の背景にあるストーリーを知ってもらうことが大事です。消費者の方には、農家と会話をする機会を作るだけでなく、一度田んぼに来て、どういう米作りをしているか体験してもらうようにしています。

一度見てもらえば、作り手ごとの田んぼの違いが分かるんですよね。例えば、田んぼでタニシやカエル、ホタルや野鳥といった生き物が生きている姿を見てもらうんです。多くの田んぼで、近頃全く生き物を見かけません。土地が薬漬けになって死んでいるので、生き物が生きていけないんですよね。それが、有機栽培や、無化学肥料、無農薬を使用している田んぼには生き物がいますし、稲の茎の太さなんかも明らかに違うんですよね。そういうのを見てもらえれば、「ここのお米を買いたい」と思ってもらえます。

そういう作り手ごとのお米の違いを、実家のお米や支援している農家さんのお米で伝えています。また、農家さんとのつながりができてきたので、農業ITの新規事業も準備しています。

農業ITの新規事業として考えているのは、田んぼの水の管理をIT化するシステムです。米作りでは、田植えや刈り取り、精米などは機械化されています。ですが、田植えから収穫までの時期に中心の仕事になる、田んぼの水の管理はまだ手動なんですよね。

田んぼの水がある程度減ったら、水門を開いて水を入れます。冷たい水の方が良いので、朝水入れをやります。その水門の開け閉めを、手作業でしているんです。

農家では高齢化が進み、高齢を理由に農業を引退する人が増えています。労働人口が減った分、ひとりあたりが見る田んぼの数が増え、田んぼごとに車で移動しながら水門を開けていくのですが、水入れだけで3,4時間かかることもざらです。もちろん、ある程度水が溜まったら締めなければならず、開け閉めだけで日が暮れてしまいます。

新規事業として考えているのは、この水入れを、ITの力で自動化するというものです。水門に機械をつけて、スマートフォンやPCからの操作で、水門を開け閉めできるようにします。何時間もかかっていた作業が、たった5分で終わるようになります。しかも、これまで水を入れるタイミングが微妙にずれて、水温が変わり品質が安定しなかったものを、水温を一定に保つことができます。

最初は水温と水位を測るセンサーだけのシンプルなものからスタートして、将来的には地温や水質、ミネラル成分などのデータを取れるようにして、品質改善のフィードバックができるようにしていきます。さらに、ドローンを使って地表からのデータを取るなど、「スマート農業」を進めていきたいですね。

農業って、生産者だけで完結するわけではなく、消費者も含めて一周するものだと思っています。生産だけでなく、消費者との接点、コミュニティづくりまで見ていきたいですね。

最終的な理想は、データを元に作付前に生産計画が立って、その時点で消費者とマッチングして受注してもらえるといった、一種の先物取引みたいなものですね。自社だけでできるとは思いませんし、色々な会社とチームを組めたらと思っています。うちは、水田周り、生産を極めていきたいですね。

富山発で、全国、全世界で使われる仕組みを作っていきます。

2016.04.10

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