ネギ専門店で人が繋がる空間を!20代、このまま終えていいのか?という焦り。

幡ヶ谷にあるネギ専門飲食店を経営する小石原さん。夢を追うために恋人とも別れて手にした建築の仕事でしたが、訪れた「このままでいいのか?」という転機。小石原さんが感じる、飲食店と建築どちらにも共通するものとは?お話を伺いました。

小石原 浩美

こいしはら ひろみ|ネギ専門飲食店の運営
幡ヶ谷と初台の間にあるネギ料理専門店「negi negi」を経営する。

気持ちを伝える仕事をしたい


私は福岡県で生まれました。中学、高校とバスケットボールに熱中していて、将来も体育教師になり、バスケットボール部の顧問として一生青春を感じながら生きたいと考えていました。

しかし、部活を引退した3年生の時、体育の授業中に大怪我をしてしまい、医者に「もうスポーツはできない」と宣告を受けました。手術をしてリハビリを続ければスポーツができる可能性はあるけど、そうすると早い段階で歩けなくなると言われてしまい、教師の道を諦めることにしたんです。

悔しくてたまらなかったし、とても悲しいことでしたが、いくらへこんでも状況は変わらないし、早く切り替えようと思い、元々興味を持っていた、「料理」か「インテリア」の道に進もうと考え、どちらも学べる短大に進学することにしました。

私の家族は昔ながらの「ザ・九州男児」の家庭だったので、自分も仕事をしながら家族5人分のお弁当を毎日作り、家のことをすべてやっている母の姿を見て尊敬していました。料理も「家族のために」と気持ちを込めてくれていて、そうやって思いを形として伝えられる仕事をしたいという思いから、料理とインテリアに興味を持っていたんです。

短大では次第にインテリアから建築への興味が強くなっていき、いくつかの会社から内定をもらいました。ただ、仕事内容としては、すでに作られたものを売る「販売職」しかありませんでした。しかし、私はもっと壮大な、ゼロから創造する仕事をしたかったんです。そこで、建築の専門学校に進み、本格的に専門的な勉強をしてから就職することに決めました。

大好きな人と別れてでも目指したい建築の道


専門学校に入って少しすると、お付き合いしていた人から、「結婚して一緒に飲食店を開いて欲しい」と言われました。年上の彼からは、以前から焼き鳥屋を開きたいと飲食店への思いを聴き続けていたし、毎日一緒に焼き鳥の食べ歩きをしていました。そして、私自身も飲食店をやりたい気持ちがあったので、結婚して一緒の道に進もうと思っていました。

しかし、就職を蹴ってまで専門学校に進んだ建築の道を、諦めることはできませんでした。飲食店は、年齢を重ねてからでも気持ちさえあればできる。だけど、建築の道は今じゃないと目指せないし、そのためには福岡を出て大阪や東京に出たいと考えていたので、私は自分の夢のため、大好きだった彼と別れる決意をしました。

その後は、決断したことなのだからと振り返らないために、生き急ぐようにインターンシップも始め、専門学校2年目にはデザイン事務所に早期入社して働き、卒業後はそのデザイン事務所で大阪へ異動となり、ひたすらがむしゃらに働きました。

私の仕事は、CGパースと呼ばれる建物の完成予想図を三次元模型で表現することで、設計図を見て完成形を想像して形にする作業は面白く、大きい施設の仕事だったこともあり、充実して働いていました。

ただ、男社会だったので悔しい思いをすることもあり、「自分で何とかしなきゃ」と毎日20時間程は働き、家で寝る時も絶対に起きるため、床に体育座りをして眠っていました。その後、東京事務所を立ち上げることになり、さらに仕事一辺倒の生活を送っていきました。

自分の理想のお店は作るしかない


仕事は好きだったし、職場の人にも恵まれた生活を送っていたのですが、あまりに仕事しかしていなかったので、ある時、「20代を、このまま終えてしまっていいんだっけ?」と、そんな考えが心に浮かびました。

すると、ある日突然立ち上がれなくなり、過労で倒れてしまったんです。それまで仕事が楽しくて、病んでいるなんて思っていなかったのですが、倒れてからは、どんどん気持ちも落ちていってしまいました。

そして、一生建築の世界にいようと思ってはいなかったし、このままではいけないと感じ、やはり私は「思いを込めた空間」を作ることが好きだから、それなら今度は建築よりも空間を身近に感じられる飲食店の仕事をしようと決めたんです。

ただ身体を壊していたので、一度地元に帰って体調を整えると親と約束していたので、福岡のお店で働くつもりでした。しかし、帰る前に再会した友達に、「お客さん同士の距離が近くて、人と繋がるきっかけになるお店で働きたい」と話すと、ぴったりなお店があると、「PUSHUP」というお店を紹介されました。さっそく次の日飲みに行くと、盛り上がってオーナーと朝まで飲むことになり、気がつくと面接したわけでもないのに「ここで働きます」と宣言し、親には「働くとこ決まったから帰らん」と伝え、いつの間にか働いてました。

そのお店はカウンターでお客さん同士が気軽に話して仲良くなっていくような場所で、人が繋がるきっかけになれるのが好きで、私も独立してこんなお店を作りたいと思うようになりました。

そして、業態として居酒屋以外にも興味があり、カフェの有名店巡りもするようになりました。しかし何十軒回っても、「ここで働きたい」と思えるお店はなく、やっぱり理想のお店は自分で作るしかないと、独立の道に確信を持つようになったんです。理想のお店があるなら、私が作る必要はないですから。

それからは、5年以内に自分のお店を持つことを決め、1年毎に色々な経験を積もうと、飲食店のポータルサイトを運営する大企業で営業として働いたり、高円寺の「SmileEarth」というカフェ・バーの開店を手伝ったりしていきました。

お店を持つための個性がほしい


ただ、自分のお店を開くのに、「特技がない」ことをコンプレックスに感じていました。私が働いたお店のオーナーは世界一周していた人など、何かしらの個性があったのですが、私には何もありませんでした。そのため、何か成し遂げたいと世界を旅することも考えましたが、「世界一周したオーナーの店」と言うためにだけに旅に出るのはカッコ悪いと思ったんです。

そんな時、日本の「祭り文化」を広めながら世界を回ったら面白いなと、頭に浮かんだんです。昔から、赤ちょうちんとか鉢巻とか、暑苦しい日本文化が好きだった私にぴったりだと。

やろうと決めたらワクワクが止まらなくなってしまうタイプだったこともあり、すぐに高円寺で盛んだった阿波踊りを教えてもらいながら、タイに渡ってイベントの準備を進めていきました。

そして、タイのカオサンロードで1つのお店を貸しきり、阿波踊りを中心に書道ペイントや浴衣の着付け、ライブペイントなどを行い、メイン通りでは最終的に1000人以上の人が集ったパレードを実施することができたんです。

終わった後は達成感と充実感でいっぱいになりました。ただ、世界中で開催するには、実力不足であることも同時に感じました。タイだったから成功したけど、南米だったら死人が出ていたかもしれない、この状態では責任が持てないと。また、無料で運営に関わってくれる人がいたから開催できたけど、お金を支払える仕組みを作らないと続けていくことは難しいとも感じていました。

何より、「SmileEarthのロミ」と呼ばれるけど、その肩書は私のお店ではなかったので、まずは自分のお店が持てるくらい成長しなければダメだと感じたんです。

そして、日本に帰ってきてからは開業資金を貯めるため、仕事を5つくらい掛け持ちしたり、飲食店で料理の修行をしたりしていく中、中野新橋にできるお店で、店長として自由にお店をやってみないかとお話をもらいました。自分で決めてた独立する期限も迫ってきていたので、色々と条件を相談した結果、1年と期限付きでやらせてもらうことになりました。

中野新橋は「東京だけど、そこどこ?」という場所でもあるけれど、個人店や横の繋がりも深く、私も一店舗目は大きすぎない街で、これから盛り上がりそうと思える場所でお店を出したいと考えていたので、中野新橋で成功したらどこでもできる自信がつくと思い、毎日葛藤しながらお店を切り盛りしていきました。

そして、1年程働いて実績も出たので自信もつき、いよいよ自分のお店を出す準備を進めていきました。

幡ヶ谷にネギ専門店をオープンする


そして2014年9月9日、初台と幡ヶ谷の間に念願のお店、「neginegi」をオープンしました。長ネギ料理の専門店で、デザートを含む全ての料理にネギを使っています。また、ネギを漬け込んだお酒「ネギーラ(ネギ漬けテキーラ)」や「ねぎちゅう(千住ねぎ焼酎)」なども提供しています。

ネギは小さい頃から大好きで、収穫体験をした時に幼いながら「こうやってできているんだ」と感動し、それ以降、生でネギを食べるほどのネギ好きだったんです。そしてどんなお店を開こうか考えた時、赤ちょうちんのお店や焼き鳥のお店などいろいろ考えたのですが、長年やって来た人には中々追い付くことができないし、1つの食材に特化して勝負したいと考えたんです。そして、自分が好きだったことに加えて、ネギは主役にも脇役にもなることができるので、これは良いと。

また、「ダサかっこいい」をコンセプトに、古き良き日本の雰囲気を引き出したいと、営業中は鉢巻をしていますし、流れるBGMは90年代の懐メロにしています。そして、ただ料理を提供するだけでなく「顔の見える商売」をしたいと考えているので、日本全国色んなネギ農家さんを直接訪問して、どんな人がどんな想いでどうやって作っているのか、それも伝えていける場所でありたいと思っています。

ネギ屋自体の他店舗展開は今のところ考えてないですが、今後も興味持ったことには積極的に取り組み、飲食店に限らず展開していきたいと考えています。例えば、今neginegiで働いている料理人が目指している『深夜食堂』の様な、その人のためのこだわりの一品を出す粋なお店や、結婚しても女性が働きやすいように、朝や昼の時間帯に営業するお店などを企み中です。

一緒に働いてくれる人は家族同然だと思っているので、みんなのライフスタイルにあわせて、先に繋がる職場にしたいですね。

neginegiはコの字型カウンターというのもあってお客さん同士の繋がりも生まれやすいし、自分がやりたいと思っていた空間を、1つ実現できていると思います。

人と違う何かを始めるとき、大体は周りに否定されました。福岡を出て建築の世界を目指すときも、海外でお祭りをやるときも、ネギ屋をやるときも最初はそうでした。だけど軸がぶれても芯さえしっかりしていれば、だんだんと支えてくれる人が出て後押ししてくれるし、迷いながらも進んでいけると思っています。人の意見はちゃんと聞いて、それでいて自分自身を信じてあげることを大事にしたいですね。

これからも思いつきを形に、たくさんのことにチャレンジしていける自分でいたいです。それに周りの人を巻き込んで繋げていければ、こんなに面白いことはないですね。

2015.03.28

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