医療工学を研究する理系女子がマーケターに。
「苦手」に向き合う6年間が教えてくれたこと。
飲料メーカーにてマーケティングに携わりながら、個人でも女性のキャリアに関するイベントを運営する福田さん。理系の大学院で医療技術の研究という経歴から一転、マーケターを志す背景にはどのような思いがあったのか。葛藤の末にたどり着いたやりがいについてお話を伺いました。
福田 佳那子
ふくだ かなこ|飲料メーカーのマーケター
飲料メーカーにてマーケティングに従事する傍ら、ジュエリーブランドEDAYAのプロボノ活動や、
生き方の幅を広げ、自然体なままに自分らしく人生を描くコツを先輩女性から学ぶ団体TODAYを運営。
3/8にはイベントを開催予定!
3月8日イベント詳細
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運営団体 TODAY
日本という、恵まれた国に生まれたからこその思い
私は横浜に生まれ、転勤の多い父の影響で、小学校1年生からアメリカのアトランタで住み始めました。
まだ小さかったこともあり、いつの間にか気づかずにアメリカに連れて行かれたような感覚で、
現地校に入学してからは、英語が話せないこともあり大変でしたね。
言葉が通じないことにストレスを感じながら生活していました。
しかし、段々とそんな生活にも慣れていき、自分と同じように人種的にマイノリティであった友人から仲良くしてくれるようになっていき、
異文化に飛び込むことの辛さを感じた反面、多様性も感じる経験となりました。
特に、「主張をしないと居場所が無くなる」という考え方を早くから持つようになっていきました。
小学校4年生から中学2年生までは日本に住み、日本の学校に通いました。
最初はアメリカの気分が抜けぬまま通っていたこともあり、
物事をはっきり言って誤解を生んでしまうようなこともありましたが、
次第に自分もどこか優越感を持っていたのかもしれないと思い直し、
他人に配慮することを始めてからはだいぶ生きやすくなっていきました。
ところが、その後は再びアメリカ・ニュージャージーに行くことに。
結局、高校生活はアメリカで迎えることになりました。
高校生になってからはそれまで嫌いだった数学を面白く感じるようになり、
理系への進学に関心を抱くようになりました。
そして、ある時、受験勉強の指導をしていただいていた恩師から、
「医者を目指してみれば」と言われたんです。
元々、幼少期からの海外での体験から、「平等でないことが当たり前」という前提があり、
日本という恵まれた国に生まれたからには、何か社会に還元しなければ、という思いがありました。
日本にいて実現できないことなんて無いと感じたんです。
そんな考えを持っていたからこそ、
人の命を救い、社会の役に立つ医者という職業は非常に憧れるものでした。
そこで、恩師の助言のもと、私は医者を目指すことに決めました。
また、人づてのぼんやりとしたイメージではあったものの、
日本の大学生活はさぞかし楽しいんじゃないかという希望があり、
高校を卒業後は、日本の大学の医学部に進学しようと、受験勉強に励むようになりました。